未来が不安ならこれを考えて

こんばんは、イナモトです。

みなさん、毎日どう生きてますか?

自分の生きたいように
生きていますか?

(いきなり重っ)


さっきふと、思ったことがありまして。

今は2024年。


多分時間は過ぎていき
必ずしも2100年は来る。

でもきっと2100年の地球には
私はきっといないことに気づく。

数字にすると不思議と
リアルな感覚を覚える。

2100年、
遠いようで
確実に訪れるであろう日。


きっと、今この記事を読んでいる
目の前のあなたも
いないと思う。

ましてや今いる部屋も壊されてる
かもしれないし、

今やっている職場は辞めている、
むしろ職場ごと無くなってるかも
しれないし、

あなたにとって、私にとっても、
大切にしている家族や人達も
いないかもしれない。

両親なんて2100年には
絶対いないだろう…。

(これが何よりもずしんときた。)


未来は分からないと日々思っていますが
いつかはやってくる。
遠かれ早かれ。

そして2100年には
自分すらもいない。


実際2024年なので
大病や不幸に会わない限り
まだまだ見通しの立たない
さえない毎日は続く。

でも、今の状態のまま
2100年を迎えるわけではない。

どんどん気力体力と共に、
老いていく。
これも決まっていることだ。

このまま老いる、
そしていつかいなくなる。


だったら、今を生きないと
損だと思った。

今抱えている悩みも不安も
2100年までいったら
忘れている。

あんだけ苦しんでいた時間さえも
もう覚えていないくらいに
なってしまっていると思う。

だから、今を頑なにどんよりと
過ごすのではなく、
楽しんだ方がいいです。よね。

だって2100年には
いないから。

今を無駄に過大評価していませんか?
なんだろう無駄に力を入れて
悩み疲れているとか
理想を描いては失望しているとか。

2100年には
そんなことすらも小さなこと。

だから、なんだろうな、
死ぬまでは決まっている、
だから苦しむのはあほらしい、
と言ったらいいのかな。

好きにせい、どうせ終わるから。


さっき、
楽しんだ方がいいです。よね。
と言いましたが
それだとありきたりすぎる。

イナモト的に言えば、

どうせ何もかも終わるなら、
気にせず生きよう、

みたいなことが言いたいです。


仮に2100年になった時に
辛うじて生きていたら
今日のこと私はおばあさんであっても
思い出すと思う。

自分がいないことを想像した未来に
私はいたのかどうか。
2024年の私に答えるだろう。

もし生きていたら、
2100年でも生きてっぞ、って
その一言だけ、2024年の私が
蘇ると思う。

なんだか面白いね。

あなたも今、未来が不安なら
2100年のことを考えてみてください。


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