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見せてくれた奇跡

ペルセウス座流星群っていうんだって!!


目をキラキラさせながら学部始まって以来の天才と言われた山根は言う

エネルギー関連のゼミ(研究室)を専攻し
1年生の頃から地元のエネルギー関連企業に指名で
研究室に呼ばれるほどの逸材

その分野で長く研究してきた教授ですら
舌を巻くほどの才能を持っていた山根



ただし、天才あるあるなのか、とにかく奇行が過ぎる


なんでも左足から入らないと嫌だとゼミでは教授も含め全員左脚からの入室をさせたり

俺のバイト終わりに車で乗り付け「今から天橋立に行こうぜ!」と強制的に連れて行かれたり

熱っぽく議論していたかと思えば、次の瞬間熟睡していたりととにかく行動が読めない



天才✕奇行



ってのは当時かなりのインパクトで
ゼミメンバーですら積極的に山根に
関わろうとするやつはいなかった



ただ俺とは妙にウマがあったんだよね

みんなは山根は天才だと囃し立てるけど
俺から見た山根は歯に衣着せない
自由奔放人


知能の差がありすぎてわからないだけだったかもしれないけれど
特別にしない俺の態度が心地よかったのか
山根と俺の時間はどんどん増えていった


傍からみたらもう付き合ってんじゃねぇの?って思うほど
付き合っていた彼女に「私とあの人どっちが大事なのよ!」とキレられるほど
講義では俺の隣に誰も座ってくれなくなるほど


とにかく四六時中一緒で
二人で見るもの、経験するもの、感じた事を
全力で共有をしていたように思う


大学では将来の夢を語り
研究室では自分たちの研究結果で世の中を変えられると本気で思っていた

事実、山根はとある化合物の研究において、不純物を配合することでより高い効果が得られる発見をして業界では一躍時の人となった

地元紙でも取り上げられ、山根も俺も、本気で世の中を、世界を変えられると信じて疑っていなかった


そんな濃厚な時を過ごしてきたけど
寝る間を惜しんで星空鑑賞をよくしていた

あの時間は今でも忘れられない


普段は煩いほど喋る二人だったけど

星空鑑賞しているときはずっと無言
ただ、じっと眺めていた


あのとき、山根は何を考えていたのかは知らない

俺は山根と過ごす濃厚な時間の中で、何でもできる、世界を変えてやると、期待高まる将来を夢見ていたように思う


ある夜のこと
突然、ありとあらゆる方向から一気に星が流れた景色を一緒に見た

それは無数で星と星がぶつかりそうなほど

いつもは無言だった俺達は同時に叫んで大興奮



何今の!?すごくない?やべえもん見たよな!!!



帰りの車では同じ話を何度もして
ガレージについてからも1時間ぐらい興奮して盛り上がっていた


翌朝、数時間前の興奮をそのままに山根が


ペルセウス座流星群っていうんだって!!


と言ってきた



当時はインターネットも当たり前じゃなかった時代
この数時間でどうやって調べたんだよ
そもそも寝たのか、お前



来年も同じスポットで見ようぜ!



相当強烈な印象だったんだろうな
こうして俺たちの夏イベントとしてペルセウス座流星群鑑賞会が加わった



しかし翌年は雨
その次の年は山根が研究合宿のため行けず
4年目も雨

結局二度とあの景色を見れることはなかった




1年目に見れたのは奇跡だったのかもしれない




大学を卒業し天才山根は地元の超一流企業へ
俺は冴えない建築会社へ就職が決まりそれぞれ別の道へ

二人とも思い描いていた未来とは違う道を歩み始めた

熱く語り合っていた未来とかけ離れた現実の毎日

抱いていた理想は現実のものとはならず、かと言って打ち砕かれることもなく、知らず知らずのうちにすり減り

いつしか理想なんて抱いていたことすら忘れていた

いや、忘れようとしていた


卒業して間もなくの頃は
お互い時間を見つけては飲みに行っていたけど
それも忙しいを理由にいつの間にかなくなっていた



卒業して10年が経った

結婚する時は必ず呼ぼうと思っていた山根は
結局どこに住んでいるのかも分からなかったため
招待することが出来なかった


あとから聞いた話だけど
山根の両親は俺たちが大学卒業してからほどなくして
兵庫の田舎に移り住み

優秀すぎた山根は
入社早々に海外の研究室に配属されて
10年ほどして戻ってきたが
その後転職し都内の企業に勤めていたと聞いた





山根と会わなくなって何年だろうか
息子が小学生に上がる年のことだったと思う




実家の母から山根が死んだことを知らされた


自殺したらしい




名前を聞いてすぐにあの頃の思い出が蘇り
死んだと聞いて「え?誰?」ってなった

だって山根に限ってありえないだろ?

もう一度聞き返したけど、山根だった





聞いた番号へ折り返すと山根のお母さんが出て


亡くなったのはもう1ヶ月以上前
遺品整理していたら
俺宛の遺書にようなものが見つかったので
取りに来てほしいと伝えられた



まだ信じられなかったけど
信じられなかったからこそ
確かめに行かなくちゃならない


指定された住所は両親が住む兵庫の片田舎
星空がキレイに見えそうなところでした



山根の遺影に線香をあげて
お母さんは俺に山根のノートを手渡しながら泣いていたが
なぜか俺は一滴も涙なんて出ない


ノートには俺と一緒に見た星景記録がびっしり


最後のページには
3年の夏、一緒にペルセウス座流星群を
見れなかったことへの謝罪が書かれていました



このノートは
私が持っていてもいけない気がしたんです
あなたが持っていてもらえませんか?



お母さんから託されたノートを持って俺は自宅に帰った

こんなに悲しいのに、寂しいのに
一滴の涙も出てこないのは不思議だった

帰ってから妻に話してもなんだか他人の事のようで
なのにちゃんと悲しい

こういう気持ちになったのは後にも先にもこの時だけでした




程なくして気づく俺


あ、もうすぐペルセウス座流星群じゃん


天体観測なんてあれ以来ずっとしてなかったな
今年は追悼の意味も込めて、ノートを片手に行ってみようかな


ネットで調べて見ると
今年はちょうど土日にかけて極大になるらしい


あの頃はこんな簡単な事を調べるのにも時間がかかったのに
今なら一瞬なんだぜ?
信じられないよな山根




あの場所まで車で向かう

4年の間に色んな所にいったよな
多分、付き合ってた彼女より長い時間を過ごしたと思う

夏の野宿で顔がパンパンに腫れ上がるほど蚊にさされたり
深夜の山道でイノシシに追いかけられたり
危うく凍死しそうになったり

くっだらない話で言い合いになったり
感動した映画の話をしている途中に泣いたり
他人の話に本気で怒ったり


様々な思いを馳せながら
山根と一緒に見た奇跡の場所へ向かう


時間は深夜の2時
流星群はもう始まっている


現場についたのは2時半ぐらいだったと思う


実はあまり期待していなかった

流星群を見ることより
山根のノートとこの場所に来ることの方が
大事だと思っていたから



見れたらラッキーだな
そもそも奇跡みたいなもんだから


エンジンを切って車を降りる






あ、そうだ
左足からだったよな、山根






と、まさに左足が地についた瞬間だった






東西南北ありとあらゆるところから星が流れ

星と星がぶつかりそうだ

過ぎ行く光で天体が埋め尽くされたかのように俺は見えた




一瞬のことだったけど



気がついたら俺は大声で泣いていた
枯れるぐらい泣いた






社会に出てから少しずつ失ってきた何かを

山根が見せてくれた奇跡で
少しだけ取り戻せた気がした日だった










最後に

気付けば山根が亡くなってちょうど今年で10年でした

今回の話は書くかどうか迷いましたが
今まで誰にも話したことがなかったから
この節目に伝えてみようと思いました

山根のことはかなり端折ってます
全部話しても伝わらないと思ったし
この話で結局俺は何を伝えたかったのかわかりません


ただ
文字に起こしたことで少し何か変わった気がします
読んでくれた方、本当にありがとう


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