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飲み終わるまでそこにいて

沙央理はここまで来るまでの記憶がなかった。いや、考えたくなかっただけかもしれない。
慎太郎に話があると言われ、昼前の待ち合わせに指定されたこの場所は、かつて彼と初デートをしたカフェだった。給仕係に案内されたテラス席は、台風一過のあとの晴天だからか、いつもより賑やかだった。あまり会話が弾んでいない、大学生になりたてのような若い男女、スーツ姿で電話をしている男性、なかにはペットを連れて過ごしている客もいた。
彼から仰々しく誘われたのは、おそらく別れを伝えるためだろう。それなのになぜ慎太郎はこの店を選んだのか理解できなかった。そろそろ振られるだろうと思っていたタイミングだった。いつも沙央理の予想に反して慎太郎が何か行動を起こすことはなかった。デートの誘いも、告白されるときも、ああ、きっとそういう日だろうと思って臨み、予想通りに事が進んだ。
過去の恋愛はすべてそうだった。沙央理自身もそういう人を選び、選ばれる男たちも、そうあるべきだ、とでも言うかのように沙央理を選んだ。それは必然のように思えた。
給仕係に何か注文するか尋ねられたので、ホットミルクティーを注文した。沙央理は季節問わず、外出先では温かい飲み物を注文する。それはなんとなく、冷たいものを身体の中に取り込んでしまうと、心まで冷たくなってしまいそうだったからだ。

ミルクティーが運ばれてきたタイミングで私をここに呼んだ本人がやってきた。
「ごめん、けっこう早めに着いたつもりだったんだけど、沙央理のほうが早かったね」
慎太郎はいつものようにアイスコーヒーを注文する。沙央理は温かいミルクティーに手をあてながら、慎太郎の次の言葉を待った。
「いつも沙央理はホットだよね。暑くない?」
沙央理はいつものことだよ、と答えにならない返事をして、黙った。二人の間に沈黙が続く。
「別れ話をしに来たんでしょ」
先に口を開いたのは、沙央理だった。
と、同時にアイスコーヒーが運ばれてくる。
「ごめん、気づいてた?」
慎太郎がコーヒーに口をつける。
「気づかないわけないでしょ。慎太郎はいつもわかりやすいんだし」
「そっか。ごめん。沙央理には全部お見通しだね」
「謝んないでよ」
「ごめんごめん。なんかもうそういうタイミングかなって思ってさ」
「……」
沙央理は返事をする代わりにミルクティーを飲んだ。
「俺さ、最初は俺の段取りが悪くても、笑ってこっちでしょって言ってくれる沙央理が好きだったんだ。でもそのうちヘマをしなくなっていって。そしたらじゃあ、こんなことしてあげたら喜ぶかな? って思ってやってみたら、沙央理はあんまり嬉しくなさそうで。ハッキリ言わないから俺も自信なくて。いつの間にか気を遣ってたんだよね、沙央理に。こうしたら沙央理は予想できないだろうな、じゃあやめておこうとかいろいろ考えてくうちに一緒にいる時間が楽しくなくなってきちゃってさ……」
慎太郎は勢い良くコーヒーを飲む。
「ごめん、気遣わせちゃて」
「沙央理は、俺が好きなんじゃなくて自分の予想通りのことをしてくれる男が好きなんじゃないのかな、と思ったよ。だから告白もOKしてくれたし、今日も別れ話されると予想して来てくれたんでしょ? そうだよね」
「そんなこと……」
図星で沙央理は言葉につまってしまった。
「でも今日は沙央理にとって予想外な場所にした。覚えてる? ココ。ヘンな感じでしょ、最後に選ぶなんて。俺は予想外のことでも楽しみたいし、完璧主義な沙央理とは合わないと思ったんだ」
いつの間にか慎太郎はコーヒーを飲み干してした。じゃあ、そういうことだから、と席を立とうとした慎太郎を沙央理は呼び止めた。
「待って」
周りの雑音に負けてしまいそうな声で沙央理は言った。
「私が飲み終わるまで、そこにいて……ほしい」
「やっと沙央理の気持ち、話してくれたね。でもごめん、俺このあと予定あるんだ」
そう言って、慎太郎は会計伝票を持って去っていった。
まだ温かいミルクティーを手に、呆然とする沙央理。

「アンタさぁ、最後なのにあんなことしか言えないの?」
声がした後ろを振り返ると、もう10月だというのにTシャツに薄い色のサングラスをかけた男がニヤニヤこちらを見ていた。
「それにうまく彼氏に甘えられないタイプでしょ」
沙央理は男に構わず、正面に向き直し、急いでミルクティーを飲み干そうとする。
「まぁ落ち着けって。そんな急ぐこたぁない」
そう言って、男は慎太郎が座っていた椅子に腰掛けた。
「ちょっと!」
「おぉ、こわ。彼がいなくなってから全然キャラ違うじゃん」
「そりゃ名前も知らない初対面の人が急に来たら、警戒するでしょう?」
「俺、本多。サオリちゃんでしょ? はい、もう知らない人じゃない」
本多はメニューを見ながら何を注文するか物色していた。
「失礼します!」
沙央理が鞄を持ってその場から去ろうとする。
「俺、サオリちゃんの本当の好きなタイプ知ってるよ」
「はい?」
「俺みたいな、予想外のことをする男。そんで、俺もサオリちゃんみたいな彼女にするには面倒くさい女がタイプ」
そう言って、本多はニカッと大きく笑った。
「違います、普通のことを普通にしてくれる人が好きです」
「まだカップのなか、残ってるよ」
本多が顎で示しながら言った。
まさか、と沙央理が覗いて見ると、さっき飲み終えたはずのミルクティーが、湯気をのぼらせながら並々に入っていた。
「それ飲み終えるまでここにいなよ。ね?」
ひそかにミルクティーのお代わりを注文していた本多が、着席を促しながら言った。

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