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虚構の劇団・解散公演「日本人のへそ」の感想

今日が大千穐楽で、解散日です(12月11日)。自分はチケットがこの日の公演は確保できなかったので、後ほど配信の大千穐楽を楽しもうと思います。
公演自体は、先週池袋で見たので、その感想を先に残しておこうと思います。
鴻上さんの舞台を見るのは久々で、前回も虚構の劇団の「ピルグリム2019」でした。個人的には第三舞台が大好きだったので、あの劇団も解散し、そしてまた鴻上さんが作った劇団が解散する。ある意味、劇団という枠組みの終焉を知るというのはバンドの解散以上に不思議なというか、寂しさが強く残る感じがします。劇団という集団を観客としてみているとあの一体感がすごく羨ましいと同時に、やっぱり儚いんだよなあと感じます。だからこそ、プロデュース公演とは違って、劇団という枠組みでの公演を見る楽しさは、また違ったものを感じたりすることもあるのかなと。
この劇団の最後の瞬間は後ほど、配信で見るとして、とりあえずは作品の感想をまとめておきます。

井上ひさしさんの戯曲

今回、井上ひさしさんの戯曲を公演するというのは、コロナでの休演になる前の段階で出ていた通りで(この休演になったときも、もともと虚構の劇団の活動停止となっていましたが)、最後に選ぶのが鴻上さんのオリジナルでなく、井上ひさしさんの作品ということにちょっと驚きました。自分はこの作品を名前でしか知らなくて、調べたらもう50年以上前に書かれた作品で、しかも井上ひさしさんの初戯曲ということを知って、こういう作品をやるのか、と更に驚いたのを2020年の最初の発表のときに思いました。実際、調べてみると吃音症の人の治療のための演劇という枠組みの中で、天津ヘレンという伝説のストリッパーの生涯を見せるという設定。吃音症とストリッパーの生涯という組み合わせが全く自分の中でピンとこなかったし、更にその戯曲が50年以上前に書かれたということに、不思議な感じがします。
井上ひさしさんって、作家としてのイメージと、蜷川幸雄さんが演出していた「ムサシ」などのイメージが強く、とにかく亡くなられたときの三谷さんや野田さんといった自分が大好きな演劇人の方々の、敬愛やまないコメントを読んでいて、一度でもきちんと触れておくべきだったなあ、、、、、と反省したのを覚えています。今回、こういう形で見ることができたのはとても良かったです。

「日本人のへそ」の感想

吃音症の人を治療するための演劇という枠組みが最初に提示されます。吃音症は自分の言葉、自分の気持ちが入る言葉になると、うまく表現することができない。だから、自分ではない人物の演技をし、そのセリフを話すことで、言葉を発する練習をしていくことで吃音症が治るという設定でスタートします。そこで今回は天津ヘレンという伝説のストリッパーが誕生した経緯を、劇中劇として演じるという構造でストーリーが進み、第一部はその劇中劇が話の殆どを占めています。
歌やテンポは鴻上さんらしい流れで、まさに体を張った演技をしているのは、劇団のヒロイン小野川晶さん。作中はセーラー服だったり水着だったりと様々な場面でいろいろな表情を見せてくれます。
冒頭での役者さん泣かせのセリフのオンパレードをさらっとこなした久ヶ沢徹さんはすごかった。あれほんとうに覚えるだけでなく、あえて機械的に話さないといけないところで、あの演技はすごいなあと関心しきりでした。
見ていて途中面白かったのは、三上陽永さんと梅津瑞樹さんの売れない芸人のストリップ劇場でのネタ披露の場面で、PA席のスタッフさんがガチなのかどうかはわかりませんが、大笑いしてしまってそこに反応した三上さんたちがアドリブで暴走するところ。あそこはどう収めるかなあ、、、と思いながら見ていましたが、ああいう感じも劇団ならではの動きにも思えるので、見ていて楽しいという感じと、ああこういう一体感がまたなくなっていくんだなあとあとで感じました。
ストーリーは後半、ストリッパーが寝る客の中に大物代議士がいて、その代議士が殺されて、犯人を探すあたりから急に展開が変わり、犯人探しの過程の中で、実は多くの関係者が同性愛者という話が急に盛り込まれたり、結局はそこまで含めて吃音症の芝居でしかもそれを治療するために指導している教授は、実際には違う人物というところまで進んで終了になります。
ほんとに50年以上前の戯曲とは思えない作り込みだし、演劇としてみて面白い仕組みだなと思います。

劇団の解散

どこかではやってくるし、こうやってある程度著名な劇団でなくても、普通に解散ということは劇団では起こっていると思います。
喧嘩別れだったり、単純に経済的に自立できないということもあります。ましてやコロナ禍においては、この状況は顕著でしょう。大きい体力のある劇団ならまだしも、チケットを売るノルマがあるなどの状況があれば、コロナで中止なんて起こったらそれこそ借金しかないレベル。
この劇団は鴻上さんが第三舞台のときのような成長を味わい、演劇で食べられる役者として育てるという目的があったと思います。そういう意味ではその目的にある程度近づいたということもあるのでしょうか。このあたりはパンフレットに書かれているのかな?
第三舞台は活動休止になってから、かなりの年月が空いて、そのあと復活するときにはもう殆どの役者さんが自立した活動を普通にしているか、すでに引退されているかでした(京晋佑さんなど)。
野田さんも以前「夢の遊眠社」を解散されるときに役者の器用だったり、スケジュールだったりという「枠組みの維持」の難しさを話していたと思います。例えば夢の遊眠社の解散公演のときには、看板役者の上杉祥三さんは出演していません。千穐楽の最後の番傘の挨拶に来ていたと後で知ったときは嬉しく思いました。
自分は夢の遊眠社、東京サンシャインボーイズ、第三舞台、虚構の劇団など、自分が演劇を見るようになってから解散した劇団を結構見てきている気がします。なくなることは時間ともに必然なんだと感じます。いつまでも残るものではない。人も年令を重ね、仕事として行う商業演劇であればなおさら演技をすることで食べていく生活というものが必要になる。
若いうちにそういうこともひっくるめて、いかにもな感じですが、役者として夢を見て、その熱意を劇団という枠組みの中で、演じたいもの、作りたいものを観客にぶつけるという時間を、客席で感じることができるのは嬉しくもあり、同時に年令を重ねた自分の中の郷愁感でもあるなあ、、、、と感じることが多いです。
なんであれ、虚構の劇団の役者さん、演出部のみなさん、ほか劇団運営に関わった方々、本当にお疲れさまでした。
次なるステージでのご活躍を楽しみにしております。


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