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NODAMAP「兎、波を走る」 東京千穐楽で見る

「フェイクスピア」以来の新作

久々の野田秀樹さんの新作。一昨年の「フェイクスピア」以来でしょうか。あの作品も素晴らしかったですが、今回もまた素晴らしい観劇体験を味わうことができたと思っています。
配役は、前作から続投の高橋一生さん、野田地図常連の松たか子さん、様々な舞台作品(主に松尾スズキさん関連でしょうか)に出演されているが、野田作品には初となる多部未華子さん、秋山菜津子さん、山崎一さん、大倉孝二さん、大鶴佐助さんが主な出演者です。
新作を見ることができる機会は、野田さんの年齢を考えるとそう多くもないんだよなあ、、、という寂しさを持ちつつも見ないわけにはいかないので、何とかチケット確保。ただ野田地図先行はすべて外れ。ぴあもすべてアウト。イープラスでようやく確保。しかも東京千穐楽というありがたさ。イープラス様様です。ぴあはぴあカードをやめてから、ほんとに当たらなくなりましたね、まあ仕方ないけど。

あの問題に切り込む

最近は野田さんの描く作品は、現実世界での問題を素材に作ることが続いています。「エッグ」の化学兵器研究、「逆鱗」の人間魚雷、「足跡姫」は中村勘三郎さんへのオマージュ、「Q」はロミオとジュリエットをモチーフにしたシベリア抑留、「フェイクスピア」は日航機墜落事故。こうやっていろいろな素材をどうやって野田さんの戯曲世界に広げるのか?が不思議ですが、どの作品を見てもただひたすら「すごい」という言葉が出るばかりです。今回の「兎、波を走る」は北朝鮮による拉致事件を不思議の国のアリス、ピーターパンをモチーフに作っています。
個人的には出演者以外の事前情報はほぼ入れずに行きました。そのほうがより楽しめると思ったので。前回の「フェイクスピア」も同じ感じで観劇しに行き、そしてラストのボイスレコーダーの言葉をそのまま使った舞台上の出来事に、涙することしかできなかったです。
今回もその観劇の中で新鮮さだったり、自分の中でのどう受け止めるか?を重視したので、あえてインタビューやメディアの情報は仕入れずに、芸劇に足を運んでいます。

素晴らしき俳優陣

前回の出演で、素晴らしい信頼感をお互いに持った野田秀樹さんと高橋一生さん。続投はすごく当たり前のようにも思えます。かつて野田さんが堤真一さん、妻夫木聡さんを使い続けたように、今は高橋一生さんのターンなのかもしれません。高橋一生さんが舞台に出てくるときの最初の動きのしなやかさがすごい。フェイクスピアの時もそうですが、あのシーンの重要さがあとで見ている観客に大きなインパクトを残しています。フェイクスピアのときは日航機墜落の瞬間の森を連想させ、そして今回の高橋一生さんのモノローグは拉致されたまま帰ってこない人に対する言葉を響かせる。この最初の場面の言葉が後になって、より一層の強さを増すという演出があるときに、高橋一生さんのもつ軽やかさと言葉の強さは、非常に素晴らしいものだと思います。高橋一生さんって、声色がほとんど変わらないのに抑揚の変化がすごく強くて、そこだけで感情がぐっと観客に伝わるのがすごいなと思っています。
松たか子さんは、もう野田作品の常連。「贋作・罪と罰」で主演をされたときの強迫観念を消せない演技はすごかったし、「逆鱗」の時に見せる悲しみの深さは、すごい余韻でした。野田さんの作品でのヒロインは古くは円城寺あやさんから始まり、劇団解散後は深津絵里さん、宮沢りえさんといますが、松たか子さん含めたお三方の圧倒的な迫力は、ちょっと簡単には出せないだろうなと思います。
そこに今回入ってきたのが、多部未華子さん。舞台は多くやられていますが、野田作品は初でした。多部さんは昔「農業少女」をやられていますが、野田さん演出じゃないので。個人的に多部さんはすごくファンです。多部さんが誕生日に地元で開催したイベントにも参加したし(あのイベントは本当に楽しかった)、役者さんとして非常にうまいと思っています。今回は行方不明になる娘役ということで、松さん(母親)とはあえて絡む部分が少ない。そのすれ違い含めて、多部さんの演技の中で純粋な部分がうまく役柄にはまって、自分の居場所がわからない不安を抱える娘という構図がよく伝わってきました。
個人的には、冒頭の高橋一生さんのセリフのあとの秋山奈津子さんが「何言ってるのかわかんないでしょ?」っていうセリフが、すごくいいなと思います。もちろん茶化す意味もあるんですけど、そのセリフが出ることで、あとで重みがより一層増すことにつながっています。秋山さんは初演時の「BEE」の時の演技がすごく好きで、めちゃくちゃ迫力を感じる女優さんです。
大倉さんの途中のアドリブ、さすがだと思います。前回のフェイクスピアは体調不良でお休みされましたが、また野田作品で見ることができてうれしいです。ケラさんも観る自分はしょっちゅう大倉さんを見ている気がします(笑)

この問題を扱う意味

舞台のチラシにもありましたが「不条理」という意味を考えます。いろいろな不条理がある中で、この拉致問題は被害者にしてみれば、自分の力で何一つ解決が進まない、「国家」という壁にひたすら跳ね返され、そして時間が進むにつれて、自身にとってはリアルに進行していることが、世間一般では風化しかけてしまう出来事になる。じゃあどうすることがいいのか?の正解もなく、ひたすら声を上げて世間に訴え、国に訴え、そして少しずつ自分も老いていく、、、、、自分で解決できないこの出来事が、どうにもならないこの事実が突きつけられています。
戦争とは違った意味で悲惨であり、国家の犠牲になるこの出来事は、当事者にとっては本当に不条理であるし、この問題を解決するべきである政治といものの詭弁さや、翻弄されることの悲しみも消えるわけではない。
前回のフェイクスピアは出来事の悲惨さを、事故の瞬間に焦点を当てて見せてくれましたが、今回は別の形で娘を追い求める母、そして母を探す娘という視点を使うことで、変えられない不条理を見せてくれています。
この問題が今、ここで出てきたことで、改めて感じます。あの国家のしたことは決して許してはいけないし、そしてそういうことも含めて世界があると。

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