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3月8日日本列島たこせんべいの日

 バリン!ともパリン!ともつかないその中間のような小気味よい音をさせながら、右の頭の外側がツキン、と痛むのを感じる。
 転勤初日、私はお客さんに貰ったたこせんべいを食べていた。


 子供のころ、私が母に叱られると、時々ゴツンと右の頭にゲンコツが落ちてくるのだった。それがまぁ痛いのなんの。だって薬指に指輪のついた左ゲンコツでゴッ!て振り落ちる。そして低くわざわざ太い声を出して母は言うのだ。

「たこぼん!」

 たこ『ぽん』ではなくたこ『ぼん』である。タコはそのままタコとして、『ぼう』はおそらく坊主の「ぼう」が変形して「ぼん!」になったものと思われる。ちなみに私はもちろんタコでも坊主でもないわけだが、母は怒ると大体私をこう呼んだ。イントネーションは「た」の強調ではなく、「ぼん」の”ぼ”を強調する。

 思い出してもやはり痛かったという感想である。


 けれど不思議なことに、少しもイヤな思い出ではないのだった。


 思い返せば、ゲンコツをされてもいいくらいのことはよくやらかしていた。

 例えばいつかの日。大事だから触らないようにと言われていた何かの記念の皿をフリスビー遊びによって割った。その破片を母が片付けている横で、賃貸の家の床に破片で傷をつける。ここでゴツンと来るわけだ。

 またある日は何だっただろう。冬なのに部屋の中が暑いなと思って、雪を降らせようと私は思いついたのだ。小学校2年生とかそのあたりだろう。家にあった大きなビーズクッションの中の小さな小さな発泡スチロールの粒を雪に見立てて部屋中にぶちまけた。

 その日、母は体調不良で眠っていたが、部屋の異変に起きて怒り始めた。静かな低い声で母は私を「たこぼん!」と言い、あまり力の入っていないゲンコツを振り下ろしたのだった。


 手を出すことを肯定するつもりはないけれど、それでも当時の私の数々の所業に対してはゲンコツが妥当だと思われる。でも本当、指輪の部分は痛かったけれど。


 さすがに35歳になった今では悪さをすることもないし、ゲンコツが県や地域を越えて飛んでくることもない。

 不思議と寂しささえ感じている。


 そんなことを思い出しながら食べるたこせんべいは確かに美味しかった。香ばしいし、コクのある味が私の手を止めないでいる。少し気になったのでホームページを見ていると、今日はどうやら「日本列島たこせんべいの日」らしい。面白くなり、読み進めてみると、「たこ」は「多幸」と言う意味を含んで呼ぶことがあるそうだ。

 もしかして、と私は気づく。

 母が私を叱るとき、アホでもバカでもなく「たこぼん!」とたこをつけて叱ったのは、母が私の多幸を祈念してくれていたからだろうか。


 そんな訳がない。

 私は自嘲しつつ、母にたこせんべいを送る手配を始めた。


 今日は私の35歳の誕生日である。

 たこせんべいの日に誕生日を迎える「たこぼん」が母の多幸を祈ってたこせんべいを贈ろうと思う。きっとすぐに母も多幸を実感する事だろう。

 30年以上たった今でも、右の頭のその部分だけいつもじんわり優しく温かい。

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【今日の記念日】

3月8日 日本列島たこせんべいの日

愛知県碧南市に本社を置き、1970年3月に創業し「たこせんべい」などの菓子の製造販売を手がけるスギ製菓株式会社が制定。島国の日本が誇る海の幸のひとつ「タコ」を使った「たこせんべい」を日本列島の各地から全国に届けてその美味しさを味わってもらい、多くの人に多くの幸(多幸=たこ)が訪れるようにとの願いが込められている。日付は創業の月や幸(さち=3)から3で、タコの足が8本であることや数字の8がつくる2つの円や輪を、縁や和につなげていくことなどから3月8日に。 


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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