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号泣する準備はできていたが、結局しない。

江國香織の『号泣する準備はできていた』を読んだ。
今更…?と思う方もいらっしゃるかもしれないが、私はこれまであまり江國香織を読んだことがなく、唯一読んだのは冷静と情熱のあいだで、しかも辻パートの方が好きだった。

2023年秋頃はいろんなことが重なって、号泣する準備は万端ではあるがそのキッカケがない、というような状態が続いていた。
そんな折によく思い出していたのがこの本のタイトルで、満を持して読んでみた、というところである。

そして結局、読んだ内容は男女の話なんだけれども
女性はずっとグズグズと泣いてオチのない話をするからフラれるんじゃないかと思ったし、そこまで泣く価値のあるような男も見当たらなかった。
こんな感想でいいのか。よくないよね。
でも、私も39年生きていれば、恋愛っていうのはそういうオチのない自分にしか価値の分からないようなものだっていうことくらいはまぁ知っているし、リアルな恋物語で、本当にちょうどリアルな切なさなのだろうなと思った。

いぬの映画を観た方が確実に泣ける。泣きたいならいぬの映画を観るべきだ。

そもそも私には恋愛的センスがないから、センスがないことを露呈しているだけの文章なんだけどもコレ、でも、号泣する準備はできていて、でもなんか結局号泣しないというのはなんか分かる、というかそういうことなのかな、よく分からないけど。

でも、世には泣く価値のある男は、たまにいると思う。ので、それはそれでお楽しみといったところでもある。オチ特になし。


ちなみに、光野桃さんが書いた解説の中に、『なぜ結婚は、ひとからなにかを奪うのだろう』という一文があった。これはストレートにぶっ刺さった。

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