「はぐして桃色最大瞬間風速です」
拝啓 すずめ園さま
すずめちゃんこんにちわ!お久しぶりです。
にっきです🐇
本当に久しぶりになってしまいましたが、お元気でしょうか。
わたしは文章を書くリハビリをしながら、流れるような日々の中を懸命に生きています。文字と離れてしまった数ヶ月を越えて今、文学の全てが新鮮で、読んでいる本の1ページずつを巡って旅するような気持ちになります📚
身体の中に引き出しを持たないといけないから、心ごと早く衣替えしたいです。冬はセンチメンタルになれるから、いい句が書けるといいなあ‥冬仕様の自分を待っています。
前回のすずめちゃんの自由律俳句、秋の染まった落ち葉をすり抜けてく光のような句ばかりでした🍂
・つとめて澄んだ竹ぼうきの音
・落ちてる葉っぱが増えてゆく
秋の世界について静観しているこの二句がとても好きです。風景だけあって、感情の部分を委ねられているような句。一句目は“つとめて”という古い言葉をナチュラルに落とし込み、竹ぼうきのザラザラとした音色が包み込んでひとつの塊になって、瞬間、尊い秋の風景が眼下に広がりました。
「落ちてる葉っぱが増えてゆく」はそのままを丁寧に切り取った句。進むことで増えてゆくもの、落ち葉、そしていつか無くなってしまうもの。増えて“ゆく”という伸び伸びとした可愛らしさがあってとっても好きでした‥🍂
・どんぐりを通貨にしてる砂の城
・枯葉が少女の靴のように舞う
いつか魔法が解けて消えてしまう小さな子供のきらめきがある‥ 今だにどんぐりが通貨になる世界線で生きていたいです。きっと、大きくてツヤツヤなどんぐりの方が強い通貨になるの。
「枯葉が少女の靴のように舞う」は、秋風の肌寒さを明るく吹き飛ばしてくれるような一句ですね🩰浮かれたステップでくるくると葉っぱが飛んで、どこかしこから焼き芋の匂いがしてきそう‥🍠
総じて、秋の葉っぱの句が胸に刺さった回でした
最近日暮れが早くて切ないですが、こんな光景が広がっているのか‥!と思うと秋好きになりました そういえば焼き芋まだ食べれてないなあ‥
お久しぶりな今回は愛特集💒
愛についての音楽を聴いて、生活にまばらに散らばる愛をかき集めてみて、自由律俳句にしました
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・みつけてハート型のポイフル
・恋に生きて愛に死ぬのよ
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・君の息吸えるなんてずるいよ
・風化した街で僕錆色の天使
↪︎ 働き者達のトレンチコート、よく見ると錆色の羽が透けてる
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・おにぎりみたいな猫を飼う
・昼飯にラデュレ
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最近仕事を始めた。休憩中、沢山の人が行き交う街の中を空気のように歩く。ヘッドホンをしていると意外と世界は静かで、ザワザワと蠢く視界だけが街との接点になる。幽霊になったわたしは隅々まで観察をする。女子高生がラップで包んだおにぎりを持って歩いている、買い物帰りらしき人と肩がぶつかる、生きている感じが少しする。
散歩を終えて休憩室へ戻る。前方から歩いてきた同じ職場らしき人が随分と可愛らしい箱を持っている。はっと息を止め、また幽霊モードになって見つめてみる。
ラデュレだ。マカロンといえばの、あの、ラデュレだった。それは多分三つくらい入ったやつで、一緒に綾鷹を抱えていて、何となく朗らかそうなステップに見えた。これから食べるのだろう、お昼の時間に。そう思うと彼女の生きる世界線はすごく美しいものに思えて、わたしも真似したいな、昼飯にラデュレしたいな、なんて思った。
毎日何を食べるのかすごく迷うけれど、わたしも、一枚だけクッキーを必ず持っていくことにしている。お守りのようになっている。休息と糖分、それは控えめな自分への愛情だと思う。
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・魂の旅をしている蝿
・髪切ってさよならの香を炊く
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・ぽつねんべたべたの夜を喰む
・照れ臭さに唾垂らし封をして
・はぐして桃色最大瞬間風速です
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アイスとか溶けて指がべたべたになった時、なんとなく恋しい人の背中を思い出したりする
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・爪切りで縁切っちゃうからね
・恋をしようタイムスは秘密基地
・若さよ手のひらに透けて微笑むもの
↪︎
若さってなんだろう。イヤホンからサニーデイ・サービスの「若者たち」が流れている。朝の電車に光が差す。暖かく、青い空がどこまでも高い。
高校生の頃、道すがらこの曲を聞き、足がぴたりと止まって泣いた日の事を思い出す。あの日も、今朝みたいに怖いほど晴れた日で、でも寒さに雑草は枯れていて、さみしかった。校門までの30メートルも歩けなかった。わたしの世界にはわたしだけで、ひとりぼっちだった。今思えば全然そんな事なかったのに。お母さんにおにぎり作ってもらってたのに。
この曲はサニーデイの95年のアルバム「若者たち」の表題曲になっている。でもわたしは「Birth of a Kiss」のライブバージョンが好きでよく聴いていた。2015年の渋谷公会堂での演奏、若者時代を過ぎたはずの曽我部さんは、当事者として歌うあの頃の音源よりもずっとカッコ良く思えた。ホールいっぱいに広がる声のたくましさが瑞々しい青葉みたいで、聴くたびに涙ぐんでしまう。若者よりも若く、そして若者よりもずっと強い。
「きみの黒い髪が少し長くなりすぎたなら 晴れた日の風がきみをさらうのを待てばいい」
曽我部さんの歌詞が好きだった、なんの躊躇いもなく澄んだ気持ちでわたしのことだと思っていたし、染めたことのなかった黒髪に歌のおもかげを投影して、歩けなくなるくらいには、くらっていた。それでも何とか生きて、学校は卒業できた。
「彼女はと言えば遠くを眺めていた ベンチに腰かけ 若さをもてあそび ずっと泣いていた」
くらってしまって動けなくなる事が前はよくあったけれど、徐々に強く、というか鈍くなった。何分までに到着しないとクビになるから、満員電車にも乗れるようになった。電車の中から見える川のキラピカに感動していたのに、遠くを眺めることも減ったし、そんな自分の輪郭があの頃みたいに清澄だと思えなくって、綺麗って何かわからなくなった。
若さが沸るものならわたしはそんなに若くないけれど、そう考えるのが若さなのかもしれない。でもこの歌詞の中でひとつだけ、あの頃よりわかることはある。
「ぼくらはといえば遠くを眺めていた 陽だまりに座り 若さをもてあそび ずっと泣いていた ずっと泣いていた」
陽だまりに座って泣くような穏やかな悲しみの存在を知った。わたしたち誰だって一人で、孤独は孤独で存在していて、価値があって、それは悲しいことではないって分かった。「ぼくらは」という三人称のことを、嘘つけ、って思っていたのに、紛いもなく僕らだった。ひとりひとりの僕への、僕たちのための三人称だった。
わたしはあの頃と変わらずひとりぼっちだと感じる夜があるし、そんな夜にも慣れたり鈍くなったりするけれど、ちゃんと少しずつ大人になっている。曽我部さんの歌声が瑞々しいと思えたように、歳をとるって案外悪いことではないのかもしれない。
歳をとることは素敵だと思えるようになったけど、それでも若さについてはやっぱりわからない、わからないまま、若いまま、自分の中の清澄な輪郭をもう一度見つけたくって、わたしは今日も「若者たち」を聴いている。
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できた‥!
いざ完成するととても嬉しい。こんな文字体験をいつもしていたなんて、凄い事していたんだな‥と思いました🌷
「恋に生きて愛に死ぬのよ」は最近メロドラマ見て感じたきもち、「爪切りで縁切っちゃうからね」は古のメモ帳からみつけて作り直した感性の変わらないわたしの句、「若さよ手のひらに透けて微笑むもの」は最初にエッセイが出来て、そこから構想を得て作った句です。瞳の色そのまんまうつしたみたい
時間をかけた分だけ、どれも思い入れのある句になった気がする
これからもしばらくゆっくりかもですが、丁寧に句を作れるようにがんばります‥!
それではまたね〜すずめちゃん𓅮
にっきより
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次は11月16日 すずめちゃんの番です🎀
『ひだりききクラブ』プロフィール
出雲にっき、すずめ園による自由律俳句ユニット。隔週水曜日にnoteにて自由律俳句の交換日記、「 #ひだりききクラブの自由律俳句交換日記 」を更新している。
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