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韓国人と仲良くなる方法。距離感の問題でした。

「女の子同士でも手をつないで歩く」

韓国驚くあるあるでよく出る言葉。日本ではせいぜい腕組?それもするのもためらわれるか・・・ 

自身、日本にいた時から人との距離が狭く、ボディタッチも自然にしていたほうだったが、韓国人のソレには及ばなかった。

ある日、韓国人の女友達と歩いていると自然に手を繋がれたことがあった。
ぎょっとしたが、なんともない顔で笑って過ごしたが内心バクバクだった。これがうわさに言う手つなぎか、と。

「日本では女子は手を繋がないんだけど、韓国ではなんで繋ぐの?」とありきたりな質問をしてみた。すると・・・

「もちろん全員じゃないけどね・・・でも、仲いい子とはつなぐでしょ、逆になんで日本は繋がないの?」と質問返しをされてしまった。

はて・・・当たり前だと思っていたけど、なぜなのか。

個人の領域問題

ある日の韓国男子との会話。

「日本人はさ~、告白する前とか付き合ってからも苗字で呼ぶ人がいるって聞いたんだけどほんとなの?

「気にしたことはなかったけど、確かに高校生とか、社会人でも少し距離がある場合には、山田さん、鈴木さんと付き合っても苗字で呼ぶ人いるね。」

「それ、韓国じゃありえないし、不思議だわ。なんで付き合う人がさん付け?」

またなんで、か。

韓国では、むしろ苗字+さん呼びをすることが失礼に当たるので(キム氏、パク氏といった具合に)、フルネームもしくは、下の名前+さん付けをする。

確かにこれは、欧米を含めあまりない例なのかもしれないが、ここに日本の個人領域の文化が表れている。俗にいうパーソナルスペースだ。

日本人(少なくとも小中高10年以上日本社会で生きてきた人)には、目に見えない線を自分の周りに引いている。しかも、話す相手によってその線の位置を自由自在に動かせるという、妙技を持っている。

例えば、Aちゃんには、ここまでのことは打ち明ける仲でもないし、言わないどこう。Bちゃんは、もっと話せるからこの秘密は言おう、と。相手との関係性で、自由自在に、その領域を広げることも狭めることも可能だ。

ただし、その線が消えることはない。家族間であったとしても、自分の周りにはわずかだが、誰にも侵入してほしくないエリアがある。

そんなの人だから当たり前じゃない?そう思った方もいるだろうが、これが韓国では当たり前ではない。

さっきの韓国男子との会話に戻る。

「日本人がそうする理由はね、自分と相手との間に線があって、その距離を調整してるからなんだよ」

「線?何それ。韓国ではそんな敷居みたいなの感じたことないわ。」

ないのか!!!!

もちろん彼らも人並みには人見知りするので、最初はとっつきにくいところもあるかもしれないが、一度仲をもつと、夜中に急に電話するわ、そして飲みに誘うわ、友達勝手に紹介してくるわ、はたまた親子であれば、子は親の所有物、みたいな構図になってしまう。

さっきの、女子で手をつなぐ、付き合ったら必然的にさん付はなし、みたいなのもここにつながっていた。

つまりは、領域というものがほぼ存在していない。

そしてこの距離感のなさは行動だけではなく、言葉にも表れてくる。

日本人であれば、躊躇してしまうような言葉。

『もっとダイエットしろ』、『その服似合ってない』とかいう言葉もいわゆる「友達レベル」で平気で言う人がいる。

この言葉、わざわざなぜ言うのか。不思議でならないが、彼らにすると教えてあげるのが親切だそうだ。

(ちなみに韓国の方で、領域はあるという方もいるが、その繊細な距離感と理解は、日本社会で長期的に育つ中でしか、育むことは難しいものである。
日本にいる外国人友達何人かにも話をしたが、到底得られない感覚だそう。ただ、そんな感覚を持っていることが幸せなのかは不明。)

そんな彼らとの接し方

これは隣国といっても欧米並みの違いがあるぞ・・・もちろんアジア人らしい、相手を伺う姿勢みたいのは少なからず残ってはいるのだが(これはまた別の回で)、領域が人間性の日本人と領域がほぼゼロの韓国人の相互理解は、むずかしい。

じゃあどうするか。

『ちょっとオーバーなくらい本音になってみる』

韓国人の人との距離問題を理解したら、今度は自分が行動する番。

私自身が心掛けているのは、日本人の友達と接するより、もっと自分の気持ちを表すこと。

何が好き、どこに行きたい、これは面白い、あの意見に対して私の立場はこれ。はっきりと言いたいことは言ってしまえばいい。もちろん相手を傷つける行為はNG。(エベレストより高い韓国人のプライドの扱いはまた今度)

好きだったらボディタッチ、喜怒哀楽、もっとしても大丈夫。

それだけで、日本人がもつ『仮面』がはがれて、一気に韓国人と仲良く慣れる。かくゆう私も最近では、どれだけへたくそな韓国語であっても、日本で暮らした韓国人ですか?と聞かれるくらい韓国化して生き延びている。

ここまで話をしたことは、何も韓国だけに限ったことではない。

世界に出る人間が、日本の奥ゆかしい文化、いとおかし、の曖昧感覚論ばかりではとてもじゃないが、どうも理解されがたいようだ(個人的にはその奥ゆかしさも魅力だと思う)。

どうぞ一歩、線をぐいっとまたいで、出てみよう!

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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