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父ちゃんはどこいった?|『せんたくかあちゃん』を読んで

絵本の読み方は時代によって変わる

 時代とともに変わっていく感覚ってありますよね。最近でいえば、芸人の博多 大吉さんと、医師の高尾 美穂さんがこんな本を出していることに驚きました。『ぼくたちが 知っておきたい生理のこと』(辰巳出版 )。男性が生理の話をすることは、かつては考えられない事でした。
 むしろ昭和の子ども達はそういう話はしてはいけないものだ、と育ちました。なので、びっくりしましたがとても大事なことだと今は思います。
 また、子育てをしている時に見るテレビや雑誌でも「おかあさんといっしょ」「母の友」というタイトルも時代とのギャップを感じます。最近ではお父さんも積極的に子育てに参加している家庭も多いので、子育ては母だけのものという違和感が残ります。さらに、授業参観を“父兄”参観と書いてくる学校のプリントも今だにある。母親の存在が無視されているようでこれもやっぱり変ですよね。

 そんな時に久しぶりに読んだのが『せんたくかあちゃん』‎ (福音館書店)でした。自分が子供の頃の40年近く前も読みましたし、10数年前に子供にも読み聞かせました。そのどちらも違和感なく読んだのですが、2022年の今現在読むとやっぱりなにかモヤモヤしてしまうのです。
 洗濯が大好きな母ちゃんは張り切りすぎで、衣服だけじゃなく子供や迷い込んだ鬼まで洗濯してしまうというお話。

 この絵本自体は、お母さんの優しさ、頼り甲斐がある、豪快で包容力のある姿が描かれていて、ユーモアがあり素敵な絵本だと思います。しかし、時代が変わると読者の感じ方も変わります。今回読んだ時に僕には何かが足りない?と感じました。そうなんです。読み終わると、父ちゃんどこいった?となってしまうのです。この家庭にはお父さんの姿が描かれていないのです。

父ちゃんの影が薄すぎる!

 このお母さんはシングルマザーかもしれません。なので、絵本を何度も隅から隅まで見てみました。すると、スーツや男性物の着物が干されている場面がありました。だから、お父さんは存在すると思われます。ということは、お父さんが仕事に行っている間に洗濯をしている状況です。
 この本の初版は1982年。「男女雇用機会均等法」が成立したのが1985年。まだまだ、男が働き女が家事をするというのが当たり前の時代でした。なのでお父さんが仕事に行っている間に、お母さんが洗濯をしていて何の問題もない。
 では、何がモヤっとするのか?現在の私の感覚からすると、子供と家事をしながら、お母さんが楽しい時間を過ごしているのに、お父さんは描かれていない。ここに、寂しさを感じるのです。お父さんが頼りないとか、仕事で忙しくて家事ができないとかの描写もない。よく目を凝らして探さないといけないくらい、家庭にお父さんは存在していないのです。意識的か無意識か。でも、そこに当時のお父さんの家庭での立場が現れている気がします。当時のお父さん達、大丈夫?心配になりました。
 また、当時だって共働きや、家族が病気や障害があったりで、もちろん男女平等という考えのもとに家事をする男性もいたでしょう。その人達がこの絵本を読んだ時に、お父さんの家庭での存在感の無さに違和感が残ったでしょう。
 現在だったら、家事も頑張っているお父さんも増えたはず。そんな人ほどお母さんと子どもがワイワイやっている時に、自分の事が一行も触れられていないのはちょっとショックだと思うんですよね。

鬼からみえる男性の甘え

 そして鬼が出てきて、汚れた体を綺麗にしてもらう場面。これも、何か違和感を感じませんか?
 たいていの絵本に出てくる鬼はおじさん風に描かれますよね。この絵本でも体は小さいですが、顔はおじさん的です。そのおじさん的な鬼が、他人のお母さんに体を洗ってもらって、さらに大勢の鬼が「せんたくしてくれ、あらってくれー」と押し寄せてくるのです。僕はここに、この時代の男性の甘えを感じてしまいました。
 よく考えたら鬼は他人です。他人のおじさんの汚れた体を、他人のお母さんが洗うというのは変な感じがします。でもそれをやらせているところに、女性だったら誰でもマネージャー的なあつかいをしてもいいという当時の男性の感覚が表れているのです。
 子供のスポーツクラブでお母さん達が監督やコーチの分までおにぎりを何十個も作る当番があったり、部活でたった二人の女子マネージャーで選手のユニホームを何十枚も洗うのような。さらには、女子社員が会社の運動会のために、サンドイッチを100人分作るとか。そういう事が、昭和の時代は何の疑問もなく行われていたのです。だから母ちゃんも最後に「よしきた まかしとき」と言ってしまうのかもしれない。
 しかし、これらの事は女性がやる必然性はどこにもない。おにぎりを作るのも、ユニホームを洗うのも、サンドイッチを作るのも男性だってできる。協力してやればいいはず。でも、当時の感覚としては、あまり良い言い方ではありませんが「めんどくさい事は女にやらせておけばいい」そういう感覚が男性達に少なからずあったのだと思います。
 だから、この絵本に出てくるる鬼達も他人のお母さんなのに「せんたくしてくれー、あらってくれー」とやってくるのです。今の感覚だったら、他人のお母さんの手をわずらわせたら申し訳ないので「体を洗いたいので、ホースと水だけ貸してください」と鬼は言うべきです。その当時の男性の甘えが、この鬼にでちゃってる気がするんですよね。繰り返しますが、この絵本は素晴らしいんですよ。こっち側の問題なんです。時代と私たちの感覚が変わってきてるのはしょうがない事かなと思います。

汚れた鬼が洗われる。この後、洗濯後の衣類のようにふにゃふにゃになり、
きれいになりすぎて顔も消えてしまう。ユーモア溢れる絵本です。

 じゃあ、自分はどうなんだといいますと家事はやってもその頑張りを誰かに褒めて欲しい気持ちになってしまいます。ある外国人の知り合いの男性は褒められても、自分は当たり前の事をやってるだけで褒められる事ではない。だって女性が洗濯をしても誰も褒めたりはしないから。と言っていましたっけ。自分はまだまだその領域には達していないので修行が足りません、、、
 でも、このやっているのに、認めてもらえない感覚。やって当たり前、気にしてもらえない。それはずっと女性が感じてきた気持ちでもあるのかなと思いました。逆に、昭和の家庭のシステムはめんどくさい事を女性にやらせているようで、実は男性が家族や子供との大切な時間を失っていたのかもしれません。
 男も女も家事をやったら誰だって認めて欲しいのです。やって当たり前ではなく、お互い褒めあって気持ちよく過ごすのが一番だと思いました。

 今では『おかあさんといっしょ』だけでなく『おとうさんといっしょ』という番組もあるそうです。お母さんもお父さんもあって、現代的にアップデートされているんですね。それならいっその事『ご両親といっしょ』とか『せんたく両親』ではどうでしょう。ちょっと変になっちゃいますよね。そうなんです「父」に対して「お父さん」、「母」に対して「お母さん」(オトン、オカン。父ちゃん、母ちゃん。地方で呼び方は様々)はあっても、「親」に対する親しみを込めたカジュアルな言い方が無いんです。男とか女とかではなく「親」をあらわす新しい言い方ができると絵本の作り方や、見方も現代的に変わる気がしました。

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