情報過多?それともアンテナ張ってるだけ?

お仕事で乗ることが最近増えた新幹線。

駅のホームでやたら写真をせがまれている男性がいるけど、私は彼を知らない。

モデルさんか、俳優さんか。最近流行りのYouTuberさんか。

新幹線を待ちながらボーッとその様子を見ていると、その男性と目が合った。「そう、俺だよ」と言うかのように、ニヤッとされた。そこでやっと彼の方向をガン見してしまっていたことに気づいたのだけど、時既に遅し。彼の中で私は「話しかけたくても話しかけられないシャイなファン」として認識されてしまった。

二度と会わないのだから彼が私をどう思おうと関係ないのだけど、顔が熱い。

彼はグリーン車に、私は7号車に乗り込んだ。


1ヶ月ほど前に私のツイッターアカウントが凍結してしまった。最初はやはりショックだったー私が持つ一番大きなアウトレットを失ってしまったから。

世界のどこかで問題を共有してる人と繋がれるツールだったツイッター。お陰で素敵な友人もたくさんできた。けれど、その有毒性は凄まじかった。

次々に私の脳に投げ込まれるニュース。私みたいな人が傷を負った話。私みたいな人の人権が踏み躙られる報道。その一つ一つに疲弊する。けれどそれを「はいそうですか」と受け入れてしまうと暗黙の了解を与えてしまったかのような感覚に襲われた。(わが国の性に対する考えのように。YES MEANS YES.)

小さな声を振り上げて反論する。
すると決まってやってくるイジメが大好きなおじさんたち。この問題が改善されようとどうなろうと、何ら生活が変わらない人たちが「わがままだ」「ガイジン」「嫌なら出ていけ」とイヤな笑みを浮かべて、暇つぶしで書き込んでくる。

いつしか私の3万人近いフォロワーさんがいるアカウントでは、フォロワーよりもブロックしているアカウントの数が超えていた。それでも終わりのないイジメ。

それが一日にしてパッと無くなった。

ショックの次に、懐かしい平穏が待っていた。いじめっ子が私と接触できる場はもう無いのだ。

数週間の平穏の後、アンテナを失ってしまったような気持ちにもなった。

友人と食事をしていた時。
「スープストック、また炎上してるね」という話題に。あぁ、離乳食の件ね。おかしいよね、素晴らしいことをして批判されるなんて。

「違う違う。今回はLGBTQ当事者を支援するNPOに寄付を表明したからだよ」

と聞き、えっと声が出る。
また「良いこと」をしているのに標的にされてしまっているスープストックさんを心配する気持ちと共に、少し気を緩めてしまうと「知らない」ことがこんなにも増えていってしまうことへの危機感からの声だった。

オンラインに存在することって、よく言えば「アンテナを張っている」と取れるけど「情報過多」にもなってしまう。特に、目にしたくないいじめっ子たちの暇つぶしコメントなどは、目を通す時間が無駄でしかなかった。

今はこのバランスを取るための模索中です。

学生時代から何年か続いている、気になるニュースを共有し合うグループLINEに属しているのだけど、そこが私の「クリーンなタイムライン」として機能してくれている。友人たちには感謝。

私の興味がある分野の新しい本。
当事者が集まるイベント。
戦わなければいけない裁判の傍聴情報。
沢山の人で声を届けたいデモ。

こういう情報をいち早く知り、みなさんと共有したい。

情報過多にならずにアンテナを張れる環境作りに力を入れたいです。

(ツイッターがあったらさっきのお兄さんが誰か知ってたかもしれない。笑)


最近はインスタグラムでみなさんと繋がっています。

もし上のような情報がある方は是非そちらで教えていただけると嬉しいです。


何事もバランスが大事ですね。
皆さんも、良いバランスが見つけられますように。

Equilibrium.

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