ある大学発ベンチャーと歩んできたロード 第47章

ANRIの鮫島です。これまで弊社のファンドでは、40社以上の大学や研究機関発ベンチャーに投資実行し、良い事も悪い事も含めて沢山の苦楽を起業家のみなさんと共にさせていただきました。今回は、その中でも特に思い出深い、大学発ベンチャー社長Aさん(彼)とのおもひでをぽろりと綴りたいと思います。Aさんとの日々を振り返ると、高い山の頂上に向かって上昇と下降を繰り返しながら螺旋状に歩んできたような気がします。いけるかもしれないという希望と、やっぱ難しいかもという絶望が繰り返される感覚でした。(Aさんはこれをジェットコースター経営と呼んでいます。)

まだきらびやかなサクセスストーリーではないけれど、研究者だったAさんがどんな苦労を経て、どう乗り越えてきたのか、これから起業を考えている研究者の方に少しでも参考になれば嬉しいです。(Aさんには許可をもらっていますが、都合上、時系列や表現等をぼかしています。)

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ちょうど6年前。
ある大学の産学連携部経由でAさんを紹介された。残暑の時期で、案内された大学の部屋は西陽が強かったのが印象に残っている。そこで会ったAさんは開口一番、「鮫島さんは**という病気を知っていますか?僕はそれを治す薬を作りたいんです。その為に起業したいんです」。直球を投げてきたAさんの目は真っ直ぐで、謎の使命感を帯びていた。一方で、研究開発レベルの観点からは、起業するには早い上に、彼はビジネス経験が一切なく、そんな状況での起業は、無謀な挑戦であった。彼もいくつかのベンチャーキャピタル(以下、VC)に話をしたようだが、案の定、話は進んでいなかった。
ただ、彼の謎の執念と、「自分に投資しないなんてセンスがない」という発言がなんだか癪に触って彼の事が気になり、その後も定期的に打ち合わせしていた。

何度か打ち合わせを継続する中で、彼はまだ起業していないにも関わらず、自ら積極的に様々な製薬企業や事業会社に自分の技術を売り込んでいて、「彼なら本当にやってくれるのでは」と思うようになっていた。また、彼のような若手研究者がゼロからCEOとして起業し成功すれば、新たなロールモデルになれるのではないかと感じ、僕自身も彼と一緒に挑戦してみようと考えるようになっていた。それから研究開発系の助成金に申請し、通ったら僕らも投資しようとなった。一緒に申請書を書き、無事通って、彼は大学を辞め起業した。
そして一定のマイルストーンを達成し、資金調達も行い、ラボの立ち上げや強力なメンバーも拡充され、順調にスタートした。提携する事業会社も決まり、順風満帆のはずだった。

しかし、そこから研究開発は想定通りに進まず、事業会社との提携の進捗も芳しくなかった。一方でキャッシュだけは減っていき、彼は以前のような勢いを失って、愚痴が多くなってきた。
キャッシュの状況を考えると資金調達をする必要があるが、しっかりした開発進捗を見せれないので、多くのVCや事業会社に出資を打診するも断られた。
その当時の彼はしきりに「自分たちの技術ポテンシャルをわからない投資家や事業会社が悪い」と言い、自らの状況を客観的に見つめることができず、他責志向に陥っていた。

また、彼には反対したが、資金調達の為だけのピンチヒッター的なCFOなる人を一時的に雇った。会社のビジョンに共感している訳でもないので、目立った貢献もなく、綺麗なパワポとエクセルだけを残し、辞めていった。

本当に会社が清算するかもしれない、危機的な状況だった。
そんな時に取締役の一人が退職を申し出てきた。少しでも引き留めようと説得したが本人の意志は固く、個人の将来を考えると已むを得ない選択肢だったと思う。

追い打ちをかけるように、応援してくれていたはずの事業会社からも厳しい提案がきて、もう今度こそダメかもしれないと僕自身も追い込まれていた。とある年の年末だった。会社はギリギリ年を越せるかどうか。更なるコスト削減を行なって、あと数ヶ月だけは何とかなる目処が立った。その頃の彼は不思議と以前のように他責ではなく、自分達の何が悪いのかを客観的に見つめる事ができるようになっていた。特に印象的だった言葉は「何が何でも生き延びる。ゴキブリのように生き残ります」Y CombinatorのPaul Grahamの有名なエッセイを見た訳ではないにも関わらず、彼が同じことを口にしたので、「これはもしかすると復活できるのでは」と感じた。この時に、研究者が起業家に脱皮した感覚がした。

それから、最後の望みをかけて、ある事業会社を紹介して頂いた(紹介頂いた御方には感謝しきれない)。すると、Aさんのアツい想いが届いたのか、技術の詳細に関するディスカッションも盛り上がり高い評価を頂いて、信じられない事に出資が決まった。某バスケットボール漫画の「あきらめたらそこで試合終了ですよ。」とはまさにこのことだ。彼は最後まであきらめなかった。それから更に別の事業会社からの出資もトントン拍子で決まっていった。今では昔とは見違えるほど研究開発も進捗し、今後がとても楽しみな会社になっている。これまでの苦難を経てAさんは大きく変わったし、より強力なメンバーが加入して、会社は質実剛健という印象だ。

Aさんが起業してここまで頑張ってきたおかげで、以前所属していた研究室の周囲からも起業の声が聞こえるようになったし、彼の周囲で起業に関するエコシステム的な土壌が肥沃になった気がする。おそらくこれから起業を志す若手研究者は自分にできるのかと自問自答する事が多いと思うけど、人生をかけて成し遂げたい執念みたいなものがあれば起業にチャレンジして良いのではないだろうか。

エピローグ
最近Aさんから会社の飲み会に誘われて行ってきた。その時にAさんから、「この人は会社の共同創業者みたいな人です」と紹介された時はグッときた。色んな過去の辛い話もしたけど今では笑い話になって、会社のメンバーの一体感を感じた。
こういう執念を持った起業家を、周りが信じなくても、僕は信じますと腹決めて、夢の実現を応援できるVCってのは最高の仕事だと思う。


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