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4月18日 お香の日

 ふわん、とそれが香って私は涙を堪えるのだった。 
 もう10年も前になるだろうか、香をいただいたことがある。

 そこからさらに10年前、私が20歳の頃にアルバイトをしていたときに知り合った同僚の男性で、それは同い年の友人にもらったのだった。

 ある日突然、「俺は大学に行く」と言っては受験を始め、「やっぱり環境を変えなくては」と言っては家から遠く離れた都心にレンタルオフィスのようなものを借り、そこで受験勉強をしていた。突拍子もないことを始めたり、宣言したりするわりに、自分は人見知りだからと言っていたことも覚えている。

 つかみ所のない人だった。

 私は何を話せば彼が楽しいのか、喜ぶのか、そんなことを気にしながら彼と話していたことを思い出す。


 就職して、アルバイトの頃の友人たちと疎遠になった。そうして1年過ぎ、2年過ぎ、気づけば10年近く経った頃、元気かと彼から連絡が来た。

「ちょっと相談があるんだけど会える?」

 そんな切り出しで電話を受けた。何かと聞いても答えない。では来週会おうと約束し、電話を切った。

 私はそのとき、まもなく結婚するのだった。

 婚約者には一言断りを入れて、翌週彼に会いに行った。久しぶりと笑う彼はあの頃となにも変わっていなくて、私は嬉しく思う。

「俺ね、海外に行こうと思っているんだけど」

 適当に入った店で、乾杯もしない内に彼が言う。

「いいね、なにをしにいくの?」

「うん、なにもしない為に行こうと思って」

 そう言うと彼はメニューをとってドリンクを選び始めた。

「父親が亡くなったんだ」

 注文後、その流れの続きのように彼がぽつりと言った。亡くなられたのはつい3ヶ月前で、発見したのは彼だったと言う。病気がちであったため、いつだって覚悟があったがやっぱりクルものだねと弱々しく笑う。

「好きにするといいよ」

 私が言うと、わずかに彼が驚いた。

「止められるか、激励されると思った」

「そんな権利は私にもほかの誰にもないよ」

 私はそう言いながら、彼の悲しみを察して涙をこらえていた。


 相談、と言うものはなかった。
 でもそれで良かった。

「またね」

 今し方、海外に行くと言ったのに、2人してまたねと挨拶をした。

「これ、あげる」

 そうして私にくれたのが、香だった。見ると可愛らしい金魚がゆらゆらと泳ぎ回っているパッケージである。雑貨屋で買ったと言っていた。

「君も、自由に生きて」

 彼は言い、私は香の匂いを嗅いでいた。


 同じものかは知らないが、今日、それに似たパッケージの香を雑貨屋で見つけ、思わず買ってしまった。やっぱり金魚が優雅に泳ぎ、箱を開けるときつくないクセのある香りは彼を想起させた。

 私は自由に生きられているだろうか。
 彼もどこかで自由にいるのだろうか。

 私の彼への好意は、もしかしたら恋愛感情のいくらかが含まれていたのかもしれない。そう気づき、胸が温かくなる。

 香を焚く。

 部屋中に香りが広がり、あのころが浮かぶ。
 私は目を閉じてやっぱり涙した。

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【今日の記念日】

4月18日 お香の日

兵庫県淡路市の淡路市商工会に事務局を置き、全国の薫物、線香業者などが加盟する日本薫物線香工業会が制定。香文化の普及などが目的。日付は「日本書紀」に日本のお香についての最初の記録として「595年の夏4月、淡路島に沈水(香木)が漂着した」との記述があることと、「香」の字は一十八日と読み分けられることから。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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