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1月12日育児の日

「ママ!」

 6歳の娘、蓮が私の耳元にその小さな口を寄せる。ふぅっとでもされるのかと思い、身構えて肩に力を入れておく。

「疲れたときは遠くを見るといいんだよ」

 そう言ってお手製の双眼鏡(先週からとってあったトイレットペーパーの芯で作成したらしい)を渡してくれた。私は、「そうなんだぁ」と初めて知ったように驚いてそれを受け取り、そうしてその双眼鏡の中でこっそり泣いた。最近、色んなことがうまく回らないと感じてため息が多い私に気づいて、もしかしたら気を使ってくれたのかも知れない。

 彼女の優しさに、遠く遠くの私は昔を思い出す。


 6年前、当時8ヶ月だった蓮を抱っこ紐で抱っこして、私は今日と同じ様な寒い日の夕方に散歩をしていたのだった。

 その日、なぜだか分からないけれど娘は昼寝をしてくれず、午前も午後も寝かせようと試みたけれど結局寝てはくれなかった。前日寝過ぎたわけでは決してない。相変わらず夜中には何度も起きるし、その都度ちょこちょことおっぱいをあげては寝かせてを繰り返していた。もう私は体力も気力も尽き、夕方にもなれば眠気が押し寄せる。蓮も全く眠たさを見せないわけではなく、ようやっと夕方に眠さに耐えかねてなのか泣いている。

 私も泣いた。

 これではだめだと思い、17時を過ぎる頃、部屋をそのままに蓮を抱いて家を出た。ひっくり返されたおむつBOXも乱雑に広げた本たちも、乾燥まで終わった洗濯物も、水に漬けたお米も、全部そのままにして。

「ねぇ、ちょっと」

 適当に家の裏の通りを歩いて10分したくらいだろうか。少し先のベンチに座るおばあさんに声を掛けられた。わずかに警戒しながら返事をするとおばあさんはどこか遠くを指さした。

「疲れたらね、すべて止めて遠く遠くを見ることよ。近くに見えない幸せが、もしかしたら遠くにあるかも知れないからね」

 そう言って指した指の先には赤いオレンジの夕焼けが空に滲んでいた。その色と、おばあさんの優しさに、私はやっぱり泣いたのだった。


 その時のおばあさんと同じような台詞を、今6歳の娘が私に言った。私が彼女にその台詞を伝えた記憶はない。彼女がどこかからそれを聞いたのか、彼女自身が思っていったのか、それは分からない。もしかしたら8ヶ月の記憶があったりして。分からないけれど、彼女がそう言ったことで、私は私の6年を思い出せたのだった。

 物事がうまく回らなくても、今までの自分はいったい何が出来て、何をやってきたのだろうかと情けなく感じることがあっても、目の前にいる彼女は、まさしく私がこの6年で成し遂げた奇跡なのだった。私はこの6年、育児をしてきた。それは間違いなく、私の軌跡。怒ったことも、無理をして笑ったことも一緒に泣いたこともすべて私と彼女の証である。それはいつも近くにあるものだと思っていたけれど、少し遠くにあったのだと双眼鏡で覗いて初めて知った。

「元気になった?」

 彼女が言い、泣いていた私はちゃんと笑えた。

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【今日の記念日】
1月12日 育児の日

社会全体で子育てについて考え、地域が一体になって子育てしやすい環境づくりに取り組むきっかけの日にと、兵庫県神戸市の株式会社神戸新聞社が制定。日付は「育(いく=1)児(じ=2)」と読む語呂合わせから毎月12日とした。株式会社神戸新聞社は第9号「記念日文化功労賞」を受賞。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。



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