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10月12日育児の日

 いつまでも寝ない我が子は今日も涙を流す。
 時刻は23時になりかけていて、私はすでにくたくただ。寝てね、寝ようか、寝るよ、寝なさい。いったい何段活用あるのだろうかと思いながら、同じ言葉をあれこれと言い換えて息子に伝えるも、いつだってそれは伝わらない。我慢我慢と自分に言い聞かせるも、限界がある。

「寝なさいって言ってるでしょ!!」

 あーあ、また怒ってしまった。

 どこかの何かの専門家曰く、大きな声を出しても怖がらせるだけ、そもそも怒りたい気持ちが自分の中にあって、子供の行動はただのきっかけなだけらしい。雑誌や本で色々見たけれど、分かったからその上で穏やかに過ごせる方法を教えてくれと思う。

 息子はまだ4歳だ。私、あと何十年疲労困憊で布団に入らなければならないの。想像したら泣けてくる。全てを私1人で担わなくてはならないのかと言う不安。夫がこのまま同じ仕事を続けて行けば、日々の育児に協力は期待できない。仕方がないのは分かるが、理解と納得は別物である。

「あ」

 気付けば眠っていた。暗がりの中、時計を見ると深夜0時を回っている。23時前までは記憶があるから、そこから力尽きたのだろう。いつもこうだ。いい加減自己嫌悪になる。

 横で息子がすうすうと寝息を立てていた。頬にうっすらと涙の跡があり、胸が痛む。やんちゃでわんぱくでいたずらっ子な息子。泣くほど怒らなければ良かった。今日くらい夜ふかししたって死なない。やんちゃしたってわんぱくでいたずらしたって死なない。

 でも、私が育てなきゃと思うとどうしたって怒ってしまう。

「あ」

 息子を見ると、ちゃんと布団が掛かっている。そう言えば私も。きっと夫が掛けてくれたのだろう。気づかなかった。

 水でも飲もうと台所に向かうと、きれいに整頓されていた。リビングを見ればおもちゃも何も出ていない。寝る前よりきれいだ。

 なにが、『1人』なのだ。

 私には夫がいる。子供を見ている私を見てくれる夫がいるではないか。私を支えてくれる夫がいるではないか。確かに平日は時間的に頼ることは難しい。でも土日と、平日の夜中にこんな風に私と息子を大事に見てくれる夫がいるのだ。1人ではない。

「あ、起きちゃったの?」

 お風呂場から夫の声がする。私は静かに駆け寄り、抱きついた。夫は、濡れちゃうよと笑いながら頭を撫でてくれる。

「いつも寝かしつけありがとう。土日は代わるよ」

 困ったような顔で言い、彼は笑う。そして、そう言えばと台所の戸棚からお菓子を出した。

「お隣のおばあちゃんが息子さんにどうぞって」

 見ると、息子の好きなビスケットだった。

 夫の他に、私にはもう1人いた。多分、数えてみればもっといる。

 私は全て自分で『育児』をしなければならないと気負いすぎていたのかも知れない。でも本当は『育児』などと大仰なことではなく、子供と一緒にただ生きればいいのだ。子供と一緒に生きている私を、見守ってくれる人は私の近くに何人もいる。その人たちがいて、私は育児ができているのかもしれない。

 私は1人ではなく家族でここに生きている。それがきっと私の育児だ。

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【今日の記念日】
10月12日 育児の日

社会全体で子育てについて考え、地域が一体になって子育てしやすい環境づくりに取り組むきっかけの日にと、兵庫県神戸市の株式会社神戸新聞社が制定。日付は「育(いく=1)児(じ=2)」と読む語呂合わせから毎月12日とした。株式会社神戸新聞社は第9号「記念日文化功労賞」を受賞。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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