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「楽しい」はコミュニケーションの基本 その2

どうも皆さんこんにちは Ψ( ̄∇ ̄)Ψ

最近は中々blogに取れる時間が無くなってきており、質の高い文章を目指すのが難しくて新たな悩みが発生中です^^;

今回も、ざっと感じたことを記しただけですが、それでもよろしければお付き合いください。


はじめに

以前のblogでこんなことを書きました

コミュニケーションの始まりは、「メンバー間の”楽しい”という気持ちが共有し合えたということ」がテーマだったと思います。(そこまで深く考えて書いてはいませんがw)

今回取り上げた内容も、日々いいコミュニケーションとは何かを考える上でのヒントとなりそうでしたので、触れてみることにしました。


「光のお父さん」って何?

最近書店に行った時、こんな本を見つけました。

ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん (マイディー著 講談社)


な、なんやこれ?(^ω^;)

お父さんが光の戦士?どういうこっちゃねん??


※以下内容

子供の頃から、大人になった今まで、ずっとすれ違い続けてきた父と、もう一度やり直したい。そう考えた息子が思いついたのは、オンラインゲーム「ファイナルファンタジーXIV」に父を誘い、自分は正体を隠して父と共に冒険し、いつの日か息子であることを名乗り出ようという、壮大な親孝行計画だった。光の戦士となったお父さんの実話はネットで大きな話題となり、誰もが固唾を呑んで「その日」を見守った。さて、その結末は!?


パッと見た時は、いわゆるネットが出所の感動系「釣り話」(ようは創作)の一つかと思ったのですが、著者のblogを見たら、普通にガチでやっててたちまち惹きこまれてしまいました。(笑)

一撃確殺SS日記「光のお父さん まとめ読み」


話の内容自体面白いのですが、最近テレビドラマでやってたのをご存じな方はいませんか?

テレビの方は終わっちゃいましたけど、Netflixなんかでも見られますので、登録している方はどうぞご覧になってみるといいですよ。



ここが凄かった

自分がこの話に惹かれた点は二点あります。

1、オンラインゲームによるコミュニケーションの楽しさを、年の離れた親子が共有できたこと

2、テレビドラマとして新たに企画され、放映されるまでの事細かな過程が、筆者自身の関わりからblogにて明確に記されていたこと。(つまりテレビドラマの作り方を、そのまま学ぶことができたこと)


1ではコミュニケーションの取り方というものの本質から
2ではテレビドラマの作り方というビジネスの目線から


私も学生時代オンラインゲームをしていた時期があります。
ですので、オンラインゲームによるコミュニケーションの発展の可能性には共感できました。

さらに今はビジネスというものから、新しく物事を見ることにも興味を抱いております。

このことから、自分にとっては参考としたい学びが沢山ありました。

というわけで、今回はこの「光のお父さん」を通して感じたことを書いてみたいと思います。


本日のテーマ

・父のオンラインゲームデビュー
・親と子のコミュ二ケーションの変化
・オンラインにおける人間関係の構築
・素人とプロの協働


まずは「親子というもの」の関係について触れたいと思います。



◎オンラインゲームをする父

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まずこの物語で注目すべきは、60歳を超えた父親が、「オンラインゲーム」という、ある意味時代の先端を行く遊びをしていることです。

きっかけとしては息子からのプレゼントとはいえ、まぁやってみるかと挑戦された柔軟性がいいなぁと思いました。

世間的には、年配の人はそういう機械に触れたがらないものだという風潮な気がしていましたから。

とはいえ、私の父親(同じく60代)もPCでゲームしている人だったので、意外と好きな人はいるのかもしれません。


ネット文化に対応して

父親をゲームに誘ったのは、初めは話のネタにでもなればというつもりだったのでしょう。(マイディーさん自身、きっかけは1人フレンドを新たに誘ったらもらえる特典目当てだったと書いてますしw)

オンラインゲームという性質上匿名が基本ですし、正体を隠しながら父と交流するというのはそんなに難しいものではないかもしれません。(もちろん、リアルでは正体を隠さないといけない訳ですが)

しかし、オンラインゲーム初心者の父親を見守りながらプレイするというのは、それなりにストレスが溜まるかもしれませんね。

ネットである以上、ネット文化の空気が読めることが前提みたいなものはありますし(年配の方やネットに普段から触れてないとわかりずらい)、面と向かって割とひどいこと言ってくる人もざらにいますから(^^;)

そういう気遣いをしながらも、得たものは大きかったのではないかと思います。



◎いつから親と子は一緒に遊ぶことが無くなるのか?

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この物語を見ていて思ったのが、何歳ごろから親と子は一緒に遊ぶということをしなくなったかということでした。

確かに、小さい頃なら一緒に遊ぶというのがある意味当たり前だったと思います。(残念ながら、遊んでくれない親も当然いるわけですが)

多分、子どもが成長していく中で、段々と両親から友人へ遊び相手をシフトして行くのでしょう。

では、成人になった子どもは、もう親とは遊びたいと思わないものなのでしょうか?


親子のコミュニケーション方法の模索

成人となった親子のコミュニケーションの方法は、現状かなり少ないと思えるような気がします。同じ趣味、スポーツをするか、酒を飲むか。精々これくらいでしょう。

だからといって、交流がしたくないわけではないと考えます。(だってねぇ・・・ 普通に親子をやってる場合、少なくともお互いが生きている間はずっと親子という意識は離れない訳ですし^^;)

子どもが成人になったから、もう親と遊ぶ(お互い楽しむ)ことをしないというのは、あくまで大人側の意識でしかないのではないかと思いました。

その点、今回のお話は、親が子ども側のコミュニケーション方法に参加するというやり方でしたから、意識の壁みたいなものを突破するきっかけとなったのではないかと思います。

結果については、割と笑えるし感動もできるので、読んでみるといいですよ。

それでは続いて、「オンラインが生むコミュニケーションの学び」について触れたいと思います。



◎ネットだから出来た人間関係の再構築のしやすさ

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オンラインのコミュニケーションにおいて重要なのは、リアルにある人間関係を深く考慮しなくていい点です。

つまり、上下感、世代、社会的な常識をいったん横に置いたフラットな人間としての関係が作り直せるということであると言えます。

もちろん、今回の話の場合、マイディーさん自身は父親がプレイしているキャラのことを知っているので、そのキャラは父と同一なのですが、他の人に関してはまさにオンラインのみで繋がっている関係として、あまり相手のバックボーンに至るまで考える必要はありません。


メリットとデメリット

これに関しては、いい面と悪い面の両方があります。

いい面は先ほど示したように、肩書き抜きの純粋な人間関係の距離で他者と付き合うことが可能になること。

悪い面は、性格が合わない人と会った場合は、合わせることに苦痛を感じてしまい、やろうと思えばすぐに関係を断ち切れること。

オンラインゲームは半匿名なので、いざ我慢するという行いをしなくても、人間関係は簡単にやり直せるので、作っては壊すという渡り鳥のような行いが癖として身に付いてしまう可能性があります。(もちろん人によりけりではありますが)

私自身は、ネットとリアルの人間関係はお互いがフィードバックしていると考えているので、結局のところ、リアルがダメならネットもダメなのではと考えてしまう部分も否定できません。


ネットで出来ることを活かす道

しかし、人はいくつであっても学習することができると思います。
ゲームから現実に活かせることを学ぶことは可能なはずです。

原作において、父親がゲームの人間関係からチームの組み立て方を学び、それを現実の仕事のチームに活かすという視点が語られておりますが、これはまさにそのことを証明していると受け取ることができます。

つまり、「ゲームは所詮遊びだから〜」とか、「ネットはリアルな関係には及ばないから〜」と言った言葉は、言い訳にしかならないでしょう。

何事も、自分の経験を別のことに活かす方法を見つける方が楽しめるのではないかと思います。

それでは、最後に「テレビドラマ化への挑戦について」触れます。



◎素人がプロと協力してドラマを作るということ

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今回blogを読んでいて、さらに素晴らしいなぁと思ったのが、テレビドラマ化についてのお話です。(「光のぴぃさん」参照)

一言で言ってしまえば、ドラマ化の裏話を綴ったストーリーなのですが、ここでもまた笑いと感動を感じられます。


光のお父さん関連で人気になっていたblogだったので、当然書籍化への依頼は来る訳ですが、色々上手くいかずとん挫する訳ですね。

そんな中現れた「ぴぃさん」(仮)が、blogの内容をテレビドラマとしてお茶の間に届けたいとやって来ます。
ここから始まるドラマ化への過程の物語が実によく描かれており、これだけで別の作品になるのではと思う出来です。

マイディーさんとその仲間は、ドラマ化実現のために積極的に活動に関与していく訳ですが、それは学園祭で一つのものを作り上げるために皆で協力し合うような楽しさを感じられます。


自分ができることは?

マイディーさんはプロの映像技術者でもなければ、脚本家でもないので、いくら原作の執筆者とはいえ、ドラマなど撮ったことはありません。

元々blogを面白く書いていたので、コンテンツの見せ方や表現の仕方は出来る方だったのでしょう。これだけでも、大いに参考にできますけど。(あとでインタビュー記事を読んだら、元お笑い芸人だったとか?)

ではドラマ化において自分の役割は何か?と考えた時、面白い方向性が出てきます。

それはドラマでゲーム内の映像をそのまま使い、そのキャラを自分で動かしたという点です。

当たり前のように聞こえるかもしれませんが、かなり画期的な出来事だと思います。

だって皆さんは、今までゲームの映像がそのまま放映に使われ、ゲームのキャラにそのまま声優の声が充てられ役者を演じているドラマなんて見たことありますか?
しかも、本編の一部とかで無く、がっつり本題に絡んでいる使われ方をしています。

ここが物語おけるブレイクスルーだったのだと思いました。


新たな可能性

blogでは、このことを「アバター芸能人」、表現者として「キャラクターアクター」とされてました。

綺麗な映像が映るゲームだからこそ、時代に通ずる新たな表現の仕方が可能になったのかもしれません。

実際映像で見ると、まだ動きの粗さみたいなものがあって若干気になりますが、今後技術が発展してより鮮明な映像が撮れるようになると、いよいよゲームの映像で好きにドラマや映画を作れる時代が来るかもしれません。

自分もゲームしてた時(リアル描写寄りのゲームだったので)、この映像を使って何か新しいものができないかなと考えたものですが、まさにそれを現実のドラマに組み込んだという点で、この物語は現在放映されている数多のドラマと比較して一歩抜けた気がしますね。

後のイノベーションを起こしたきっかけの作品となったみたいに言われると、紹介した自分も嬉しく思います。



おわりに

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自分としてはかなりの好印象だったので、べた褒めな内容となりましたがw、もちろんそこは人それぞれ好き嫌いあると思いますので、ご興味を持たれた方は書籍なり、blogなり、ドラマなりに触れていただくといいのではないかと思います。

ただ私は、この物語が「純粋に面白かったこと」、「ネットのコミュニケーションを上手く使いこなしていたこと」「素人たちが率先して商用のドラマ化に挑戦したこと」「ゲームというものに別の映像化の可能性を提示したこと」など様々な面で刺激を受けることができました。

他の方にとっても、色々と感じとっていただけたら幸いです。

本日はこれにてl ̄∇ ̄)ノシ




何らかのアクションをいただけると、一人で記事を書いてるわけではないのだと感じられ、嬉しくて小躍りしちゃいます。