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TERRADA ART AWARD 2023 感想

 寺田倉庫が主催している『TERRADA ART AWARD 2023 ファイナリスト展』を訪問した。
 11時の開場ともに入場したが、他にも5名ほど開場待ちの人がいて、関心度の高さを感じた。

 ファイナリストになった、新進気鋭の現代アーティスト5名によるインスタレーションが展示されており、入場無料のため、現代アートに親しみのない人でも気軽に入ることができる。同じく寺田倉庫で開催されている『ゴッホ・アライブ』の前後でも、ぜひ訪れてみてほしい。

 展示内容で特に印象に残ったのは、金 光男氏の赤い蝋で造られたカヌーの展示と、冨安 由真氏のマジックミラーを利用したインスタレーションであった。

 金氏の展示は、赤いカヌーが亡命、戦争による逃走、アイデンティティの危機などを象徴している。赤い蝋がただれるようにカヌーから溶け出ていく様は、自らの生命・アイデンティティが徐々に融解・変容していくことを物質的に表現しており、「赤=血」の連想からもより深刻さを醸成している。
 このカヌーを見ながら、変化ということについても思いを巡らせた。確かに、爆弾一つによって、すべてが非連続的=断絶的に変化してしまうこともあるが、戦争にしても、アイデンティティ・クライシスにしても、「ゆるやかに=連続的に」変化していくことが実情としては多いのではないか。平和な町が、徐々にきな臭くなり、避難勧告が出され、少しずつ脱出する人が増えていく様子を想起し、ただれた蝋の流体が人々の集合体のように見えた。
 一方で、カヌーは新天地へと漕ぎ出す人々のたくましさの象徴でもある。たとえ泥舟であったとしても、自分の生命をかけてどこかへ向かおうとする強さを本作は讃えている。日常やアイデンティティを侵食していく社会の力と、その中でたくましくあろうとする人間の強さの均衡が、赤い蝋と空気の接触面には現れている気がした。

 冨安氏のインスタレーションはまさに「強制的な体験」であった。小部屋の中が小さな回廊になっており、内側の壁は鏡に、外側の壁は廊下を描いた絵が等間隔に飾られている。
 内側の壁がマジックミラーになっており、普段は自分の姿が映されているが、不意に廊下が暗転し、マジックミラーの内部が照らされる。そこにはビルなどで一般的な監視室が展示されている。
 監視室の中を観察していると、ふと廊下が明転し、マジックミラーはただの鏡になる。自分は一切視線を動かしていないにもかかわらず、「自分→監視室→自分」と認識内容が変化させられる。
 自分が見ようとしているものは、本当に自分の意思によって見ているのか、という問いを投げかけられているように感じた。
 監視室の内部は本来、自分がいる廊下の様子が映されているらしい。ただ、監視室内が明転している時には、その様子は映すことができない。つまり、自分が見られている時には、相手のことを見ることができないという非対称的な関係性が演出されている。視線の交差は本当に成立しているのか、という問いも感じた。

 他3名の展示も非常に示唆に富んでおり、大変満足度の高い展示会であった。昨年のジブリ展など、寺田倉庫のアート・カルチャーへの寄与度は非常に高く、今後も積極的に足を運びたい場所となっている。


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