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【幸せへの一歩】 欲があるのはいけないこと?

【幸せへの一歩】

人は生まれながらにして、幸せである.

ただ、生きていると何故か、それに気づけなくなることがある.
そんな人たち、幸せを感じられなくなった人たちに、幸せを気づくきっかけを与えられれば嬉しいと思い、私なりの幸せの一歩という考えを発信する.

※考え方は、常に変わるので、今まで言っていることと矛盾が生じていることもある.そこはご理解いただきたい.



欲があることはいけないこと?


 ■欲があることはいけないことか

早速だが、今の私の答えはNOだ。

欲はあった方がいい。

というか、欲がないと生きていけない。

食欲、睡眠欲、性欲、物欲、ありとあらゆる欲が私たちにはあるはずだ。

それらは、あって当然だし、生きるために必要なものでもあると私は思う。

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 ■我慢しなさいのワナ

今まで生きてきた中で、何度も聞いたことがあると思う。

「我慢しなさい」

「我慢することも大事」


我慢することはなぜ大事なの?

周りがそうしてるから?

周りに迷惑をかけないため?


私も小さい頃は欲しいものがあっても、ねだらなかった。

それは「我慢しなさい」と言われるのが目に見えてるからだった。

私はその頃から、「我慢=他人を困らせない」という式が成り立ってしまっていた。

確かに、我慢できるというのは、ポジティブな長所と感じる人も多いと思う。

私が我慢することで、誰かが救われてる(気がする)というのが唯一の心の支えにもなることがある。


でも、小さい頃から我慢、我慢を強いられて生きてきた人たちは、今どうだろう。

我慢という足枷があることで、他人を困らせないで、生きる人生を歩んでるのではないか?



 ■他人のための人生じゃない

きっと、私たちはやりたいことを抑えこみ、我慢することが当たり前になってるはずだ。

やりたいことを抑えこみ、他人の主張をのむ人生は、『他人のための人生』じゃないの?


私たちは、かけがえのない私という

1人の人間の生をまっとうしてる。

それは、他人ではなく、

自分のための人生なのだ。



 ■欲のまま生きること

欲のまま生きると、当然、上手くいかないことも起こる。

それは我慢しなかったから、上手くいかなかったというわけではない。

もし、「我慢しなかったから、そうなったんだ。」という人がいれば、それは、我慢という言葉に取り憑かれている。

欲のまま生きて、上手くいかなかったり、失敗するのは、単純に考えが浅いからである。

その欲を満たす行動によって起こりうる出来事や変化をどこまで深く考えられているか。

それに尽きる。


逆に、「我慢して良かったー」という人も、おそろしい。
我慢に取り憑かれてると私は思う。

それは、我慢したから良かったのではない。

あくまでも、

『最高の選択をした結果が良かった』

ということでしかない。


 ■我慢より大切なこと

私がまず、大切だと感じていることは

『欲を認めること』

そして、

『最高の選択をすること』


まずは、自分が感じている欲を受け入れよう.それは正直に認めよう.

そして、最高というのは、自分にとってだ。

最高というのは、こんな一言でまとめるほど、簡単なことではない。

最高というのは、かなり深いレベルで考えた選択だ。


何かをしたいと思っても、それを、どの程度深く考えるかが重要だ。

そして、私は、あることをしないという選択は、我慢にはならない。と思ってる。

そもそも、我慢なんて言葉はいらない。

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 ■私は我慢という言葉を教えない

私が親になり、子どもができたら、我慢という言葉は使いたくないと考えている。

「我慢は大事」なんてのも以ての外。

それよりも、子どもには
『最高の選択』というのをとことん考えて欲しいと思う。

繰り返すが、最高の選択とは、

「その欲を満たす行動によって起こりうる出来事や変化をどこまで深く考えられているか」

で決まる。


おわりに

自分の欲がわからないということは、恐ろしいことだと思う。自分がどうしたいかわからないということだ。

何をしたいのかも、わからない。

何も考えず、生きていく。

そんな人生は恐ろしい.

まず、『自分の欲を認め、受け入れよう』
そして、最後に『最高の選択をしよう』


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