見出し画像

「言葉」を紡ぐということ

3日目にして既に「何を書こう・・・」と悩む。三日坊主とはよく言ったものだ。先人はいつだって物事を的確に言い表している。

本日のタイトルは、最初
「文字を書く」ということ
としていた。
(※タイトルから書きたい内容をイメージして膨らませている現状)

が、先般あった職場の試験で、
・シャーペンで
・原稿用紙に
・文章を書く
(時間制限90分)
というゴリゴリの物理戦を行った際に、いかに日々自分が文字を書かなくなったかということを痛感させられたばかりである。

勉学から離れて久しい方々には経験があるのではないかと思うのだが、まず筆圧のかけ方が分からなくなっている。ペース配分がわからない駄馬のように、まずグイっと書いてしまったが最後、過剰な圧力で書かれた文字は原稿用紙の薄さを突き破り、ひとたび消しゴムで消そうとしても文字の痕跡は残る。先の尖ったシャーペンで初めて作文を書いた小学生の如しである。原稿用紙を消しゴムの圧で破らなかっただけで及第点としたい。

次に利き手は慣れない作業で痛み出す。90分耐久打鍵もなかなかキツそうだが、90分耐久記述もなかなかキツい。普段使わない筋肉を使うので、なんだか右掌の側面が攣りそうになる錯覚を起こす。これは単純に筋力の問題なのかもしれないので、掌の筋肉を育てる筋トレ方法で効果的なものが世に広く周知されているのであれば、ぜひご教示いただきたい。この毎日の駄文作成後に、取り組んでいきたい所存である。

最後に、イキって書いた漢字が間違っていては恥ずかしいので、ここはひらがなにしておくべきか・・・?という羞恥心との戦いがある。
倫理の倫は浮かばないのに、不倫の倫と言われると書ける!ふっしぎ~!
と、非常にしょうもない思い出し方をして、試験時間中に猛省したところである。

閑話休題。

昨日、クリエイティブとかクリエイターとか、なにか創造的な話をしたところである。
個人的には、文字は単なる表象・記号にすぎないが、言葉というのは相手に伝える意思のあるものではなかろうかと考えている。
では、私が羅列しているこの文字は、相手に伝える意思のある「言葉」なのであろうか。

当然、「クリエイター」であれば、その先には、なにかを伝えたいと思う対象があって然るべきなのだろう。

常日頃、我々が相手に対して発している言葉は、「明確に対象に向けられた」言葉である。
もちろん独り言もあるが、例えばコンビニで買い物をしたときのありがとうは店員さんに向けたものであるし、家庭内で人に呼びかけるときの「おい!」という呼び声も、代名詞としての役割を果たしている。

詠み人知らず、と対をなす概念として、聞き人知らず、という概念があるのかは定かではないが、果たして発信する相手方が明確でないものも創作物にあたるのだろうか、ということを漫然と考えている。
なお結論はまだ出ていないので、ダラダラと記載している。
企業noteとかなら、きちんとそのあたりをターゲット設定して書かなければならないのだろうが、個人の思いを綴る場所なので、そんなことは二の次である。

例えば、このような雑文を、何も全世界に公開が可能なプラットフォームに投稿せずとも、日記帳に認めることもできるだろう。
にもかかわらず、私は全世界への公開を選択している。
それは創作意欲の為せる業なのか、共感を得るためなのか、自己満足なのか、なにか生きた証を残したいのか(これは自己顕示欲か?)。

最終的に、それらの線引きを行うのは私自身なのだろうが、なんだかまだ昨日の「noteしてるやつ全員クリエイター説」(超個人的意訳)が腹に据わりきっておらず、PCに向かっている今もムズムズしっぱなしの状態である。

言語化するための修行として、お付き合いいただければ幸いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?