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私が東京から離れて地元に帰った理由

初めまして。杏仁と申します。

現在28歳の派遣社員をやっていました。

今回私がnoteを書こうと思ったのは、タイトルの通り10年間住んでいた東京を離れ九州の田舎へ帰郷したためです。

この帰る理由はとても褒められたものではないのですが(自分が120%悪い)、東京での生活・夢・人間関係すべてを断ち切らざるを得ない事情があったためです。(詳細は後ほど)


まずは自分の自己紹介をさせてください。

私は18歳の高校卒業まで九州の田舎で生活していました。

年の離れた兄2人の末っ子として生まれました。

1番目の兄は東京の大学を卒業してからUターンで地元の企業に就職し、2番目の兄は障害を持っていたため支援施設に通っています。

私は幼少期からファッションが好きで、洋服の専門学校に入るために東京を目指しました。

刺激的な毎日を送る中で自分よりよっぽど才能や、情熱のある人が多いことに気づき、デザイナーという夢をあきらめOEMの生産管理の職に正社員として入社しました。と思っていましたが、実際の雇用形態はアルバイトと同等のものと後に分かります。

それでも念願のアパレル系に就職できたんだから、となんとか自分を納得させて2年間働いてきましたが、単調で自分が一番下っ端ということもあり狭い人間関係に悩み、派遣という形で転職に成功しました。

また転職期間中に私の尊敬するメンターとの出会いもあり、プライベートも充実させていく中で自分も元々持っていたブランドを立ち上げたい、という目標に向けて準備をしていくことになります。

その中で、時給での生活で月々の収入が安定しない現状、遊びや誘惑に負けてしまう自分の弱さがあり、クレジットカードを使いまくっていたところその4年後、現状と向き合うことを恐れていた私に兄からの示しがあり、即効で地元に帰り身を固める条件を突き付けられました。

それまでの私は弱みを見せたくない、恥ずかしいことはできない、と無駄なプライドを握りしめて親にも兄弟にも相談できず、黙ってじっと返済し続けるというのを繰り返していて事の大きさに気づくことはできませんでした。

母親が泣き、兄に叱咤され自分のしてしまったことの大きさに気づいたのです。心情的には命でも絶とうかというところまででしたが、実際蓋を開けてみれば早く相談していればというような自分の不逞と堕落の結晶のようなものでした。

実家より提示された条件として『東京に一切の未練は残さずにあなたの信頼を回復させるのに努めなさい』『東京の人間関係を一切断ち切り、地元で安定した職に就き目の届く範囲で生きること』とされました。

この期に及んで私は絶望しました。

本当の意味で自分の身に起こっていることがどれほどのことなのかわかっていなかったのかもしれません。

というか地元で頑張って働いて完済し、家族への心象が回復すればまた戻れるとすら思っていました。正直このnoteを書きながら今も思っているし、この記録を何かに生かせないかとすら思っています。

ただ、そうはいかない。

私はついに電話口の母親へ「私の人生は決められるの?」と聞いてしまいました。すると「もう10年あなたの人生やってきたでしょう」と。

たった10年、まだ私28歳です。

体だって五体満足健康で、精神も安定している、私まだこれからだよね?

メンターはいつも「年齢や性別関係なく目指す人が目指せる環境をつくろう」と言っていて、私も大いに賛同し実際に共に目指していました。

こんなに簡単に打ち砕かれるものなの?


帰省2日前です。反省していない、ちゃんと向き合っていない、自分のしでかしたことを棚に上げても、希望がなければ回復もくそもないのです。

そもそも就職先もない、免許を持っていないので車もない、介護系や看護系ばかりで自分の経験や資格を生かせる職がないところでなんとか挑戦しようとモチベーションを上げていたのですが『人生もういいでしょ』と言われた私はどうすれば。

前向きで明るい肯定的な提案をたくさんできる仲間が周りにいたので、この地元のじめっとした感覚を思い出しました。

そうか、だから地元から出たかったのか。

そして、今の私は全くそれをあきらめていないのか。


このnoteではUターン就職の現状や、地方で活動について気ままに書きたいと思います。地元に戻るけれどもやりたいことができるか不安、20代や30代で都会から田舎での暮らしって実際どうなの?というところについて発信していきます。

とにもかくにも地元で職探しからスタートです。