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#大切にしている教え ×40代 ×アイデンティティ

2023年4月、まさか40代になって自分のアイデンティティを見失うとは思ってもみませんでした。「今の『いま』」で自己紹介をするとしたら、

  • 4月1日から無職です。

  • 同居する家族はいません。

これがいまの自分。ある意味では、人生の折り返し地点で何の縛りもないオールフリーな状態。改めて作り直す『アイデンティティ≒自分らしさ』が、noteでのテーマです。

偶然見かけた日経新聞と共催の募集テーマ「#大切にしている教え」で一考してみます。

このテーマで自分が最初に思い出した、いや常に自分の行動指針の中に生きている教えは、中学生時代の教頭先生のことば。

「信頼は言葉で得るものではない。行動で積み重ねるものです。」

このことばは、全校集会や授業などを通して教頭先生が自分たち生徒に言ったのではありません。自分の親も含めた保護者に対して先生が言ったことばです。自分は間接的に親から聞きました。

自分が中学生だったころは昭和の名残も色濃い平成初期。同世代やそれ以上の方は「そんな時代もあったよね」と懐かしく思いだすような、当時にはまだ生まれていない世代の方たちは「そんなことがあったの?!」くらいの昔話を聞くような、軽い気持ちで読んでいただきたいです。



1.平成初期、昭和から続く丸刈り校則

生徒の頭髪は男子は丸刈り(約1cm以下)、女子は肩に髪がつくまで(つく場合は必ず結ぶこと)。

令和の現在では髪型や服装などで合理性を欠く校則が、児童の権利条約の視点からも「ブラック校則」として取りざたされているニュースを目にしますが、自分が中学生だった平成初期はこんな校則が当たり前でした。地域差はあるかもしれませんが、少なくとも自分が暮らしていた地方都市ではこれが普通。

すでに卒業した自分の兄も丸刈りにしていたし、戦後生まれの父母も「中学校はそんなもの」と疑問すら持っていなかったと思います。

大多数は自分と同じように校則を従順に守っていましたが、中には従わずに長髪のままでいる生徒もいました。しかしそういった生徒たちは昭和時代には「不良」、平成に入ってからは「ヤンキー」と呼ばれるタイプがほとんど。
ごく普通の一般生徒の自分たちは校則の是非がどうのこうのより、彼らに目を付けられないようにと振る舞うほうが学校生活では大事だったのです。



2.初めて実生活で聞いた「人権侵害」

小学校の社会科で「戦後の日本国憲法で『基本的人権の尊重』が位置づけられた」と習い、この時に初めて「人権」ということばを知りました。
ただ当時の自分に「人権」を理解することなど到底できず、「へぇ~そうなんだ」と「テストに出るから覚えておく」くらいでした。きっと同級生のみんなも、自分と同じくらいの理解だっと思います。

小学生としての最後の春休み、自分はなじみの床屋で初めての丸刈りに。そして迎えた中学校の入学式。
いくつかの小学校が一緒になる中学校、倍くらいの人数になった同級生の中にも丸刈りになっていない男子が10名ほどいました。

入学式は穏便に執り行われたものの、始業式翌日からは生徒指導の先生たちと校則に従わない生徒の衝突が始まります。自分たち一般生徒は遠巻きに横目で見るばかり。
先生たちに校則を守るように強く言われたりしていると彼らは一様に、

「人権侵害だ!」

と言い返していたのがよく聞こえてきました。

校則としての丸刈り問題は「生徒指導 vs 従わない生徒」の間で行われるだけでなく、「学校 vs PTA」の間でも争われていました。

決してリベラルではない自分の親はPTA総会に出席はするものの発言をするでもなく、全体の動向をただ聞いているだけのようでしたが、
「○○さんちと△△さんち、あとは名前も知らないけど、すごい剣幕で学校側に『人権侵害だ!』と食って掛かってたぞ。」と話されました。

どうやらPTA総会で発言している保護者は、学校で校則を守らない生徒の親のようでした(地方都市の中学校ですから、小学校が一緒だった同級生は親同士も知っているような人間関係の幅です)。



3.話し合いのすえ、合意形成のゆくえ

すったもんだの小競り合いや話し合いを通して、最終的には全校が集まる生徒総会で「丸刈り校則」の是非の決定権が委ねられることになりました。

結論は「廃止」で意思統一がされました。しかし結論には同意できるが、これまで校則を遵守してきた生徒とそうでない生徒に不平等がある、という意見に大多数が賛同したたために少数の校則無視派と対立して総会は紛糾。

その議論に対して、学校で一番の不良・ヤンキーといわれる三年生が全校生徒の前でマイクを通してこう発言しました。

「俺は校則に逆らって丸刈りにしてこなかった。けれどちゃんと守ってきた奴らもいて不公平だというのもよく分かる。だから一度、全員が丸刈りになって次の日から髪型を自由にしよう。俺も明日、丸刈りにしてくる。」

この発言が鶴の一声となり全生徒一致で、
「全員が一度は校則を守って丸刈りになる。その次の日から校則廃止で髪型は自由にする。」という結論になりました。

これが幼いながらも自分たちで話し合い、学級クラスよりも大きな集団として意見をまとめることができた初めての体験だったようにも思います。



4.信頼は言葉で得るものではない。行動で積み重ねるもの。

厳しくあたっていた生徒指導の先生たちを含め、当時の風潮や常識、固定概念などのしがらみの中で、先生たちが「最終的には生徒たちに決定してもらおう」と生徒の自主性を育もうと奮闘してくれていたのだ、と大人になった今であれば理解できるようになりました。

生徒総会の結論は、学校側から臨時PTA総会で全保護者に向けて報告されました。自分の両親も相変わらず出席するだけでしたが、終わった後に家で事の顛末を聞かされました。

「全員が一度、丸刈りになって翌日から校則を廃止して髪型を自由にする。」

生徒たちが合意して導き出した結論に対して、「人権侵害」を訴え続けてきた保護者たちからは、

  • 子どもたちが出した結論なのだから未熟さがある。

  • その未熟な結論に従って学校は人権侵害をさらに容認し続けるのか。

という一点張りで、「全員が一度は丸刈りになる」を完全拒否したとのこと。学校側からは「生徒たちが自主的に出した結論だから尊重したい」と説明をしても議論は平行線。

人権侵害を訴える保護者からは情に訴えるように、
「私たちの子どもは丸刈りにしなくても他の校則は必ず守る。私たちの子どもと親を信頼してほしい。」と言ったそうです。

これに対して、今までもきっと水面下で大変な活動を続けてきただろう教頭先生が保護者に対して、

「信じてほしいと皆さんはさかんに言われるが、信頼は言葉で得るものではありません。行動で積み重ねるものです。」


「校則の是非はあろうかと私たち教員も考えていますが、校則を守ったうえで議論をしてきた生徒と、守らずに要求だけする生徒のどちらを信頼するかは自ずと分るでしょう」とも続けたそうだ。

「あの教頭先生は立派だった、本物の先生だった」、と家に帰ってきて総会の様子を話す父母はなんだか嬉しそうであったのも印象的でした。


5.今も自分の中で生きている。

目立たないように学校生活をしている自分にとって教頭先生は集会で「始めの言葉」などの儀礼の挨拶するだけの存在で、その印象は物静かでしかありませんでした。

そんな教頭先生が喧々囂々(けんけんごうごう)の保護者たちに言ったことは、直接に言われたわけでもない自分にもまさに「大切な教え」と直感できました。

しかし、校則を守らなかった生徒たちは一度も丸刈りになることなく(総会で発言をした不良・ヤンキーな三年生とその一部は除く)、なし崩し的に校則は撤廃になりました。
社会の中にある見えない力の存在を知った初めての体験だったようにも思います。

令和の現代、例えばSDGsのように高尚なスローガンはたくさん目にして耳にします。SNSですぐ拡散してしまうこともあり、ほとんどの人は同じような美辞麗句を並べていると感じます(だからといって、本音だからと他者を攻撃するような発言をすることを容認しているわけではありません)。

けれど大人になった自分たちは、口にした言葉の通りに行動ができているだろうか? 結果はいまだ実っていなくても実現するために行動できているだろうか?

「地球環境の保全」と言いながら、足元のごみを拾えているか。
「共生社会」と言いながら、隣人のつらい状況を聞き取れているか。
「差別のない社会」と言いながら、マウントの取り合いをしてないか。

信頼は言葉で得るのではなく、行動で積み重ねてつくるもの。

自分も今一度、これからの行動がブラッシュアップすると決心を表して。



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