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西台駅 さよなら、あたたかな人たち | 紡 もえ

新卒の春、上京して住み始めた街、西台。3日後、私はこの街から出て行く。「出て行く」って言うと嫌気がさしたみたいだけど、一人暮らしから二人暮らしになるっていう幸せな理由での卒業だ。部屋は引越しのダンボールだらけになっていて、廊下は半分の広さになった。6畳の部屋は寝床だけが確保されている。管理会社に内緒で飼っている黒猫は、元気に壁を引っ掻くので、退去費用が今から恐ろしい。よく引っ掻く場所にはバリアとして角二号の茶封筒を貼っている。けれど、結局防ぎきれずにどんどん増えていくだけだった。あれまあ。

西台に住んでます、というと「どこやねん」とよくツッコまれるので、「板橋です」とか、「都営三田線の終点の方です」とか言っている。正確には終点から3つ目の駅。朝の通勤時間帯はギリギリ座れる。争奪戦になるけれど。フリーランスじゃなく会社員だった頃は、毎朝空席があることを祈りながら電車を待っていた。

就職のタイミングまでずっと関西にいた私は、東京で暮らす家を探そうにも、どこがいいのか皆目検討もつかなかった。名前を聞いたことがある街は、当たり前のように家賃が高い。しかも東京勤務が決まったのは2月。世の中の転居戦争は終盤を迎えており、条件のいい家は売れている。そんな状態で不動産屋さんから紹介されたのが今のマンション。1K7万5千円。「ちょっと狭いけど、周辺も便利だし、デザイナーズで綺麗だからイチ押しです」。周辺は確かに便利だ。駅から降りてすぐのところにダイエーがあって、他にも安いスーパーがちらほらある。ダイエーには中庭があって、近所のおじいちゃんおばあちゃんがピクニックしている。平和だね。コンビニも多いし、王将、回転寿司、カラオケ、ボーリングも揃ってる。あとミスド。ミスドが駅前にある街はいい街だ。東京駅まで一本で30分。通勤もそこまで苦じゃない。よし。

そうして住み始めて1年半。ああ、後ろ髪引かれるね。せっかくだから、離れてもきっと思い出す場所を振り返る。

インディラ

ちょっと見た目が怪しいカレー屋さん。最初の頃は、前を通る度「ここは大丈夫なのか?」と思っていた。雨の日が心なしか混んでいる気がする。看板は文字が消えてほとんどなんなのかわからない。でも実は知る人ぞ知る名店。神保町の有名なカレー屋「ボンディ」のシェフはここで修行をしたらしい。そんな口コミをみて、意を決してある日入ってみた。コクのあるチキンカレー(チキンがぷりっぷり…!)に、ほくほくの茹でたジャガイモとバターがついてくる。ボリューミー。おいしかったのでたまに行くようになった。
ご夫婦でやられているようで、ふたりとも気さくに話しかけてくれる。食べていると近所の人がテイクアウトをとりに来て、実家のテンションで話し込んでいるのをよく見かけた。地域に愛されるカレー屋。これからもカレー食べたいなって日には、たぶん思い出すと思う。

新無極

推しているラーメン屋。正しくはラーメン居酒屋。おつまみ、お酒はもちろん、なんと定食もある。ラーメンはとんこつがメインだけれど、塩、味噌、つけ麺も取り揃えていて、気分に合わせて様々なラーメンが食べられる。私は月に1度くらいで通っていて、毎回「辛ねぎラーメン」の太麺を食べる。

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麺は細麺か太麺が選べて、お腹ぺこぺこなときはご飯もついてくる。お得。ラーメンにはテーブルに置いてあるおろしニンニクをたっぷり入れて…見た目は真っ赤だけれど、そんなに辛くない。ピリッとする感じ。なにより上に乗った山盛りの白ネギ、ネギ好きにはたまらん…。
あと何が好きかって、店員さんの愛らしいキャラクター。外国人らしき2人がやっているんだけど、毎回「オヒサシブリデスネ!」と声をかけてくれる。日によってはちょっと世間話をしたりして。コロナの給付金申請の時期は、「紙ノホウガイイヨ!」と親切に教えてくれた。優しい。いつも同じものを頼むので、毎回にやにやしながら注文を聞いてくる。会えなくなるのはさみしいね。引越し前最後の日はここで辛ねぎラーメン食べるって決めている。

リリアムフローレ

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駅から少し離れたところにあるお花屋さん。たぶん家族でやっているのだと思う。ここでいつも1輪だけ花を買う。すると店主のおじさんが、「おまけ」って言って別の花を一輪つけてくれるのだ。自分が買った花よりも、おまけのほうが派手で大きいこともしばしば。写真はピンクのほうがおまけ。毎回結果的に華やかなミニブーケを持って帰ることになる。帰り道はいつも心がほくほくしていた。私はここを思い出しながら、新しい街で花屋さんを探すと思う。

良心堂

西台というかほぼ高島平だけど。中国マッサージのお店。始めていったときの衝撃ははすごかった。日記にも新鮮な驚きが残っている。

“地図上は正しいけど、「本当にここですか?」と聞きたくなる感じのビル。「やっぱりここで合ってますか?」と聞きたくなる感じのドア。”
“明らかに中国ではなくインドネシアとかそのあたりにいそうなお姉さんたちに「イラッシャイマセ!」と言われる。タイマッサージなのか?と思ったが、中国マッサージって書いてるからそうなのだろう。”

結局そんな戸惑いよりも、確実に凝りをほぐしてくれる技術への信頼が勝った。度々お世話になっている。引っ越したら私はどこで凝りをほぐせばいいの。出張営業希望です。

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血の通った会話をしてくれるお店にたくさん出会った。おかげで、こぢんまりとした暮らしだったけど、いい日々だった。目覚めた時、窓の外に広がる潔い晴天。小さな部屋でろうそくを灯して、ぐぐーっとストレッチした夜。近くの市民プールに通った夏。鍋ばっかり作ってた冬のキッチン。優しくしてくれた人たち。ありがとね、また遊びにくる。

■紡 もえ (@TsumugiMoe)
黒猫と暮らしています。ライター・朗読家・被写体。好きなものは日本酒と美容。

*このエッセイは、住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第2号の収録作品です。
▼その他の作品はこちらから



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