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「身体があってわたしは眩しい」


拝啓 すずめ園さま


すずめちゃんこんにちわ🐾
雨が過ぎた後だからか、今日の夜は静かです。虫の声もあまりせず、ちょっと寂しいです。


そういえばこの夏、虫が少し得意になりました。
元々意外と虫は平気で、部屋に出ても叫ばず紙に乗せて逃したりできるタイプだったのですが、蝉は苦手でした。変な動きをするし、声が大きいし、落ちている時、生きてるのか亡くなってるのかわからないから‥
でもセミの抜け殻を悠々と触れるくらいになりました。わたしの心の中の少年性が疼いたのでしょうか‥先日の撮影の時にもセミの抜け殻が落ちていましたが、持って帰りたい‥という気持ちになりました。持って帰らなかったけれど。いつか、羽化したばかりの白いセミを見てみたいです。


楽しかったな🍥るんるん



前回のすずめちゃんの交換日記を読み、「やっぱりすずめ園の夏の句は最高‥」と思いました🍉夏は苦手だけど、すずめちゃんの句が読めるのなら終わってほしくないです‥


・祖母の達筆と母の丸文字が並ぶ

年齢というグラデーションを描いた句ですが、味わい深くとても面白かったです。わたしたちの母親世代は丸文字文化だった人が多いと思うから、丸文字の母親って結構存在するんだろうな‥母親に可愛らしさを感じた時キュンとするタイプなのですが、その感情を思い出しました🌷すずめちゃんのお母さんは丸文字なのかな‥以前すずめちゃんの句で「祖母の字が薄い」というものがあったので、その句へのアンサーも感じました。

ちなみにわたしの母はなぜか驚くほど鋭利な字を書き、逆に父が丸文字です なんでだろ‥


・窓枠を外れて見えなくなった風船たち

せきしろさんが仰っていた、自由律俳句とは“iPhoneの動く写真のようなもの”という感覚を体現するような句ですね。あっぱれ‥🎈そこにあるものを静かに切り取り言葉にすることの美しさが滲み出ています。窓枠を外れた風船は何処に行ってしまうのだろう、解らないけれど、同じようなことがメタファーとして人生の様々な場面であるような気がします。


・盆の再放送ずっとエンドレスな夏

前回の交換日記の締めくくりとなった句、夏といえばの光景がドカンと現れてて、アルバムだったら☆が付いてるやつだ‥と思いました。アンセムみたい!

エッセイも素敵です。大人になって寂しくも変わってしまうこと、そして変わらないこと、どっちもあって、それが時間であること。あの頃、再放送で流し見ていた記憶のあるドラマが「懐かしの」という広告を持ち、再再放送されていたりして。わたしたちは同じように夏を繰り返しているのだなと思います。ごきげんようも笑っていいとも!も今は無いけれど、再放送エンドレスの中に詰まった夏の面影は、これからも同じように続いていくのですね。

やっぱりすずめちゃんの句、勝てないと思うし大好きと思います。どんな日があっても、言葉が出てこなくても懸命に続けている姿勢が本当に尊くって有難いです‥

それではわたしも自由律俳句ゆきます🌼


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記憶の中をわたしが巡る

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プロローグ 自由律俳句作るときはいつだってそう 思い出して思い出した分を忘れて、感情、ごはんおいし〜とかは毎日ちゃんとある でも結局何食べたかは忘れてしまう またそのうちに巡る



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タカの外れてしまった蝉だ

飛び級で走るどこまでもの夏

除草剤置き場となるポチの家

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最近犬小屋は使われていない 暑いもんね




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身体があってわたしは眩しい

はつらつ僕ら蚊にとってポカリ

南国のゆうれい経血グァバジュース味





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腕舐めて海苔の味した

湯を注ぐ三分間だけ逃避行

パスタふくらみ胃下垂の満月



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永遠の傷なんてぽんぽんしてぷい

きっとママもスキップした祭りの足跡

lv.70・グランマ・ドンキホーテ・ダンジョン

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比較的ヘビーな状況でおばあちゃんに助けを求められることが結構あります。たとえば、新宿駅の帰宅ラッシュの改札前で花屋を探すおばあちゃんとか。

今回の場所はドンキホーテでした。わたしはそもそもドンキホーテのざわざわが苦手で、いつものように無理だ‥となって壁を見てぼーっとしていたら、急に、目の前におばあちゃんが現れました。

おばあちゃんは小さくって、白いブラウスを着てて、ひょこひょこ歩いていました。緩やかに腰が曲がっていて、すずらんみたいでした。世界中でおばあちゃんしか持ってない、座れるスーツケースを携えていました。ドンキホーテのザワザワの中、眼下に現れた小さなすずらんみたいなおばあちゃんは、わたしに話しかけてきます。

「洗濯石鹸が欲しいんだけど‥何処かわからないの」

よく行くドンキホーテだったので、おばあちゃんまっててね、と言い、少し離れた場所にあるのを見つけ、案内しました。おばあちゃんは洗剤を手に取った途端、

「あー部屋干し部屋干し!これが欲しかったの!わたし近所に住んでるんだけどね、ここに売ってるって聞いて、入ってみたら物が沢山あって分からなかったの。なかなか店員さんも居ないでしょう〜だからお姉ちゃんに会えてよかったワ〜孫みたいね〜かわいいかわいい、ありがとうね〜‥」

驚きと喜びと感謝を矢継ぎ早に伝えてくれ、ありがとうね、の「ね」くらいの段階で、おばあちゃんは足速にレジの方へ消えていきました。意外と足が速いんだ、と思ったけれど、ドンキホーテの細い道、スーツケースを引っ張りながら軽快に移動していたのだから、実は物凄い技術力なのでは。狭い道なのにぶつからずここまで来れるとは‥わたしだったら、どんがらと商品を落としてしまうかもしれない。そして、いくら近所とはいえ、「洗剤が欲しい」という理由のみで、派手すぎるジャングルみたなドンキホーテに来店するおばあちゃんの好奇心は只者ではないのかもしれないと思いました。わたし、ドンキホーテに来てまで壁を見てるのに、おばあちゃんは今日を楽しんでいる。人生の目的が何なのか、少しだけわかった気がしました。

以前、新宿駅の改札前で出会ったお花のおばあちゃんも、さっき会ったドンキホーテのおばあちゃんも、RPGゲームだったらきっとわたしよりも強いです。そんな風になりたいです。



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天国交通量調査人、人、人らしき人、人、

お気持ち料頂きます魂をひと吸い



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私のホクロ発芽して百合に

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エピローグの部分

「身体、花になってくれないかな〜」と思うことがある。何とも突発的でファンタジーで、そんなことはあり得ないけれど、“身体ごと花になる”のは無理だとしても、”身体から花が生える”くらいなら空想出来そうではないだろうか、そんな時、どんなにうきうきするだろう。

例えば連なったホクロがネモフィラになったら、青いお花畑のようでかわいい。背中のホクロがスイートピーになったら、ヒラヒラとした薄い花びらが天使の羽のように見えそう。耳の上のホクロがハイビスカスなら浮かれてて夏にぴったりだし、金木犀は香水をつけなくてもいい匂いになれるし、薔薇が生えてきたらそんな自分をけっこう好きになっちゃうかもしれない。

これは現実の話だが、最近、家の敷地内に一本の百合が咲いていた。建物とコンクリートの隙間の、なんとも細い土の部分に自生して、しっかりと花開いていた。何処からか飛ばされてきたのか、誰かが落としたのかは解らないが、雨風にすらびくともしない百合は、しなやかな見た目と相反して根性があるのだな、と思った。見つけてから毎日、外に出る度に観察しており、今日も白い光を放って元気に咲いている。

わたしの身体に百合が咲いたのなら。

百合は根気があるから、わたしみたいなへなちょこの身体にも生えてくれるかもしれない。太もものホクロが百合になってくれたら、あまりにもかっこいいし、「おばあちゃんになった時孫に話す武勇伝ランキング1位」とかになると思う。どんなに悲しいことがあっても、わたしってダメだ、と思った日も「でもわたしは百合が生えてきた人間」と思えばチャラになるかもしれない。明日朝起きたら、太もものほくろから葉っぱでも生えていないだろうか、いや、少し怖いかもしれない。

結局、叶うわけもない空想をしてばかりである。「身体に花を咲かせたら」「南国のかわいいお化けに出会えたら」「天国への交通量調査が出来たら」。今回の交換日記では、このような“ないこと”を言っている。でも言葉はわたしの願いを叶えてくれる、自由律俳句のカタチになった“ないこと”は脳内よりも少しだけ肉付き、もしかして何処かにあるのでは、なんて思えたりする。それに今あなたが読むその文字は、頭に入るこの文字は、わたしから出たものなのだ。

だから今あなたの脳内で、わたしの身体に百合が生えている。



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お盆は帰省できなくなりほとんど家にいて、本を読んだり映画を観たりしていました。「ゴースト/ニューヨークの幻」を観ました。多分日本人の殆どがろくろ回すやつ、と認識しているあの映画です。思っていたよりファンタジーな映画だったけど、ろくろはちゃんと回していました。

映画の好きなところは、ファンタジーも現実も、同じ地平線で行き来できるところです。わたしの知らない人生が分かりやすくまとめられているのが映画だと思っています。複雑な気持ちになるのも、爽快な気持ちになるのも、どちらも好きです。知らない人生に移入できるのは、ワクワクとします。

映画を観たせいか、地に足をつけずに、記憶を巡り、肉付かせ、ファンタジーに昇華する、そんな回になりました。どうしても空想が好きだったり、おちゃらけてしまうのは、自分の生活とファンタジーを地続きに思っているからかもしれません。わたしの人生が映画だったらそんなに見応えないけれど、たまたま見つけたいろいろな記憶を、貼り付けたり書き足すのは楽しい。

でもそうしていた中で、この感覚は生きているからこそのホンモノだ、と思った瞬間、「身体があってわたしは眩しい」のような句ができます。たまにこういった感覚は無くなるけれど、見つけたとき宝石のように思います。

💎

これは違うお話なのですが、しばらくTwitterをお休みすることにしました!少しだけ離れて、揺蕩うような気持ちや身体の軸をわたしの中に取り戻してから良き日に戻ろうと思っています。 

👻

すずめちゃんにはご迷惑をおかけしてしまうのですが、ちょっぴりだけ甘えさせていただきます!自由律俳句は更新するし、わたしは楽しんで生きています。

すずめちゃんも無理なさらず、ゆっくり夏を過ごしてください🌻

それではまたね〜 すずめちゃん𓅮

にっきより


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📻立川志の輔さんのラジオに出演しました📻

文化放送「志の輔ラジオ 落語DEデート」にひだりききクラブがゲスト出演しました!自由律俳句のお話はもちろん、左利き仲間であることや、富山のマンホールについての話、コピーライティングと自由律俳句についてまで‥落語も楽しめ、盛りだくさんな内容でした📻

8月21日までアーカイブがございます🍵是非お聴きください!

番組概要こちら⇒

radikoでもお楽しみいただけますので、是非お聴きください☑️

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次は8月24日 すずめちゃんの番です🍊

『ひだりききクラブ』プロフィール
出雲にっき、すずめ園による自由律俳句ユニット。毎週水曜日にnoteにて自由律俳句の交換日記、「 #ひだりききクラブの自由律俳句交換日記 」を更新している。
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