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あまりに絶対的に自殺であった

読んだ。
お分かりの方もいるかと思うが、雨宮まみの「40歳がくる‼︎である。

雨宮まみさんというライターのことを私は知らず、ある日パラパラとこの新刊を書店でめくったことが出会いなのだが、自分が39歳を迎える直前であったためタイムリーであったこと、ぱらりと読んだだけでも分かる独特な言い回しの文章と、引っかかるところがいくつもあった。
その時は急いでいたのもあって買いはしなかったのだが、帰宅後に調べて、40歳で亡くなっていたのを知った。
この本(連載)を書いてから、一年以内に亡くなったのか。

雨宮さんの死因は自殺とも病死とも記載がなく、実際のところは伏せられていて、私もそこは想像であればよいのだろうと思った。
私自身、なかなかハードモードのアラフォー初期だったため、自らのもがきの一環として、再び本を買いに行った。そして読んだ。


私たちのコレは、女性ホルモンかなんかの暴走なのか。


楽しい時間はいくらでも過ごせて、人に会うと嬉しくて、仕事だって充実している。
でも雨宮まみの死因は、圧倒的に自殺であった。余地もなかった。



私は、自殺しないけど、その希死念慮のような、メメントモリのような、それは分かる。
向き合うために、いや、向き合わないために、ひたすら頭を使って、映画や本や音楽をインプットする。苦しい時期に入れるインプットだけが、自分を救ってくれるからだ。

でも、いつかこの方法は通用しなくなるかもしれない。この狡猾な私が、地団駄を踏んで、愛されたいヨォ‼︎と泣き叫ぶかもしれない。
死んだ方がマシだけど、死んだ方がマシだと思えた時の幸せを示唆しているのがこの本だった。

みんな、どっかしらで何かしらを抱えていて、アラウンドフォーティーで一度、生きるかどうか選択するんだろう。私だけじゃない。雨宮さんだけでもない。昔の寿命って、まぁそんなところだったし。

雨宮さんのまわりのシスターフッドも、私には身に覚えがあって、助けられているし、助けたいなと思ったのだった。
…新しい文章なんか書けない。
全部書いて、先人は逝ってしまった。

分からない人はどうぞ、分からないままでいてください。
否定する方はどうぞ否定してください。

生き抜くってことは、雑音をワニワニパニックみたいに殴りながら、やっていくしかない。やっていくしかないのだ。

味方はいる。味方を間違えないこと。
100円は永遠に入れ続けられる。その神の手を、恨み続けて愛し続けていくのだ。
他にないのだ。


ね。楽しくやっていこ。
あんまりにも、他に手が無さすぎるのよ。

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