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【小説】ハーバリウムを破って

ハーバリウムを破って

 猫にぶたれた。せっかく、乱反射した太陽の複数視線から、自分の顔を群青に深く隠していたのに。フードが肩に落ちたんだ。綿毛の上にゴマがかかり、すすけた、汚い白色のコイツにぶたれて。舌なめずりをして回る琥珀の眼球。肉球ですら可愛くない。くすんだ手はささくれだらけで、上品さのかけらもない。おまけについてきた爪で、頬に線が引かれた。その皮膚を、白猫とわたしの二人きりの世界を、さんさんと見つめられて日焼けがしそう。やっぱり、今日は、学校に行かなければよかったな。

 「不登校」を「登校拒否」と言い換えたところで、しょうがいしゃをどう表記するのかと同じくらいくだらない。そんなことより、好奇心で開いた瞳孔を瞼の中に眠らせていてほしい。と考えているから学校に行けなくなったのかもしれない。

 いや、本当のところはどうだろう。頭をいじくりまわしてみても、それらしい理由は空っぽ。嫌いな先生はいない、でも、先生と先生が廊下で金切り声を出していたときは、鼻くそを壁につけて帰りたくなった。好きな人だっていないし何かあったわけでもない、でも、カオルちゃんとサキちゃんがナカムラくんを挟んで喧嘩していたときは、ナカムラくんのちんちんが水着からはみ出していたことを、大声で叫びたくなったっけ。それと、いじめがあるわけじゃない、でも、わたしには友だちが一人もいなくなった。唯一の友だちだと思い始めていた矢先、その幼馴染にさえ絶交だと言われたんだし。何をとっても、ランドセルを背負えるな、とも思うのは嘘ではなくて、行きたくないと背負わないのも事実なんだ。けど、白猫にぶたれただけで、今日の頑張りを後悔する。行かなきゃよかった、あんな場所。たった一時間分の教材に背骨を曲げられていく心地がするから。今、にらみを利かせる住宅街の影だって、味方じゃない。佇む家々の窓には、教室のみんなと先生の裏側がある。表と裏のひっくり返る様子が、わたしには理解できない。一か月前から進む土地開発工事の雑音に紛れ込んで、フードの奥に再び顔を隠した。

「へぇ、大人になるのが怖いんだ」

 ぶ厚いランドセルを貫通して、背後からおへそを引っこ抜かれた。

「うるさい、うるさい、だって分かんないんだもん。みんなが言ってること」

 電柱も、わたしを見下ろして軽蔑する。

 大人になるということは、裏と表が浅ましいと痛感してならない言い訳ちっくな頭を、咀嚼することだよね、たぶん。それでも、プライドを持つことや恋愛をすること、ましてや社交辞令なんて、わたしには食べられない。太陽光で体内に発生したガスだけで、もうお腹いっぱいだ。お母さんはこれを悩み事なんかじゃないと告げたけども、不明確なしこりは、無視していたら癌になっちゃう。大人はみんな藪医者だ。

「それなら命の危機に接する前に、病人は助けなくちゃ」

 白猫は、心を奪い取って商いにしたような喋り方をしてくる。本音をもみくちゃにした駆け引き。

「本当に何かを奪い取っていたらどうするの」
「嘘だ、」

 と、後ろを振り向いて、背負われたものが風を切る音だけを立てた。

「ない、キーホルダーない、わたしの、ハーバリウム」

 眼球もう一周。ぐるりとかえって身体も翻る。お魚をくわえない猫は、小瓶に詰められたガーベラの花びらを揺らして見せた。コンクリートの長方形を左折して、走り去っていく一本のしっぽに地団太を踏む。蹴り上げたことに小石が怒って、わたしの足に邪魔をした。バランスを忘れた土踏まずのせいで、膝の皮膚がちぎれて滲んだ。泣きたかった。わんわん犬みたいに大声上げて誰かの胸に縋りたくなる。大人になんてなるもんか。ああやって軽々しく飛び跳ねて、人のものを易々とひったくる大人という物体には、なりたくない。その感情を無視した知覚は、勝手に身体を操って猫を追いかける。あのハーバリウムは、思い出せないが大事なもので、取り返さなきゃいけないって蠢いた。
 水着がないのを承知で、上半身まで泥にまみれるのを覚悟で、まるでそこに何かを求めているようなわがままを率いて白猫に続く。滑走路を踏みつぶして風をかき分けるのに似た走り方をしていたら、川の中に落ちてどぼぼん。一足先に泳いでいた猫は、泳ぐのに鈍足だった。並走するのはあまりにも容易で。水しぶきは猫の毛を圧迫し人間の皮膚をふやかして、命の形を変えるように馴染み始める。水の音は、悲鳴じゃないのかな、何かの。いのちが潰されて溶けはじめるんだ。そんな予感がする。人があまり死に場所にも生き場所にも水中を選ばなかったのは、悲しみの泡に耐えられないのが理由に違いない。

「ねぇ返してよ」

「ひとつお願いを聞いてくれたら返してあげる」

「どんな」

 白猫は友だちが死にそうだと言った。友だちのいないわたしに助けられるはずがないのに。キーホルダーは取り上げられたまま、足がつかなくなる水の中。靴は意味をなさなくなって、到着の場所が分からない。まごついた身体を支えようと水をいくら殴っても、しゃぶられるばかりで、ついに頭までまるまる飲み込まれていく。が、意外にも、水は優しいいきものだと解る。呼吸を遮らず、身体にも浸透しない。テリトリーを侵害せずに、わたしの生を認めてくれた。泡の悲鳴はわたしと白猫の手を引くように指に付着する。

「シロが死んじゃう。シロが死んじゃう。クロに置いて行かれて」

 白猫はクロで、友だちの黒猫がシロというそうだ。ちぐはぐ。

「シロが死んじゃう。死んじゃう。イトちゃん、あなたも、きっと死んじゃう」

 白猫は泡を潰して払った。この泡は嘘吐きなんだ。わたしは死なない。でも、生暖かかった空気が、背筋をピンと凍らせて、少し震えた。

 水はやっぱり、誰かの悲鳴らしいなと思い返す。なにも存在しない空白の中に丸め込まれてしまいそう。間違えて買ったくすみのブルーカーテンの景色の中には、ハーバリウムと同じガーベラが一輪あった。たった一人で咲いている、孤独の孤独の青い場所。いびつなそれは桃色に明るさを帯びていながらも、残りほんのわずかで消えてしまいそうだ。そこへ、クロと手をつなぎながら向かった。白猫はわたしに、味方だ、と言った。本当に?
こぽん、こぽり、かぽかぽ。涙の嵐が吹きすさぶ。こぽん、こぽり、かぽかぽ。水の冷たさが増す。ガーベラ以外は何もない密閉された中に。こ、こ、こ、ぽ、ん、とさんそがついにとぎれる。あ。

 く、ろ、ね、こ、は、く、び、を、ち、ぎ、っ、て、

 ガーベラは散った。蝋燭を真似て。花弁は、黒猫の死体を囲んで尊んだ。砂には埋もれず、宙を歩いて、黒猫の身体をなぞり踊っている。彼女の掌には、ハーバリウム。傷ひとつない、わたしと一緒の、ガーベラの、ハーバリウム。

「間に合わなかった!」

 ガゴン。

 クロは、もう一度爪をわたしにたてた。二本足で立ちながら、わたしの手を握っていたそれで。シロが死んだのはわたしのせい、なんだ。

「イトちゃんのせいだ、イトちゃんの。ぼくの親友を殺したな。」

 味方だって言ってくれたのに。言ってないそんなこと。全部わたしの妄想だった。そうだ、イトちゃんの妄想だ。一瞬でも白猫を追いかけるのに躊躇して、黒猫を助けることができなかったのか。あのとき、すぐに行動していれば。あのとき、悠長に白猫と会話なんてしなければ。青がどんどん黒くなる。墨汁が半紙に落ちるように。黒猫の姿が消えてしまいそう。それでもなお、白猫は、毛を逆立てながら怒鳴る。眉間にお山を三つ作って、髭は避雷針のようにねじれた。鼻息でガーベラの花びらも吹雪かれて、どこにもいなくなろうとしている。それを、泡の悲鳴が許さなかった。許さない、何を。泡はガーベラの花びらを運んで、再び指に纏わりついた。

「シロが殺された。嘘吐きクロに。騙されちゃいけないよ。シロは殺されたんだ、クロに。二匹は友だちなんかじゃないよ。クロがシロをいじめたんだ」

「ちがう、全部イトちゃんのせいだ」

「どうしてイトちゃんのせいなんだい。イトちゃんは――」

 その言葉を、わたしは聞いてはいけない気がした。

「イトちゃんは、黒猫のシロだよ」

 だから、クロは、白猫は、ハーバリウムを奪ったんだよ。そして言った。絶交だって。お揃いで、買ったのに。ピンクのガーベラを詰め込んだハーバリウム。全てはどうでもよかった。先生同士のいさかいなんて、日常的な光景だから記憶の引き出しにも入らない。カオルちゃんとサキちゃんがナカムラくんを好きなことだって、心底あきれ返ってどうでもよかった。それが君に友だちじゃないんだと言われただけで、人がただの看板に見えたんだ。うすっぺらい、表裏が簡単に返されてしまうようなくだらなさ。この過程が苦しみではなくて、大人になるための教訓なら、わたしは十二歳のままなんだろうか。泡の声も、猫の気勢も、ちぎれた死体もなくなって、思考だけが泳いでいた。暗闇の中に命ぼっち。月も顔が届かないような、潜り、沈んだ灰色の弱さ。泡は、白猫をクロと、黒猫をシロと呼んだけども。わたしなら、白猫はシロで、黒猫の自分をクロと言う。だって、わたしは、いつだって幼馴染が正しいように思っているんだ。

 消えたはずの泡が、ガラス瓶を二つ持って浮遊する。受け取った二つのハーバリウムには、数本の亀裂が走っていた。そこから泡が漏れ出していて、しぶとくしがみ付くこの子たちがわたしにこの景色をみせたんだと自覚する。冷ややかに凍てつく底へ大人になれない体躯を呼び寄せたんだ。硝子は既に壊れているのをきちんと受け止めていた。あぁ、これを粉々に。これはただの箱庭に違いがないんだし。大丈夫? と聞かれる頃に、わたしたちは理由もなくもう死んでいて、小瓶の中で滅茶苦茶に詰められるんだ。死化粧で綺麗になったハーバリウムを眺めて、いい人生だったなと言われる。血の通った導線に弾け飛んだ花火が、そう簡単に燃え尽きていいものか。ハーバリウムを破って、くれ。人生は、見世物なんかじゃない。

 十かける十の幅に収まる掌から放り出された対のうち、一方が先に落下して砕け散った。もう一方はかぶさるように遊んで、灰になる。ガーベラの花びらが今度こそ砂に埋まって、芽を生やす。水を押しのけて成長する大輪に、斜線が纏わりついて着飾った。橙色の朗らかな温暖は、茎と葉と花を守って行進する。高く、追いかけてきた日輪に向かえ。帰ろう、これを登って。帰ったら、お母さんに言おう。明日も学校に行ってやるんだって。

 学校が朝にのぼって昼に着地するのは、泡の悲鳴を抱きしめるからだ。

あとがき

 学校に行かないことは、正しい。もちろん、学校に行くということも。また、学校に行けなかった、行った、という過ぎ去ったアルバムも、当たり前のように正解です。けれども、たかが早く生まれただけの先輩が「学校に行けよ」とジレンマに身悶えするのは、ある種の青春コンプレックスを抱えるから。そう読者諸君は思うのでしょうか。

 学校を舞台にした青春は、確かに理解が容易いのです。文化祭、運動会、部活の一大イベントに、子どもたちだけの友情・恋愛(これは大冒険と私は呼びます)。いわゆる、陰キャと陽キャに分類して、陽キャになってくれと大人たちが懇願するような。けれども、学校に行かないという勇気は、陽キャになれなかったという青春コンプレックスには付属しません。私は小学六年生の秋、いじめに耐えかねて、いよいよ学校に行かなくなりました。しかし同時に、あるいはその後に、私をいじめていた主犯格の七人は、小学校以降も含めて学校へ行かなくなりました。彼女たちは、人生の遊び方も立ち回り方も知っていましたし、色恋だって既に豊富でした。青春コンプレックスとは無縁でありながら学校へ来なくなり、その行方は分かりません。そして、私と彼女たちは互いに(彼女たちはいじめていたことを自覚せず)、学校に行かなくなった理由を知らないのです。おそらく、先生も、親も。

 このように、学校に行かないその訳なんて、誰も明確に説明出来やしないのです。私は確実な理由と発端の出来事がありましたから、こうして皆様の前でつらつらと演説できますがね。そうでもない限りは、私が彼女たちの登校拒否に疑問と怒りをかつて持ったように、学校へ行けない理由なんて誰にも分らない。

 学校へ行かずとも、人は良い人生を送ります。教育は昔、不平等で、それでも幸せな人が沢山あったのですから。ただ、人生の種類が違うだけです。でもそれって、当たり前じゃあないでしょうか。

秋杏樹



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