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思い出の写真を

先日図書館に行ったら、現代美術の展示があって、その中に「参加型アート」のコーナーがあった。古い地元の写真を屏風絵に仕立てたものだ。

白黒の写真が並ぶ。

昔の写真というのは、今の写真とは違った趣があってなかなかいいものだと思う。フィルムが限られていたので、気合の入りようが違うというものだ。今の写真も気軽でいいが、時間の断片を切り取るという意味合いでは、少しエッジの効いた風合いを醸し出しているように見える。企画者の方の写真もあった。かしこまった風にかまえた家族の写真は、小箱に収まった秘密の宝のように輝をまとってこちらを見据えている。

私たちは家族です。

そう、そんな凛とした輝きが存在している。凛とした単位だったのだ。血族というのは。

「古い(地元の)写真があったら持ってきてください」というので、面白がって実家をあさってみた。残念ながら、地元の写真はほぼない。写真は、旅行先やイベントなど、「非日常」の記念碑として撮られるものであった。日常生活を映し出したものはないのだ。今のインスタグラム的な、そういうセンスがなかった時代だ。生活する上において日常は切り取られて意味を為すものではなかったのだ。

今は、他人の日常の断片が、割れたモザイクのように、自分の生活に降りかかってくる。美しいその断片を享受し、「刺さる」という字のごとくに受け入れる。そして、何かしら小さな「出血点」を自らに見出して、嘆くのだ。「いいな」って。「私、持ってない」って。

隙間だらけの日常が病の根源だ。いらぬ思考が遊びのフィールドを求めて無限回廊を形成する。精いっぱいの日常には、これら思考の遊びが侵入する隙間などなかろう。

「いや、精いっぱいですよ、私」

そうですね。そう思いたがるし、そうなんですよね、実際。死んでなければそれぞれの精いっぱい生きているって思ってますよ、私。だって、それしか(その時点での)選択肢なかったんですものね。傍から見れば「甘えている」としか見えない状況でも、きっと精いっぱいの選択をその時点でしてきているのだと思うのです。それ以外が選択できなかったという意味においても。

閑話休題。

「ああ、両親の結婚記念日には、家族揃って出かけたんだよね、毎年」などと思い出しながら、昔の写真を漁る。両親の結婚記念日は、法事の日となこってしまったが、これも私たちにしてみれば、都合のよいものだ。思い出を語りやすいし、父のことも母の事も一度に済む。良い夫婦だったのか、そうでないのか知る由もないが、一年以内に二人逝ったとなれば、良い夫婦だったのだろうと思う。写真の中の母は、今の私より若いはずなのだけれども、どうしても「母」にしか見えず、「母」としてしか捉えようのない自分の気持ちに違和感を感じるのだった。

30代の頃の母の気持ちとか、40代の頃の母の気持ちとか、想像するのが困難だ。これは、自分特有なのか、それともそんなものなのか、ちょっと気になるところではある。

そんな中で見つけた一枚の白黒写真を、昨日展示場に持って行った。

それは子供会でおみこしを引っ張っている写真だったのだけど、喜んではもらえたようだ。市民祭りのパレードだと思う。おみこしは、ドラミちゃんを張り子で作ったもの。そのころ子供会活動というのは盛んで、休みの日に公民館に行って、みんなで祭りの準備やおみこしづくりをしたものである。餅つき大会や、秋祭りの後のカレー(砒素事件の後、めっきりなくなりましたが)が楽しみだったし、盆踊りも屋台が出てにぎやかだったし、スイカの早食い競争とかカラオケとかのイベントもあった。学校とは別に地区の運動会的なものもあって、思えば行事だらけだったような気がする。

あれほどの行事やスケジュールをどのようにこなしていたのだろう。今では考えられないことだ。夜、公園で星や月を観察した覚えがある。望遠鏡を持って、小学校の先生が来てくれたのだ。

幸せだった。

正解や不正解はないと思うけれど

あの頃はあれで幸せだったのだと思う。

今それをやれと言われたら「勘弁してください」と思うし、廃品回収だって「やめちゃえ」と思うし、ラジオ体操だって、「やめてください」って思う。朝、仕事に行くのに、子供ラジオ体操行かせって、無理だし。学童行くし、弁当作らなくちゃいけないし、送ってかなきゃいけないし、みたいな。

だけど、カードのハンコが満タンになって、鉛筆やノートで喜べたあの日を今でも良き思い出として持っていられるのは喜ばしいことに違いない。

思い出の写真探しから、子供会の事を思い出してしまった。当時はうっとおしかった子供会活動だったが、結局「思い出」になると、「善きもの」として思い出されるのが不思議だし、有り難いものなのだなあと感じるのだった。

それらを想起させる装置としてこの展示があったのなら、それはアートとして成功なのだと思う。




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