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白い海

新千歳空港のJR改札にある喫煙所が封鎖されていた。つい先月までは開放されていた気がする。コロナウイルスの猛威が、内地を越え北海道まで襲っているようだ。いつものルーティングが崩れると、私は少し気が沈むタイプである。

今回の営業先へは、札幌までいつも通りJRを利用し、そこからローカルバスで4時間半程向かった先にある。初めて行く地域なので、楽しみだった。浦河郡という、エリモの隣町。北海道をトランプのダイヤの形に照らし合わせたとしたら、下の尖っている所。

浦河郡について調べると、セイコーマートという北海道特有のコンビニが一軒。ビジネスホテルのような宿泊施設も乏しい。Googleマップをどんなに広げても家らしきものも少ない。人口は1万弱。よく田舎具合を判断する際に、自分の故郷と比較する。とっても田舎であるのは現地に到着する前の下調べで想像がついた。

行きのバスは陰気臭かったので、アイフォンを弄るなり、本を読むなり暇を潰していた。今回の旅のお供の1冊を紹介すると『泳ぐのに、安全でも危険でもありません/江國香織』。他にも2冊、ノースフェイスの黒い大きなリュックに詰めてある。精巧な文章は、バスの陰気臭さも気にならなくなるので有り難い。

目が疲れたので窓の外を見ると、白い海が見えた。ここは、太平洋にあたるのか?なんて海なんだろう。北海道の海は、比喩ではく白い。圧巻である。海辺にある民家はだいたい錆びついていた。人が住んでるのかと思うと、洗濯物は干してある。ここまで海沿いであれば、津波が来たら逃げられないなとも思った。景色はあまり変わらない。白い海に、ぽつんぽつんと民家とみどり。暫く長い間黄昏ていた気がする。好きな景色である。

目的地に着くと想像を越えて、人も家もない。楽しみから一転し、急に寂しくなった。営業先まで、そこからまた車で30分。徒歩だと日が暮れるのでタクシーを利用した。幸いにも地元のタクシー会社が存在していて何よりである。
「バハラットというこの先をまっすぐ登ったインドのカレー屋さんへお願いします」
「この先にそんなお店はあったかね?いや、ないな」
「最近オープンしたお店で知らないだけだと思います」
「住所は?」
住所を伝えても終始不審そうだ。何か言いたいんであろう。
「本当にこんなところにお店はないけど大丈夫?」
「大丈夫です」
渋々向かってもらった。お金はちゃんと払うので嫌な顔せず向かって欲しいものだ。
「お姉さんどこから来たの?」
高めのシャンとしたスーツに大きな黒いリュックを背負ってるものだから、9割型この質問は鉄板である。このご時世、馬鹿正直に応えるともっと不審に思われそうなので曖昧な回答をする。我ながら交わすのは得意である。

そもそもどうして私は、東京からはるばる1日かけてインドのカレー屋さんに向かっているのだろう。どこに向かっているのだろう。不毛なことを考え始めたので、アイフォンを開いて気を戻す。圏外である。ああ。上司に連絡もできない。帰れるのだろうか。今晩どこかに宿泊して布団の上で寝れるのだろうか。悶々と不安が募りだす。
「着いたよ」
清算して目的地あたりに降ろしてもらった。店が見当たらない。
「ほら、言ったじゃないか」
タクシーの運転手の得意げな顔が脳裏に浮かぶ。
途方に暮れていると、電波が1本たっていた。なんだ電柱がどこかにあるんじゃないか。ほっとする。Googleマップでもう一度、あれやこれやと散歩がてら探して歩く。

馬しかいない。人がいない。広大な草原に、馬がたくさんいる。人生でこんな景色を見ることもそうそう無い。馬は、美しかった。筋肉が乗った腹や脚。毛並みが上品で凛々しい。特段、今まで競馬をしたことも乗馬をしたことも無いので馬についてはよく分からなかった。高いスーツを着て髪を巻き、流行りのメイクをして着飾っている私、自然に身を置き、堂々とありのままでそこにいる馬達。恥ずかしくなってきた。

てんてんとしていると、飲食店らしきものがあった。本当にあった。半ば本当にお店があるのかと私自身も疑っていたのである。

さあ仕事をする。何も持ち帰らず東京には帰れない。上司の「頼むぞ」のプレッシャーと、今月の進捗状況は私をちゃんと仕事させてくれた。

商談はすんなりと成約に至った。優しい社長とその従業員達のお陰様である。常々、人運の良さを痛感する。仕事をすると数時間前の白い海も美しい馬も薄れてしまうものだ。

商談に接待はつきものである。接待と言うより、オモテナシをして貰った。カレーとインド料理と赤ワインとインドのビールをたらふくご馳走になった。普段から少食なので、テーブル一面に出された美味しそうな料理を食べきれない。みんな楽しそうである。ニコニコとこれからの事、未来の事を明るく語っている。おおきな大人が食卓を囲んで、嫌味なく横隣の人を信頼信用しきって、楽しそうに会話している場は珍しいものである。だいたい陰湿な何かが有る事の方が当たり前である。

宿は社長が教えてくれた先を予約した。野宿は免れた。布団の上で寝れる事への安心感からか、一気に肩の荷がおりて疲れがドッと押し寄せてきた。先程まで飲んでたビールとワインが体内を駆け巡り、私を酔わせにきている。お酒は強い方だ。

「バハラットジャナイノヨ、ホントウハ、バーハラットナンダ」
「日本語の表記が違うと言うことですか?」
「クニノナマエハマチガッチャイケナイ。ジャパンヲジャポントヨンダラチガウッテナルデショ」
「開業届から何から何までバハラットにしちゃったな〜どうしようか」

千鳥足でトイレに用を足している時、商談中にあったインド人の料理長と社長との会話が脳内再生された。酔っ払っている。確かに国の名前を間違えるのは恥ずかしい事である。日本はにほん、ジャパンはジャパンであってくれないと困る。

「行きつけのスナックがあるんだ。カラオケがしたい。付き合ってくれないか?」
社長に誘われた。酔っ払っていて正直疲れもあるから、早くチェックインしたかった。ただ、社長とはもう少し話をしたかった。人生の勉強になると思った。基本的に男性からのサシ飲みは、何か過ちが有ると困るからお断りする事が多い。自分の利になりそうなので付いていくことにした。カラオケがしたいだけなのかもしれない。

「僕らは仮面夫婦なんだ」
スナックまでにいくまでの間、スナックについてから取り留めもない世間話をした。社長の身の上話に触れたら何か逆鱗に触れたようだ。
「そこに愛はない、情だけ。そんな夫婦の形も普通だと思う、と言うかそんな夫婦は世の中にあり触れている。至ってイレギュラーじゃない。離婚はしない。お互いいい歳だから。面倒を見てあげたい、面倒を見てもらいたい。長年連れ添ったからこそお願いできる事だ。でも、そこに、愛はない」
堰を切ったように、社長は続けた。話の聞き上手で相手が楽しく話しやすいような気遣いが出来る人である。そんな人がこちらの反応を確認することも忘れ、話し続けている。

相槌の打ちようも気の利いた言葉も浮かばない。
ただ、黙って聞いていた。愛が欲しいんだと言うのは分かった。寂しいんであろう事も分かった。分かったからと言って、何も発せれない。

世の中に仮面夫婦は溢れている?仮面夫婦になりきれない夫婦達は離婚という手段を選ぶ?寂しい。
寂しすぎる。一時的な愛を育む事は容易でも、永年な愛を育む事は難関だ。言われなくても、分かっていた事ではあるが、いざ目の前で言葉にして声にして届けられると、泣きそうになる。泣いた。

白い海を思い出した。美しい馬を思い出した。
リセットしよう。綺麗な景色がそこにあるだけで充分なのに、欲深く色々と求めすぎてしまった。

「あそこの旅館お化け出るんだって」
スナックの美人の若いママが悪戯そうに教えてくれた。意図的になのか、泣きやませてくれた。スナックのママには敵わない。人の辛さや悲しさをありのまま受け止めようとする強さを真似したい。関東に戻ったら竹ノ塚の行きつけのスナックのママに会いに行こう。因みにお化けは苦手である。

気づいたら目の前に白い海がある。どうやって旅館についたんだろう。社長と最後にどんな話をしたっけ。ちゃんとご挨拶できたかな。記憶を飛ばす程、飲んだのは久しぶりである。楽しい旅だった。
白い海は景色を変えずにずっと窓の外にある。

「バハラットジャナイノヨ、ホントウハ、バーハラットナンダ」

バーハラットのカレーとトルティーヤのパック詰めが手元にあった。食べきれなくてインド人の料理長が持ち帰れるように詰めてくれたのを思い出した。トルティーヤは冷めてて固い。白い海は変わらない。

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