3月25日 ご自愛の日
「ご自愛ください」
彼女から送られるメールの最後の一文は、いつも優しいものだった。
それは月に1度の提携業務の報告書送付メールである。送付元は提携先会社の女性であるが、送付先には当社の様々な部署があり、つまりいつもの決まった報告メールであって、いちいち誰かが彼女に返信をするものでは無かった。
だから、私も例外なく彼女と直接会ったことも話をしたことも、メールを返信したこともないのだった。
けれど彼女から送られるメールはいつも温かく優しい。そのメールに手を触れることが出来るなら、きっとほろ温いだろう。
冬から春に変わる今の季節には、
季節の変わり目ですから、ご自愛ください』
春から夏の暑さが垣間見えれば、
『暑くなりますから、ご自愛ください』
こんな風にしていつも見守ってくれているようである。
ただの時節の挨拶だとは分かっているが、それでもやっぱり胸がほっこりするのだった。
しかし今日来たメールにはそれらの一文が無かった。
「ねぇ、月例報告のメール見た?いつもの気遣ってくれる一文が無かったよね」
不思議に思い、私は隣の同僚に確認してみた。肝心の報告内容には問題はない。ただ挨拶文がないだけだ。それでも、もしかして彼女は異動になってしまったのか、途端に不安になってしまうのだった。
私の問いかけを受けた同僚は首を小さく傾げてメールを確認した。
「なに、その気遣ってくれる一文て。別に普通のいつものメールじゃない」
なんてことだ。彼女の優しさに気づかない人がいたのか。その後、何人かに聞いてみたがほとんどが彼女の気遣いに気づいていなかった。そもそも報告書メールを見ていないものもいる。
それも仕方がないのだろうか。単なる挨拶をいつも気にする私が変わっているのか。
「報告書メール、珍しくあっさりしてたね」
営業から戻ってきた同僚が声を掛けてきた。私の他にも気づいていた人がいたのかと妙に嬉しくなる。
「そうなんだよー。いっつも絶対あるからさ、ちょっと気になっちゃって」
私が言うと同僚も頷いた。
「わかる!ちょっと癒やされるよね、あのメール。単なるご挨拶でも気持ちが伝わるものは素敵だよね。結構嬉しいんだよ」
「そうだよね。うーん、ちょっと、返信してみようかな」
私は思いつきを口にした。いいんじゃない?と同僚はまた席を立ち上がり、外出した。日々忙しいのに相手の些細な変化にも気付けるのはやはり営業だからだろうか。
『いつもご報告ありがとうございます。御多忙の折ではありますが、どうぞあなたもご自愛ください』
かくして、私はメールを送ってみたのである。
どういう文面で、どんなふうにと少し考えてみたけれど、シンプルにお礼にとどめておいた。但し、彼女がいつも私達にくれるご自愛くださいの一言は入れておきたかった。
すると、5分もたたぬ間に返信が来た。
『大変嬉しいお心遣いありがとうございます。どうぞ引き続きよろしくお願いします』
返ってきたメールは、特別なことはなにもないはずなのに、やっぱりどこか温かいのだった。報告メールにいつもの一文がなかったのは、もしかしたらただ単に忘れただけなのかもしれない。そう思えて何だか妙にほっとした。
それは単なる挨拶である。けれど、そこに優しさが含まれたなら、それは気遣いになる。私は彼女の言う『ご自愛』が好きなのだ。バタバタと終わる毎日の中で、その言葉を目にするだけで少しは自分を大切にしようと思える。
どうか、皆様もご自愛ください。
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【今日の記念日】
3月25日 ご自愛の日
「最愛の自分に最高の運命を」と、ご自愛ライフスタイルを提唱する「ご自愛学会」が制定。自分を大切にすること=ご自愛の大切さをさらに多くの人に広めるのが目的。日付は自分の愛し方の専門家で、ご自愛ライフスタイル研究室を主宰する小原綾子氏の誕生日から。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。
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