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[修士論文要旨] ガエタン・ガシアン・ド・クレランボーに触れる ――被服の文化についての一考察――

 ガエタン・ガシアン・ド・クレランボー(Gaëtan Gatian de Clérambault, 1872-1934)は、パリ警視庁特殊医務院で精神病の鑑定に従事し、「精神自動症」の学説を中心とした理論を多数発表した精神医学者である。精神医学者としての地位を築いてきた一方で、その死後には40,000枚に渡るとも言われる民族衣裳の写真や、大量の布地や衣装についての資料が遺物として発見されたこともあいまって、クレランボーは布、とりわけドレープの官能性に対して奇妙な嗜好を持つ人物であると解釈されてきた。本論は、神話化されたクレランボー像を解体し、学際的・横断的な衣服研究の内実を明らかにするものである。そして本論では、クレランボーが撮影したモロッコの民族衣装ハイク(Haïk)と晩年に発表した衣服論を調査、分析し、それらが彼の精神医学における理論からの影響があることを示す。さらに布・衣服の他者性について、衣服論での身体的な語彙の使用と、初期の医学論文の「接触愛好症」の症例を参照し検討する。第一章は1918年〜1919年に撮影されたモロッコの人物たちの写真、第二章は1924〜1928年までの美術学校での講義と学会発表、第三章は1908年と1910年の「接触愛好症」の症例観察を中心に考察する。時代順不同に、必要があれば時代を横断して分析を行っている。

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 第一章では、クレランボーが撮影したモロッコの人物たちの写真を中心に、その「分析的」な写真について分析した。クレランボーの死後、発見、再発見された写真群を包括的に取り上げ、写真上の襞によってもたらされる印象を考察している。クレランボーがモロッコの人々を写真に収めていた当時はオリエンタリズムが隆盛していたが、彼の被写体へのまなざしは身体をさらけ出すものではなく、布の物質性に焦点が当てられていた。襞は生命を感じさせるような流れを生み出し、布には身体的な要素が組み込まれる。顔の表情のような質感を感じさせる布上の襞は、精神科医としての観察眼によって分析されていた。また、クレランボーは当時の連続写真とは異なる断片的なシークエンスを組み合わせた連作としての組み写真を残し、それを「映画的写真」と表現したが、そこに現れる着付けの段階の「ズレ」や写真の「ボケ」から、彼が重視していたと思われる「視覚的触感」の存在を明らかにした。

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 第二章では、襞を独自の美学的な見地から考察し、衣服論を編んだクレランボーの講義や学会発表の資料を中心に分析した。また、布自体の性質やそれがもたらす美的な効果についても分析し、クレランボーの衣服論の真髄に迫った。ドレーパリーの形態観察から着付けの技術に至るまで、クレランボーは一枚布の衣服の体系化、要素の構造化を行おうとしていた。その体系化、構造化は持病の悪化のために完遂されることはなかったが、詳細な観察によって発見した衣服の留め具や布の縁の装飾について、身体性を感じさせるような命名を行うなど、衣服を身体に近づけるようなクレランボーの衣服観を明らかにした。また、布には人間精神を代理するようなパトスが宿っている。可変的で柔軟な布は、脆く壊れやすいという性質も持っており、人間精神とも通じるものがある。そのような性質を持つ布から、クレランボーは一枚布の衣服の基本構成を「固定」と「動き」という極めて抽象的なものにまで落とし込んだ。そこでは布への欲望という「内的原因」と物理的な力である「外的原因」に導かれて、布はその形態を現している。布が衣服になるとき、そこには触覚性を思わせる「固定」とそこから生まれる欲望の表れである「動き」がある。その上モロッコの民族衣裳ハイクには世界と身体の境界を混乱させる「裏返り」があり、クレランボーのこの民族衣装への固執は、身体が衣服に、衣服が身体になるような「裏返り」の混乱があるためであると仮定できる。

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 第三章では、初期にクレランボーが提唱した「接触愛好症」の症例観察から、布に触れること、衣服に身を包まれることについて分析した。絹に触れることに性愛的な快楽を覚える4人の女性患者から聴きとった詳細な「接触愛好症」の症例の記述からなる「女性の布に対する性愛的情熱」は、「布フェティシズム」の症例と異なる「不完全」なもので、女性にのみ見られるものである。そして、「接触愛好症」は純粋な触覚と性的快楽の関係を追求したもので、布に異性という大文字の「他者」のイメージを融合させないものである。この症例は、「衣服になる前」の布地であるからこそそこに価値を見出しているものであって、日々着用する衣服へのこだわりへの根源的な欲望と繋がっている。つまり、可変的で柔らかい布、そして布という素材に全身を「包まれる」ことへの志向が内包されている。そして、衣服もまた身体として見出していたクレランボーにとって、衣服を構成する襞という痕跡が指し示すものは、人間の肉体に起因する「症候」であったと考えられる。つまり絹に倒錯する女性たちの症例は、後の衣服理論の「固定」と「動き」に転移している。症候は襞の現れように観察され、衣服はより身体に接近し、「衣服の身体化認知」とも呼べるような認識関係を生み出している。

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 クレランボーは、布地が身体に与える触覚的な作用にはじまり、被服文化における身体性に着目した稀有な人物だった。そして、クレランボーは着るという触覚的な行為を前提に、身体に紐付けられた衣服の体系化を行おうとしていた。認知科学の分野で近年フォーカスされる「触覚」に着目していたクレランボーは、衣服の触覚的な作用に対する意識の希薄化が加速した現代ファッション産業に対し、一石を投じる人物である。衣服は身体に対して触覚的に経験されるものであり、それを本当に忘れてしまった時、衣服は身体を去ることになるだろう。


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