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4月12日 育児の日

『行ってらっしゃいにはおかえりなさいがあるのよ』

 私の記憶の限りでは、小学生になる頃に母に言われた言葉である。


 そこから30年、私は同じ台詞を今日、初めて娘に言うのだった。

「じゃあ、おかえりなさいには行ってらっしゃいがあるってこと?」

 手を繋いで歩きながら娘が私に聞く。

「そうね、そうかもしれないね。行ってらっしゃいって言ったらね、外へ行って、またここに帰っておいでって意味なんだって。だから、行ってらっしゃいにはおかえりなさいも入っているの。でね、キリちゃんの質問だと、おかえりなさいってことはここから行ってここに帰ってきたんだねって意味が入っているのかもしれないね」


 今日は、先週末に小学校に入学したばかりの貴里の初登校日である。当分は集団登下校となるそうで、住まいが近い地域のもの同士で集まり、グループになって朝は登校し、帰りは下校する。朝はその集合ポイントまで親が送ることになっていた。


「ふーん、難しくてよくわからないけれど、キリはおうちから行っておうちに帰ればいいってことだよね」

 歩く道をきょろきょろと見回しながら彼女は言う。ふらふら、きょろきょろ、これで無事に学校まで行けるのだろうかと若干、いやずいぶん不安になっている。登下校には地域のボランティアの方々が各所で見守ってくださるそうで、町ぐるみで子育てをしてくれているように思えてなんだか胸が熱くなる。見れば少し遠くにそれらしき人が見えたりする。


「おはようございます。中村貴里ちゃんですね、おはよう!こちらへどうぞ」

 集合ポイントの手前、係りの保護者と、新入生と一緒に登校するのだろう上級生が手早く貴里を迎えにやってきてくれた。貴里は嬉しそうに言われるままその場所へ向かい、元気に挨拶もしている。

 急に離された手は、ぶらん、と空にある。

「お母さんはもう結構ですよ。あ、近藤良平くんかな、おはよう」

 係りの保護者は、てきぱきと後から来る1年生を案内した。

 もう結構だと言われた私の心も、ぶらん、と空に放たれた。

 あぁ、もう今までのように一緒にはいられないのだ。

 そんなことは分かっていたはずなのに、どうだろう、この引き離されてしまった感覚。

 共働きである我が家はずいぶんと早い年の頃から彼女を保育園に預けていた。だから、産まれてからずっと、べったり一緒にいたわけではないのだ。それなのに、なんだろう、この急な喪失感。

 保育園の時とほとんど変わらないじゃないか。先生に預けて一日を過ごす。我が家は学童保育も利用し、帰りは私が迎えに行くのだから、結局彼女が自分の足で登下校するのは登校のみで日常生活には私ではなく先生が一緒なのだ。

 それなのに、今、この瞬間がもう寂しい、切ない。


 それが成長の証なのだろう。
 そんなことは分かっているのに、それも寂しいのだ。
 だから、私は言わずにはいられなかった。

「貴里!行ってらっしゃい!」

 空を切っていた手を大きく振り上げた。
 行ってらっしゃいにはおかえりなさいも含まれている。
 だから、ここに帰っておいでね。

 そのためにも、ここから行ってらっしゃい。

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【今日の記念日】

4月12日 育児の日

社会全体で子育てについて考え、地域が一体になって子育てしやすい環境づくりに取り組むきっかけの日にと、兵庫県神戸市の株式会社神戸新聞社が制定。日付は「育(いく=1)児(じ=2)」と読む語呂合わせから毎月12日とした。株式会社神戸新聞社は第9号「記念日文化功労賞」を受賞。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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