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イスタンブールに住む友人の言葉で気付かされたこと
自分にとっての何気ない場所は誰かにとっての大切な場所で、自分にとっての何気に人は誰かにとってのかけがえのない人。
つい先日、トルコのイスタンブールで起きた爆破事件で私はこのことを強く実感した。
久しぶりの投稿となる今回は、先日のイスタンブールの爆破事件を受けて考えたことを感覚が鮮明なうちに書き起こしたいと思う。
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多数の負傷者を出し、白昼で起きたこの事件は世界に衝撃を与えており、当然私の目にもニュースはすぐに飛び込んできた。
私にはブルガリア留学中に出逢ったトルコ人の友人が多くいる。
私がニュースを見てすぐに感じたことは「彼らが巻き込まれていないだろうか」ということだった。
いつもは何気ないことを報告し合う「連絡手段」である“インスタグラム“がこの時には『生存確認』の手段になった。
トルコ在住の友人のインスタグラムの投稿をみて感じたこと
トルコに住むすべての友人が無事ではあったが当然、それぞれが悲しみや怒りの思いをインスタグラムであらわにしていた。
その中で、私は、ある友人の言葉を見てハッとした。
「タクシム(事件が起きた現場のすぐ近く)は、大切な友達とご飯を食べにいったり、遊びにいったり、毎日のかけがえのない日常生活を送る場所だ。観光地だけじゃない、私たちの生活の場なんだ。」
これはあるニュース記事の
「トルコにある多くの観光客が訪れる有名観光地で起きた爆破事件」
という見出しに対する言葉であった。
そこに、日常生活があることを忘れてはいけない
私は4月のイスタンブール旅行でも今回の事件の現場を訪れていた。
だからこそ、「あの時笑顔で話してくれたジュース屋のおじさんは大丈夫だろうか、ダンディな古本屋の店主、日本が好きだと言ってくれた石鹸屋さんのお姉さんは?そして彼らの大切なひとたちは?」
色々な不安が頭をめぐった。
私が一人の観光客として見たあの街には確かに「そこで生きる人々の日常」があった。
今回の事件だけではなく、国内外で起こる悲しい事故や事件に巻き込まれてしまった人のそれぞれには、大切な日常と彼らを思う人々の存在があったと思う。
そこに、犠牲者の数も場所も関係ないだろう。
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そして、私にもあるかけがえのない日常生活。
これを精一杯送る中で出会う、何気なく入る店の店員さん、駅ですれ違うだけの人たち。
彼らが後ろで抱える、大切な日常生活と大切な人の存在を想像できるような、そんな人間でありたい。
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