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傷心旅行に行った話(2/2)

前回、僕は北海道へ傷心旅行に行くことにしたと書いた。初日に美幌へ行き車中泊、翌朝見事な雲海を見ることが出来た僕は、正直ちょっと満足しつつあった。いやいや、帰りのフライトまで4日ある。飽きてない飽きてない。まだやれることはあるはず。

前回記載した工程表を改めて記載する。僕の文章はだらだらと長くなってしまうので、要点を絞って太字箇所に触れていきたい。

~今更工程表~
1日目
 羽田→新千歳空港
 幌加温泉湯元 鹿の谷
2日目
 美幌峠展望台
 寿し大洋
 神の子池
 Kushiro Marshland Hostel THE GEEK
 富士ホテル
3日目
釧路市湿原展望台
 豚丼のぶたはげ 帯広本店
登別 石水亭
4日目
黄金温泉
 函館グルメ回転寿司函太郎 美原店
 きじひき高原 パノラマ展望台
モラップキャンプ場
5日目
 海の駅ぷらっとみなと市場
 新千歳→羽田空港

3日目

釧路湿原に訪れた。初夏の北海道だ。やっぱり緑は見たい。コンクリートジャンゴゥで働く僕にとって、広大で力強い自然というのはそれだけでありがたい。鉄分の次に不足しがちな栄養素だ。
釧路湿原に向かう途中に気が付いたが、あれは本当に大きい。調べてみると東京ドーム3,900何個分らしい(分からなさが増した)。どこからどう入ればいいのかが分からず苦労しつつ、ようやく到着したとき、どこまでも続く広大な湿原に驚いた。よく見る木板でできた歩道を歩き、奥へ進む。

釧路湿原。これが永遠に続く。たぶん。

本当にいい景色で、何時間も運転してきた甲斐があったなぁ。湿原特有の湿り気や植物の匂いを楽しみ僕は帰った。滞在時間15分程度だ。え?
この湿原にいる間、常に羽虫とアブに襲われた。夏だし、大自然だ。整備されていない環境だから良いんだ。そう思っていられる限界が15分だったというわけ。すっかりグロッキーになった僕は車に逃げ帰った。
実は2日目に訪れた神の子池(通称青い池)では、駐車場で車を停めた途端~50匹程度のアブに張り付かれた。意を決して外に出たもののアブが怖すぎてずっと走り回っていたので池の記憶がない。哀れだ。

命からがら撮った。神の子池。必死すぎる。


心も体も疲れた僕はその日、ちょっといい旅館に泊まることにした。かねてから行ってみたかった登別温泉だ。何となく大泉洋も訪れたような気がするこの旅館は非常に良かった。一人で宿泊するのがもったいないくらい、部屋はザ・和室で広くて大満足だった。温泉は言わずもがな。

雑な写真で恐縮だが、雰囲気だけでも伝われば。

ところで皆さんには、一人旅の際に必ずするルールのようなものはあるだろうか?
僕は仕事柄出張が多かったこともあり、いくつかある。例えば、温泉か銭湯に浸かる、地元の喫茶店に入る、美術館にいく、などがあるが、その中でタチが悪いものの一つに、友人に手紙を書く、というのがある。今回もその予定だった。ずっと一人でいるのだから誰かに話しかけたくなっても仕方あるまいと、以前二人で弾丸北海道ツアーに行った友人に宛ててかくことにした。実は今回、その手紙の下書きを偶々発見してしまったので、少しだけ転記する。

拝啓
■■■■様
8月のうだる暑さの中、貴殿におかれましては抜いたはずの雑草のようにご健勝の事と存じます。

~中略~

しかし筆を取ってはみたものの、この珍妙な旅路について記すには少々便箋が足りません。この場では一句申し上げて締めさせて頂こうと思います。

登別 少し良い宿 泊まったら
アベック達の 喘ぎ声する

末筆ではうんぬんかんぬん

敬具!!

つまりそういうことです。

4日目

黄金温泉に訪れた。ここも初日の鹿屋温泉同様に有名な温泉で、秘湯といってもいいかもしれない。ここの面白いところは、農家さんが自分で作った温泉というところだ。源泉を見つけた経緯はわからないが、長い時間をかけて浴槽や脱衣所などを作成したらしい。北海道には至る所に泉脈があるのか?当然ながら浴場の写真は撮れなかったので、気になる方はこちらの記事が分かりやすかったのでどうぞ。

さて、黄金温泉はニセコにあるため、函館が近い。函館は高校の修学旅行で訪れて以来だ。夜景がきれいともいうし、何より五稜郭に訪れるのは当初の目的の一つだった。自由に使える最終日、函館に向かうことにした。した……のだが、工程表をみて察した方もいるかもしれないが、五稜郭には行けなかった。開園時間内に到着できなかったのだ。改めてグダグダである。五稜郭のすぐ横で飯を食べて、不貞腐れているうちに夜になった。

旅も終わりが近づき、最後に一押し欲しい頃。大オチというか大団円※っていうか、フィナーレ感が欲しくなってくる頃。
※全く関係ないけど僕はいつも大団円を言えず、だいえんだん(お見合いパーティー)のように言ってしまう

どうしようかな~とずっと考えてはいたものの何とは思い浮かばず、とりあえず函館の夜景(これが大変素晴らしかった)を後ろに、標高が高いほうへ高いほうへ車を走らせていた。僕と煙は仲良しだ。この旅にも慣れたな~と思ったころ、僕は寝た。

寝た

車中泊をしたという事ではない。シーンはまだ運転中だ。本当に意識が飛んだ。意識が飛んだのがギリギリ理解できた。こうなった自分は一切信用できない。若干残っている自我がギリギリ「今寝ていいわけないよね?」とか細い声で囁いている感じだ。

この感じをみんなに伝えたい!全然この話の本題ではないのだが伝えたい。全国の眠くない人に眠い人の苦しみをわかってほしい。(僕はいつも眠い)

実家で寝ているときにリビングからかーちゃんが呼んでる声とか、帰り道を横切るネズミみたいな、そんなチラッとした違和感のようなものが眠たい時の自我で、僕はそんなものに命を委ねていた。

自分が眠っていることを自覚するのは一般には難しい。僕はただ、体が一瞬弛緩したことで逆説的に意識が不連続だったことを自覚した。裏を返せば、体に力が入り続けたままなら気が付かなかった可能性もある。
に角(←日常に潜むウサギを見逃すな)ハンドルを握りなおしてぐっと前を向いたとき、正常な視界だったので安心した。急いで停められそうなところに車を停めた。パニックにならぬようよくよくブレーキ踏んで、ギアをパーキングに入れて、サイドブレーキ上げた、周りも何もない、ふー、、、ここまで大体10秒。主観としては「この旅にも慣れたな~」から10秒だ。
エンジンを切って車から降り、煙草に火をつけたあたりで「さっき3回は寝てたな」と思った。完全に意識を失ったのは最後の1回だが、何といえばいいのか、会議で今の話聞いてた?と言われたときに聞いてましたよ!とは返せるものの何の話かは分かってない、くらいの半覚醒状態が2回あった。当然車の運転ができる状態ではない。

上でも少し書いたが、僕はいつも眠い。ナルコレプシー(歩行中に眠ってしまう可能性がある)程ではないが、生活に若干影響が出るほど日常的に眠気に悩まされている。眠いというのは普通にしんどい。悩みすぎて医者に行き3万ほど払って検査をしてもらったことがあるが、車の運転は正常にできると診断された。だから、この時は僕の病気でもなんでもなく100%睡魔だ。

居眠り運転なんてハプニングもいいところだが、人に迷惑をかけるのは最悪だ。僕が死ぬのは僕の勝手だが、ここではない。心臓はちょっとドキドキいっていて、このままどうにか頭をはっきりさせたい。もうはっきりしている気もするが、いかんせんさっきまではっきりしていたはずの頭があり得ない状況で眠ってしまったもので、もう信用ならない。だから僕は頭ではなく体に語りかけるよう、次の事をした。

①室温を下げた
当たり前だ。暖かいと人は寝る。ただし夏とはいえ北海道の山奥なので普通に外気が寒く、体温を下げるのはちょっと怖かったのを覚えている。

②カフェインを摂取した
眠気対策に車中にコーヒーとエナドリがあった。飲むだけ飲んだ。トイレに行きたくなる不安もあったが、我慢すら眠気を覚ます手段だ。

③車内を明るくした
当たり前だ。暗いと人は寝る。この時、22時~25時くらいだと思われるが、道中は真っ暗なので、光源は車内灯だけだ。

④体を動かした
車の運転中は血流が滞るため、定期的に体を動かしたほうがよい。(ここだけ教習所の本みたいになってしまった)

⑤服を脱いだ
僕だけかもしれないが、くるまれている感があると寝る。安心感とも落ち着きとも言い難いあの感覚だ。だから服(パーカー)を脱いで北海道の大地に向き合った。
どうだ、生きている感じがするじゃないか。調子が戻ってきた。

⑥煙草を吸った
煙草という毒物は血管を収縮させる効果があるため、眠気が引き覚醒しやすいと言われる。僕もその意見に賛成だ。

⑦音楽をかけた
でかい音で音楽をかけるとそれだけで人は幸せになれる。腰の奥にウーファーの振動が響くと体が起きるような気がする。

さて、この状態で僕は車の運転を再開してよいものだろうか。たぶん大丈夫だろう。あと僕に出来るのはこまめな休憩だ。注意しつつ30分ほど運転を再開した。改めて何もない道だ。山道なのでガタゴトはあるが、電車の振動のようなもので頭は無意識に処理してしまっている。景色は変わらないし、スピードもハッキリ言って僕の好き勝手である。そりゃあこんな環境で5時間も運転していれば眠くもなるよな。体より頭が眠りたがっている状態かもしれない。

※ここで僕は都合により述べられない第8の対策を打ったのだが、あまり意味はなかった。非常に面白い経験ではあったが聞く人を選ぶ内容なので、気になる人だけ「催眠の話聞かせて」と言ってください。

その後、僕は支笏湖畔のキャンプ場に付き、無事一泊した。翌朝には苫小牧の漁港を訪れたり、千歳でひとっ風呂浴びたりもするのだが、割愛する。

おわりに

結局傷心旅行って何なのか、よくわからなかった。
特に何かが消化出来たとも思えない。振り返ってみれば、僕は僕の傷がどこにあるのか、深いのか浅いのかを知ろうとしていた気がするが、そんなものは旅行とも北海道とも無縁だ。旅の中で見つかるものでもなければ、癒えるものでもない。
でもこの行軍の中、僕は彼女のことを沢山考えたし、この時についた傷もある。体に残る傷もあるだろうが、それはまだわからない。

この話を以前連れ立った彼女が読むことはない。でも万が一彼女のもとに届いたとしたら、僕が書いたことがばれてしまう。そんな僕のいい加減さが滲み出た文章になってしまった。結局人間、根っこの部分はそう簡単に変わることはできないのだ。傷ついた僕の心も根っこの一部分であり、少しずつ時間をかけて変えていくか、生傷を抱え続けるしかない。なんとなく自分のやることが見えてきた気がする。今それでいいのかな。いいということにして、この旅行はおわり。