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伝統とは変えてはいけないものなのか

ある日の夜、夕飯を食べながら子どもと何気ない会話をしていたら「学校で校則を変えようと同級生達と活動している」という話をしてくれました。

生徒会で校則見直しが議題にあがり、生徒達に投げかけると様々な意見が出て、それを先生達に伝えたところ「変えたい校則があるのなら、変えなくてはいけない理由やその根拠となる資料をまとめてきなさい」と言われたとのこと。
ナルホド、確かに自分達で考え検討・調査し取りまとめてプレゼンする、という機会は貴重な学びだと思いながら話を聞いていたのですが、その中である先生から言われたという「伝統だから変えられない」という言葉に引っかかりました。

伝統とは何か

伝統(でんとう)とは、信仰・風習・制度・思想・学問・芸術などの様々な分野において、古くからの仕来り・様式・傾向、血筋などの有形無形の系統を受け伝えることを指します。過去から受け継いできた様々なもので、有形・無形は問わないし精神的な部分(思想など)も「伝統」に含まれます。
分かりやすいのは伝統工芸や伝統芸能(=文化)・相撲(=スポーツ)・神道や仏教(=宗教)・各国の言語などなど。色んな分野に色んな「伝統」は存在します。
これらに比べれば校則は「伝統」と呼ぶには期間が短すぎますが、先生曰く10年以上前から続くものらしいので、その点では伝統であるとも言えると思います。

では、伝統とは本当に「変えられないもの」「変えてはいけないもの」なのでしょうか?

伝統は「変わらないもの」ではない

伝統であるとはいえ、誰かが最初にはじめたことであることは確かです。伝統の「はじまり」はどこかに必ずあります。
では「伝統」ははじまりから今まで何も変わらずに残っているのか?
答えはNOです。既になくなってしまった伝統も沢山ありますし、内容ややり方が変わってしまったものも同様に沢山あります。

完全になくなってしまったものは受け伝えできなくなるという点で「伝統」とは言えないかもしれませんが、はじまりから変わってしまったものは「受け伝え方」やその「内容・あり方」などが変化しただけで、今も変わらず「伝統」であり続けています。
伝統工芸品は、長年受け継がれている技術などを用いつつ、現代社会やそのニーズに合わせた「これまでにない商品やサービス」がいくつも誕生しています。
国技である相撲も、その昔はその年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として毎年行われていましたが、1000年以上の歴史の中で様々な紆余曲折を経て現在の「スポーツ」という形に変わっていきました。
毎年のように新語が現れ、気付かぬうちに使われなくなった言葉もあるし、意味が変わってしまった言葉もあります。
これらの変化の全てを否定し、過去のままの「伝統」だけを守り残そうとしていたら、多分とっくの昔になくなっていたはずです。

必要とされなかった「伝統」は廃れてしまい、逆に必要とされるものは新たな「伝統」として誕生する。
また、伝統を「そのまま残す」だけでなく、現在を生きる私達にとって、また未来を生きるであろう人達によって「必要であり残すべき価値や意味のあるもの」だからこそを、カタチを変えてでも伝統を残していく。
これが実際の「伝統」のあり方だと考えます。

本当に守り残したいものは何なのか

その点では、伝統における「変化」はある種の「成長」だと捉えています。
でも、成長するまでの過程やそれが生まれた背景をきちんと理解せず、全てを無下にしたりなくしてしまったりすることもまた、望むべき形ではないとも言えます。
合理性や経済的側面・一時的な感情などで判断することは正しい判断とは言えないし、決して得策でもありません。

なぜなら、私達の生活の多くのものが「伝統」から引き継がれたり派生したりしているからです。先人達もまたそれぞれの時代において同じように悩み苦しみ、時には決断したり変革したり新たに生み出してきたことでしょう。それらが積み重なり影響しあうことで、私達が生活する現在(いま)があるはずです。
伝統があるからにほ、そもそもその伝統が生まれた意味や理由があるはずだし、今まで伝統を守り残してこられたことも同様です。それらをきちんと理解した上でないと本当の「変化」は生まれないし、今後も続いていく「伝統」にはならないと思います。

そう思った時、私が安濃町で「守り残したいもの」は何なのか?そのことを深く考えることになりました。
守り残したいものやことがあるのか?それは具体的に何なのか?
守り残したいと考える理由は何なのか?それはどうすれば守り残せるのか?
守り残したいものやことに対して、今の私達に何ができるのか?
そんなことを思いながら、子どもにこう話しました。

伝統が生まれた背景やそれを残す(残さなければいけない)と考える理由を先生達に尋ねてみること。
それを知った上で、校則をどうしたいのか仲間と一緒に熟慮すること。
自分達が生きている今は、これまでの伝統の上に成り立っていることを理解・尊重した上で、最良の答えを自分達で見つけること。
それらをまとめて、自分達の言葉で分かりやすく先生達に伝えること。

自分自身にも投げかけるように、そう伝えました。

先生に伝えたいこと

今回の機会は、我が子も含めた子ども達に大きな気づきや学び・行動する機会を与えてくれました。
食事中の何気ない会話から「安濃町の何を残したいのか」という大きな命題を私に投げかけてくれました。
そのことに、心から感謝しています。

だからこそ、過去をきちんと伝え現実と照らし合わせ、時には変革を恐れず決断し、それを自分達の手で実行すること。
そんな機会を、未来ある子ども達に与えて欲しいと思います。
「伝統だから変えられない」という考えは、その意味や理由・背景を伝えなければ「伝統だから残す【べき】だ」という義務感にしか感じられません。
先生の本心はもしかしたらそれ以外にあるのかもしれませんが、どういう形であれ「義務感では伝統は残せない」ですし、今の時点では子ども達に正しく伝わっているようにも思えません。

今の子ども達によって学校の校則が変わってしまうかもしれませんが、それができるということが学校にとって新しい「伝統」にもなる。
そんな学校であることを心から願っています。

そして私もまた、安濃町で守り残したいものを探し続けます。
まだその答えはまだハッキリしていないし、ハッキリと決まってもいません。町内のこともまだまだ知らないことは沢山あるし、たとえ守り残したいものが見つかっても今後もそれは変わり続けるかもしれません。
でも今の状態でもできることは沢山あるはず。今だからこそ守り残していけるものもあるかもしれません。義務感だけではまちを守り残していくことはできません。

様々なアクションを通じて、これからも探し続けたいと思います。

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