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新井薬師前駅 中野区にはすべてがある | あたみ りょう

中野区にはすべてがある。

新井薬師前について語るときにわたしの語ることは、この言葉に集約される。「肉は肉屋で。花は花屋で。服は仕立屋で。」という生活を維持しつつ、コンビニや郵便、ホームセンターやショッピングモールの利便性を享受でき、運動施設が豊富で、渋谷・新宿・池袋には自転車で行くことができ、港区や丸の内等のオフィス街へのアクセスも悪くない。

個人店の取り合わせは独特で、ローカルな蜂蜜とジャムの専門店や味噌専門店があるかと思えば、カカオリパブリックの日本初上陸店がある。会話をしてはいけないジャズ喫茶が残っている薬師あいロード商店街を抜けると、SNSで話題の「不純喫茶ドープ」があり、対照的な建て付けの取り合わせが奇妙に調和されたパッチワークを為している。早稲田通りを横断すると中野の飲み屋街に繋がっていて、新井薬師前に住むことと中野駅北口界隈を楽しむことは不可分であることがわかる。

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あいロード

これ以上踏み込むことは中野駅に住む人に任せることにして、薬師あいロードを駅の方向に戻ると、新井薬師(新井山 梅照院)がある。ここは桜の名所で、春には花見客が酒宴をしているという。新井薬師前駅を北口方面に抜け、妙正寺川にかかる橋を渡ると、昭和の雰囲気の息付く住宅街に出る。

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北口へ

新聞の配達店や宅急便の配送センター、郵便局、クリーニング屋、老人ホーム等の「暮らし」に根差した施設の集まる地域で、少し歩くと区立運動場や哲学堂公園にアクセスすることができる。程よく自然が残っており、夏にはミンミンゼミの声が聞こえる。哲学堂公園の中心的な施設である「四聖堂」に祀られている哲学者の取り合わせはソクラテス、カント、孔子、釈迦と独特で、公園の至るところにある警句の抽象性を伴った美しさにB級スポット的な味のある雰囲気を与える。2009年にブダペスト(ハンガリー)にある「哲学の庭」と同じものが設置されたけれど、当の「哲学の庭」に訪れる観光客は、「哲学の庭」のあるゲレルトの丘に訪れる数と比べてとても少ない。筆者も哲学堂公園を訪れるまでこの存在を知らなかった。ブログを漁ると哲学堂公園にゆかりのある方達がわざわざ訪れていることがわかり、絆を感じる。

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ーー故に「概念橋」

この街に引っ越してくるまで、私鉄沿線では家と家の合間に空間が開けば、そこに家が建つような印象があった。わたしが前に住んでいた街はその傾向が強く、個人店の跡地が一軒家になったり、一軒家の跡地がアパートになることは普通だった。新井薬師前では、家と家の間に人が生きていく上で必要な店や施設がある。人間はただ家があるだけでは生きることができず、また、こじんまりとした利便性の集約が生活の豊かさにつながる。ちょっと足りない調味料を徒歩15分の東急ストアで買う生活と、徒歩3分の地元の親父さんがやっている商店で買い足す生活は質感があまりに異なる。味噌汁に入れる油揚げだって、バクテーを食べに行った帰りに見つけたお豆腐屋さんで買ったほうが美味しい。

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Bak kut teh Tokyo makan のバクテーは世界一

住宅を詰め込みすぎない街づくりが幸いして、独特だけれど魅力的な物件も多いように思う。特に、道路に面していない庭のある戸建てが特徴的だ。街のあらゆる方向に伸びてゆく関心と居心地の良さを引き受けつつ「自分ひとりの部屋」ならぬ「自分ひとりの家」を持つ愉しみが、この街には根差している。


■あたみ りょう (@vampirechan9)
生活を足場に表現を組み立てる旅人。最近の日課は庭でジャグリングをすること。
https://note.com/thighcalves

*このエッセイは、住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第2号の収録作品です。
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