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舞台「エンジェルス・イン・アメリカ」を観て

7時間上演への興味

最初、新国立劇場でこの作品を上演するとネットで見たときに、すごく期待感が上がっていました。
今までも日本で上演されてきていますが、自分は観たことがなく(上演しているのは知っていたけど、足を運ぶ気持ちがなかった)、今回オールキャストをオーディションで選んで、そのキャストもかなり豪華。そして第一部・二部を通じて、7時間の長丁場と聞いて俄然興味が湧いた次第です。

長丁場の作品って興味があるけど、最近は上演される機会も少なく、少し前にDULL-COLORED POPが上演した「福島三部作」の一挙上演くらいでしょうか。あれも行きたかったのですが、日程が全く合わずで断念。しかもあの問題が起こったので、おそらく今後は上演される機会は殆どないだろうと思います。
個人的には昔、野田秀樹さんの劇団・夢の遊眠社が代々木第一体育館で行った「ストーンヘンジ三部作」の一挙上演が思い出されます。あの一大イベントは、芝居が見えにくいなどの話もありつつですが、小劇場の話題の中ではかなりのものでした。あとでフジテレビが深夜の番組「録画チャンネル4.5」で放送されたので、それをものすごく楽しみにして観たことを覚えています。もうフジテレビにもマスターはないだろうから、記録映像も残っていないのが残念です。
そういう感覚なので、長時間の舞台って、なんか一大イベントへの参加みたいで、妙にワクワクしてしまう性分。読書とかも分厚い書籍が大好きで、そういう本を手にとってニヤニヤしてしまうタイプです。
仕事の関係上、行ける日程が多くあるわけではないので、一日で済ませるには通しで見るしかない!と決めて、いくつか探して無事に第一部・二部を通して観劇できる日を確保。準備をして、気合を入れて見に行きました。
懸念は、座り過ぎで臀部が痛くなることと、途中で空腹になることでしょう。


受け継がれる作品

自分以上にご存じの方も多いでしょう。かつてはベニサン・ピットという有名な劇場でも上演したと思います。豪華なキャストで2004年に上演したときは読売演劇賞ももらっていたんですね、さすが。
今回は新国立劇場の小劇場です。自分はこちらに入るのは初めて。いつも中劇場で作品を見ていたので、どんな感じかなと興味津々。
確保した席が両サイドのB席だったので、ちょっと不安でしたが杞憂でした。少なくともシアターコクーンのコクーン席よりはずっと見やすくて、良かったです。
作品自体は、そもそも1991年にアメリカで初演、そこから30年以上時間が経過した世界観の作品ですが、現代の社会に通ずる部分も含めて、非常に興味深い作品でした。
ストーリーはこういう感じです。引用します。

<第一部>
1985年ニューヨーク。
青年ルイスは同棲中の恋人プライアーからエイズ感染を告白され、自身も感染することへの怯えからプライアーを一人残して逃げてしまう。モルモン教徒で裁判所書記官のジョーは、情緒不安定で薬物依存の妻ハーパーと暮らしている。彼は、師と仰ぐ大物弁護士のロイ・コーンから司法省への栄転を持ちかけられる。やがてハーパーは幻覚の中で夫がゲイであることを告げられ、ロイ・コーンは医者からエイズであると診断されてしまう。
職場で出会ったルイスとジョーが交流を深めていく一方で、ルイスに捨てられたプライアーは天使から自分が預言者だと告げられ......


<第二部>
ジョーの母ハンナは、幻覚症状の悪化が著しいハーパーをモルモン教ビジターセンターに招く。一方、入院を余儀なくされたロイ・コーンは、元ドラァグクイーンの看護師ベリーズと出会う。友人としてプライアーの世話をするベリーズは、「プライアーの助けが必要だ」という天使の訪れの顛末を聞かされる。そんな中、進展したかに思えたルイスとジョーの関係にも変化の兆しが見え始める。

新国立劇場HPより

作品の中では一つはレーガン政権における政治情勢への不満、そして当時の脅威と恐れられ、偏見との戦いもあったAIDS(HIV感染者)を取りまく環境を三者の人間模様(ルイスとプライヤー、ジョーとハーパー、ロイ・コーン)を軸に描いていきます。そこに天使の存在が加わることで、人生における生きる意味、愛するヒトの存在、自身の価値がどこにあるかなどを、7時間の第一部・二部を通じて描いていきます。
AIDSにかかるプライヤーには天使が来るが、一方のロイには死刑台に送った女性が現れる。このあたりの違いも含めて、同じ感染者でも自身の歩みによる違いだったり、ルイスという人物の浅ましさや、それでもなおプライヤーとの愛などが描かれる。一方ジョーはモルモン教徒でありながら、同性愛という教義に反する思いを抱えて、助けたいと思った妻ハーパーとは、関係性が破綻、そして気持ちに忠実になって知り合ったルイスとの恋愛関係も壊れて、結局何も残らない。
そういう流れを時間をかけて見せていくのが、この作品です。

ストーリーへの感想

三者の人生における様々な感情や場面を見せていく舞台ですが、、、、やはり今の時代で見ると、時代設定が1980年代ということもあり、時代のギャップを感じさせます。今は情報のスピードが早いこと、恋愛に関する寛容度が全く違うこと、同性婚すら普通にある時代なので、昔はそうだったなあ、、、、という感覚で見ている自分がいる。そうすると、なんとなく舞台上での登場人物の心の機敏にズレを感じてしまいます。
これは別に作品が悪いとかではなく、観客である自分を取り巻く変化の問題。それをわかった上で、今回の作品を上演する狙いはあったと思います。むしろこの時代で起こった様々な構図が、今の世界でのコロナ社会で通じる部分も含めて、また多様性を受け入れる社会の入り口という点でも、自身がどう受け止めるかが、作品を楽しむポイントだと感じました。
特にロイ・コーンの持つ権力と、彼が見せる特権階級としての人間性は、今の時代にも存在するものだし、プライヤーの見せる愛情やルイスの逃げる様なども人間性も同様です。
天使の存在は、なんというかそこが中心ではないと自分は思っています。天使がいたから、救われるわけでもなく、その存在がありつつも大事なのは、自身がどう生きるか?を特にプライヤーが見せてくれています。
このあたりが、時代のズレは感じつつも、良い作品だなと観ていて感じたところでした。

役者の方々の奮闘

ほんとに大変だと思います。精神力、削られるよな、、、と思いながら。どの俳優さんもそれぞれの配役の中で、ポイントになる場面があり、そこの印象が長丁場の中でもしっかりと残る演出になっています。
個人的にはまずは鈴木杏さん。
やはりすごい、このヒトは。精神不安定なハーパーという役柄が、そのまま彼女の個性とセットで、前半の不安さとラストの力強さが見事に対比されています。自分の誕生日になんでマーティンの格好でSNSに上げるのか?というおふざけぶりも流石です。
山西惇さんのロイ・コーンも見事。病室での最後のシーンは、ロイの人物像を集約したような演技。山西さんが本当にうまく見せてくれます。いろいろな作品で見ることが多いし、昨年の「世界は笑う」のさんかく座・座長など、本当に幅広いキャラを見せてくれます。
岩永さんのプライヤーはすごいなあと思いながら観ていました。一番むずかしいと思うんです。特に救世主とかいう話になってからは、病気を抱えて死と向き合う自分、恋人を失ったことへの絶望、そういう自分からの脱却という歩みをしっかりと見せていく役柄です。岩永さんは前半での境遇を嘆く演技と、後半の意思を持った歩みの部分が、非常にうまく対比されていて、良かったなあと。プライヤーは救世主って言われますが、自分の観た印象としては、要は生きていくための向き合い方を切り開いたっていう部分ですよね。必ず助からないと言われていたAIDSに感染しても、薬の力もそうですが、それ以上に自分の意志で歩いていく変化を作り出したという意味で。岩永さんはそんな演技を見せてくれていたと思います。
浅野さんのベリーズは、この作品の中で非常によいアクセントを感じる役柄でした。プライヤーとロイに関わる部分が多いのですが、看護をするプロとしての側面、黒人という人種としての生き方など、いろいろなものがちょうど交わるポジションです。そこを抑えた演技ですっと見せてくれるので、いろいろなセリフに説得力がぐっと増していく。そういう部分を感じさせてくれました。
ジョー役の坂本さんは、ある意味、だめなヒトなんですが、それでも自分の立場というものに縛られた生き方から周りにいる人を結果として、苦しめることになり、自身も苦しむ。同性愛というマインドに正直になったが、結果として、それでも報われることなく一人の人生をひっそりと歩んでいく。そういう難しい演技をしっかりと見せてくれていて、特にルイスとの関係性は、解き放たれたようなキャラクターを見せてくれていました。
永村さんのルイス、作中では一番ダメな役柄ですが、本当にそう見える演技でした。政治に対する不満は語るが、何かを変える勇気もない。恋人がAIDSに感染したら、恐怖に負けて逃げる。新しい恋人ジョーの覚悟には、最後まで向き合う勇気もなく、未練があるプライヤーに戻るも関係性は拒絶される。まんまそういう人に見えました。なんというか、言葉の軽さが演技でしっかり作られていることが大きいんだと思います。
那須さんのハンナは、息子の告白を受け入れることを拒絶する母と同時に、プライヤーとの関係の中で新しい自身の世界を広げることができていく。モルモン教の敬虔な信者であっても、そういう世界を広げていくことが実践できる母をしっかりと感じさせてもらいました。
水さんの天使、最後にぐっと降りてきて、迫力ありすぎで、おおーっていう感じです。天使っていう役、この作品では実は結構難しいと思うのです。天使の存在が、直接世界を動かすわけでもなく、特にプライヤーの変化のきっかけというポジションなので。そういう意味ではバランスが大変だろうなあと思います。

諸々

見に行ったときは第一部はほぼ満席、夕方からの第二部は8割位の客入りでした。二部のときは最後尾に演出の上村聡史さんが座っていて、演技をチェックされていました。
実際、通してみたお客さんは半分くらいなのかな?もうちょっといたかもしれませんが。
個人的には、ちょっと時代を感じさせる部分への、違和感というかズレは感じていました。それはもうアップデートされた情報に日々触れているし、レーガン時代を描きたいわけではないにせよ、宗教・社会の連帯など、今の時代の変化を日々感じるすべがある私達には、この作品の中での人物の描かれ方は、ある意味「古いヒト」になっている。
ただそれも含めて、今の時代を生きるヒトは、どう感じればいいのか?という示唆という意味で受け止めるものが多い作品であったとも思います。
7時間の長丁場、配役を始め、スタッフの皆さん、それから自分と同じように観劇した皆さん、本当にお疲れさまでした(笑)



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