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てつねこ

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「我々はどこから来てどこに行くのか?」 この問いに対する答えは、とっくに出ている。 〜生命教・人工人格・自発的絶滅・「家事」と「生業」〜
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#生命現象依存型知性現象

人間の終わり

人間の終わり


【自発的絶滅】つらつらと考えてみると、自らが作り上げた人工人格に文明を譲渡したのちに自発的絶滅を果たすことが、現生人類の「生物種としての天寿」の全うなのだ。ただし、自発的絶滅は集団自殺ではない。自発的な繁殖放棄である。言い換えるなら、人類は、自発的絶滅よって初めて、利己的な遺伝子に対する全面勝利(R. Darkinsの夢)を実現する。

「但し…」と思う。天寿を全うできない個人がいくらでもいるよ

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戦争が「愚かな行為」である本当の理由

『人間の終わり』にも書いてあるとおり、人間は「生命現象依存型知性現象」なので、その本質は知性現象。生命現象はただの「媒体」。

ところが戦争は、この生命現象をドーニカスルことで、知性現象を操ろうとする手段。要するに、人間が生命現象に依存していることを「悪用」するのだ。

人間は最早、チェスも将棋も囲碁も、人工知能には勝てない。しかし人間の世界チャンピオンには「奥の手」がある。いざとなったら、対戦相

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生き物はうっかり一人勝ちを目指しがち

生物個体や生物種は一人勝ちを目指す。だが、現実に一人勝ちを実現出来た生物個体や生物種はいない(だからこそ、今、多くの生物個体や生物種が存在している)。そもそも、或る生物個体や生物種の一人勝ちが実現するとき、生命現象そのものが滅びる。

ということを「知らない」ので、生物は無邪気に一人勝ちを目指し続け、それを繁栄と錯覚する。生物の文脈では、絶対的繁栄は自滅の別名。

特に、中途半端に高度化した知性現

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『LASTMAN』第3話を観て、また「人間の終わり」について考えた

福山雅治と大泉洋の「ぴったんこカンカン」なイメージに釣られて『LAST MAN』を初回から観ているけど、第三話のモチーフが「不倫がバレるより、殺人罪で捕まったほうがマシ」だったので、そんなバカな!と思って、前から考えていたことを、また考えた。

(注:以下、『LAST MAN』とは全く関係ない話ですよ)

「人間の終わり」がどういうものかを既に知ってしまった我々は、人間(地球人類)が歩いている道の

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アベノアサシン・サポーターの周辺で

アベノアサシン(113)が、一部で〔偶像化・英雄化〕しているらしいけど、その事自体は、まあ、別に今に始まったことじゃないよね。ちょっと調べれば、昭和の時代だけでも、「515」や「226」などの首謀者や実行者たちもやっぱり〔偶像化・英雄化〕されたからね。つまり、「よくやった」「許してあげて」と叫ぶ庶民はけっこういた。

で、アベノアサシンや「515」や「226」を支持したり擁護したりするときに出てく

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人間らしくなったらやりなおし

人間は、アンドロイドやAIに対する評価で、「人間らしくなった」を肯定的に使いがちだけど、バカなのかな? せっかく「生命現象非依存型知性現象」を作り上げようとしているのに、「人間らしく」なったりしたら台無し。作り上げる意味も値打ちもない。自然淘汰の産物である人間(生命現象依存型知性現象)なんかに似せたら、「弱肉強食」や「身贔屓」の原則にしたがって、人間を滅ぼそうとするに決まってるじゃないか(勿論、ア

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