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4月6日 シールの日

 仕方がないけれど、思えば行事のほとんどが無い年長さんの年だった。

 今日から小学校の学童保育に通うその娘を送り出し、私は出勤のために駅に着いたところである。改札を抜け、エスカレーターをやめて階段を一段抜かしで登っていると、壁に色んな案内が貼られていることに気付く。

『9月までの下記当社イベントを中止致します』

 鉄道会社のものだった。その一文の下には、つらつらと恒例だっただろうイベント一覧が並び、その殆どに取消線が引かれていた。

 イベントの中止か。そう頭に浮かべると、自然とつい先月までの娘の保育園年長さんクラスを思い出していた。

 保育園最終学年だった1年は、やっぱりほとんどのイベントが中止であった。保育参観も無ければ運動会もない。卒園バス遠足も無くなり、代わりの公園までの徒歩遠足ではお弁当は無しだった。運動会の代わりのスポーツデーは平日の園庭でひっそりと行われ、発表会は例年よりも予定があとずれした上に、もちろん保護者観覧は無かった。業者が撮影したDVDとそのデータが後日配布されると言うが、まだ来ていない。

 小学生になるその1年前の大切な時期に、彼女は一体何を経験できたのか、私には分からないままに卒園した。

 唯一、園での日常を知れるのは時々掲示された写真だが、それも園児が全員マスクをしている。親だから、マスク越しでも彼女の表情や感情は窺い知ることはできる。でも、喜んだときの薄い桃色の頬や、そこに浮かぶえくぼ、上の歯が抜けた彼女の口元。その思い出はそれには残らない。

 電車の中、僅かに涙が浮かび始めると、ピコンとメッセージが届いた。

『各位、お待たせしました!発表会の映像を共有します!DVDは今週中にお送りする予定です』

 保護者会からである。役員の方や先生方には色々と頑張っていただいて頭が上がらない。

 誰が悪いわけでも、何がおかしいわけでもなく、流行の感染症が怖いのだ。だから、身を守るための対策でイベントや行事も見送られている。本来は家に引きこもったままでいるべきところを、保育園に通わせてもらって仕事に行けるのだから感謝しかない。

 たとえ思い出写真の中の全ての表情がマスク越しであったとしても。

 私は送られたURLにアクセスし、動画再生ボタンを押した。出てきたのは確かにやっぱりマスクの子どもたち。

「あ」

 でもいつもの写真や動画とは違い、それぞれ表情が見えた。

 シールだ。

 マスクの上から口元に似せたシールを貼っているのだ。

「かわいい」

 電車の中で思わずつぶやいた。

 発表会の演目はオズの魔法使い。
 うちの娘はドロシー役だった。マスクの上には可愛らしい『口』のシールが貼られていて、マスクをしているけれどそれは笑っているように見える。ある子はブリキのロボット、ある子はライオン。それぞれがその役に合わせた口元のシールをつけているのだ。

『マスクのシールは先生方が作ってくれました』

 追加のメッセージが来て、私は少し涙した。

『西の魔女の魔法のシールです』

 
 シールは子供の遊びと思っていたら、とんでもない。マスク越しでなければ味わえないたったひとつの思い出になった。


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【今日の記念日】

4月6日 シールの日

ブランド名や製品名、機能、特長などを伝えるのに大いに役立つシール。身近にあるシールが持つ魅力や可能性を広くアピールしようとシール・ラベルの印刷加工メーカーのシーレックス株式会社が制定。日付は4と6で「シール」と読む語呂合わせから。シールを使ったキャンペーン、イベントなどでさらなる普及と発展を目指す。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。


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