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7月8日 七転八起の日

 おきあがりこぼしは倒れないのだと、ぼんやりと見ていて気づいた。

 それは、祖母が転んで入院し、その退院祝いで彼女が出かけたおみやげにと私がもらったのだが、どうだろう、見ていてなかなか面白い。面白いと言うか、どこか癒される。


 今日、会社の昇格試験に落ちた。

 しかも一次試験であり、単純な能力診断テストの段階だ。一般的知識を問われるもので、勉強すればおそらく合格する類のものである。

 勉強は、したつもりだったのだ。

 つもりはつもりで、圧倒的に勉強量が足らないのかもしれない。いや、多分足らないのだろう。私は分かっている。ならば勉強すればいいのに、うまく出来ないのだ。頭が悪いのかもしれない。かもしれないではなく、頭が悪いのだ。そして要領だって悪いのだから、うまくできる訳がないだろう。

 そうして私はまた、自分に幻滅しているのである。

 よくあること。

 たとえば仕事でミスをしたとする。そのミスが、何とも幼稚でくだらないミスだったりすることが多く、その都度げんなりするのだ。きっとげんなりしているのは私だけではなく、上司や同僚もそうだろう。そんな視線をいつも感じなくもなくもない。

「次、いつ受ける?」

 同僚の菜穂が言う。彼女も今回は落ちたと聞いた。でもきっと、私よりは点数も良かったのだろうな。

「どうしようかな、少し間あけようかな」

 私がくだらない照れ隠しをするようにして笑うと、彼女は不思議な顔をした。

「何で笑っているの」

「えー、だって、勉強していなかったから落ちたのも仕方ないしなと思って、自分にげんなりしたからさ、笑うしかないなぁと思って」

 私はまた、笑って見せた。

「じゃあ次は勉強して受ければいいね。笑うしかないことはないよ」

「でも多分、私はまた落ちる気がする」

私は、少しだけ笑うことを止めて口に出す。

 本当に、そう思っている。悲しいけれど、私は次こそ受かると言う気がしない。きっと菜穂は呆れていることだろう。それだって分かっているのだから言わなきゃ良いのに、言ってしまうところが私のダメなところである。

「別にいいじゃん。その次で受かれば」

「え」

 彼女は呆れた顔などしていなかった。

「落ちたなら、次受かればいいじゃん。それが2度でも3度でも」

「え、じゃあ5回落ちたら?」

 私はまた阿呆な質問をする。

「6度目を受ければ良いだけでしょう。簡単なことだよ。受けることを止めない限りは倒れずに何度でも起きあがればいい」

 そう言って、私の机にあるそのおきあがりこぼしをつん、と指で揺らした。彼女が言うようにおきあがりこぼしは大きく揺れて起きあがった。

「七転八倒じゃあないよ、七転八起のほうだからね」

 いいお手本があるじゃないと彼女は笑う。

 そうか、七転八倒ではないのか。転んで倒れもがき苦しむのではなく、転んでも起きればよいのである。

「起きあがるかどうかは自分次第だけど、起きあがればいいんだから簡単なことよ」

 そう言った彼女は指でぐいっとおきあがりこぼしを押し、その反動でそれは見事に起きあがった。

 転んで起きあがった祖母よ、良いものをくれてありがとう。感謝して、私は次の試験の申込書を書く。

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【今日の記念日】

7月8日 七転八起の日

熊本県阿蘇市でキクイモ商品をはじめ、縁起を担ぐ「くまモンの起き上がりこぼし」などを販売する阿蘇壱番屋が制定。熊本地震からの復興の気持ちを込めて、何度でも起き上がる心意気を表す「くまモンの起き上がりこぼし」で多くの人に勇気と励ましを送るのが目的。日付は7と8で「七(7)転八(8)起」の数字にちなんで。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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