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フィクションの楽しみ方

フィクションは,フィクションである。
現実に照らして,こんなことあるわけないと笑うのはナンセンスだと思うのだ。


私はアメリカドラマが好きだ,アニメも好きだ,小説も好きだ。
特にアメリカドラマには,かっこよさを求めている。芯がある生き方に刺激を受ける。そして,それが心地よい。言うなれば,自己啓発の一種と化しているのかもしれない。

しかし,ドラマもアニメも小説も,そのほとんどがフィクションである。
現実に照らして,こんなことあるわけないなんて,たくさんある。


例えば,
人が薬で小さくなるなんてことないし,
麻酔銃で人を眠らせてはいけないし,
薬で感情が制御されるほど単純じゃないし,
屋上に自由に出入りできる学校なんてほぼない。


フィクションを楽しむとき,そんなことが現実に起こるだなんて思っていない。


人が小さくなることよりも,姿を変えても好きな人を想い続けることが,
麻酔銃で人を眠らせることよりも,工夫して問題を解決しようとすることが,
薬で感情が制御されることよりも,人間の内面的な葛藤が,
屋上に自由に出入りできることよりも,そこに生まれる人間模様が,

それらが好きなんだ。


別に現実に照らして,あるわけないだなんていう必要はない。
その世界の中で,そこに生まれる人間模様が愛おしいのだ。


フィクションの楽しみ方はいろいろある。
メロスが本当は走ってなかったって数学的に考察するのも一つ,現在の科学をもって道具を再現するのも一つ。登場人物と自分を照らして,自分の生き方を見つめるのも一つ。


だから,お願いだから,あるわけないだなんて笑うことはやめてほしい。


イメージを共有することは,人類ならではではないのか。われわれが社会を形成できるのは,そこにないものを共有できるからではないのか。

そうやって生きてきた人類は,これからもソウゾウを楽しめばいい。


そこには,あるわけないなんてことはない。




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あるわけないなんて笑いそうになるなら,あるわけない理由を真面目に考察してみたら,おもしろいかもね。メロスみたいに。


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