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11222023 日々淡々と

朝が暗くて寒い、アラームを5回ぐらいスヌーズしてやっと起きる。
目が覚めないまま、朝日といっしょにヨガスタジオに行って練習をする。
身体が日によって全然違うなーって感じる。
同じ練習を通して、体の動き、呼吸の通り、頭の中をクリアにしていく。
動かない日は、体に対して本質を忘れ、ジャッチしそうになる。そうなっては本質はそこじゃない呼吸だ。と思って今ここで何も起こらず気持ちよく呼吸ができることがどれだけ私にとってうれしいことがを思い出す。

身体的な記録としては、
冬になってきて、背中がバキバキに硬い。
動きながら徐々に身体がニュートラルになっていく。
月2回ぐらいで、ブリッジからの起き上がると、立った状態からブリッジに入る練習をチャレンジではじめた。
アジャストあってようやくできるという段階。
別にチャレンジポーズはできるようにならなくてもいいんだけど、淡々とした練習の中で、少しまた違う動きが加わると、体の意識がまた広がく感覚がおもしろい。

休み期間を経て、練習を再開した今は前に比べてポーズへの焦りが無くなってきている。自分の体に力量以上の期待や負荷をかけなくなった。
練習の仕方と取り組む姿勢が変わった。

なぜ焦っていたのか、できるようになることへこだわっていたのかを遡ると「やればできる」と言う言葉だと思う。
やればできるを封印しました。
よく言われることですが、この言葉は私にとってはできなきゃダメの呪文になりうる。

やるけどできなくていい。
に変えて、そのやる手段もポーズの完成を示さず、幅を広げた。

今はこの練習の仕方が続けられるやり方。

また結局、いつも心にピンしてる「足るを知る」に戻ってくる。

ヨガをしていると、あたかも悟っててかっこよくて姿勢も良くてみたいないいことづくしみたいなイメージだけど。
どれだけやっても人間である以上、不完全な人間をたのしむだけである。

世の中もどんどんぐちゃぐちゃになっているけど、今すぐや自分が生きているうちに変えようとしない。
今は今のその負荷を背負う体力と精神力とサバイバルモードで、自分よりもこれから生きる人、先の先の先を見据えて今の行動をとらえていく。
諦めではないけど、一旦行くところまでいくしかないと思ってる。
それを避けずに受け止める。


最近つくった陶器たち


淡々とつくり続けられる限りつくり続ける。


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