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0225。子どもが産まれた話。

2021.2.12

予定帝王切開にて、無事に出産。
体重1677g、身長42センチの男の子。

全身麻酔で眠ってしまっていた私は知らないけど、産まれた瞬間ちょっと産声を上げることができたそうで、心配されてた肺の機能は思ったよりも育っていたらしい。帝王切開1週間前の肺機能の成熟を促すステロイド注射(リンデロン)が効果あったのかも?

そのあと麻酔が回って眠ってしまったので、NICUに到着後人工呼吸器が挿管されたけど、でも産まれたときに泣くことができたというのはとても大きなことだったなぁと思う。
麻酔が覚めて、病室に戻る前にNICUにストレッチャーを運んでもらえて保育器越しだけど面会もできて。

あたりまえだけど早産児なので小さいというか全体が細くて華奢で、それでもよくここまで大きくなってくれたなと思った。身長も大きくはないけど、42センチってまぁまぁあるなと思って。120センチもない身長の私の体にこのサイズの子がいたのってなんだか不思議だなぁと思った。

主人も5分もなかったらしいけど赤ちゃんと面会できて、写真も撮れててよかった。コロナがなければねー。NICUに行った後とかにもたぶんもっと面会時間があったんだろうなと思うと残念なんだけど、会えないよりはほんのちょっとでも会えてよかったと思いたいね。

私もNICUに行く前に主人にちょっと会えて、ソーシャルディスタンスで全然近くに寄れないし手も握れないし、心細さや感動の共有とかそういうとこまで至れなかったけど、でもいてくれてよかったと思った。

帝王切開当日から翌日にかけてはもう痛くて、しんどくて、とにかくなんとかしてこの痛みをいなす方法は、、、って感じでだいぶヨボヨボで。
ていうか傷の痛みそのものよりも、子宮の収縮していく痛みのが断然痛くて、あと全身麻酔で挿管をされているので喉がやられていて痰が絡んむために出る咳が響く響く。もうこれが一番痛かったと思う。

翌日も全然痛くて、これ座れるの?って感じだったけどちょっとずつリクライニングで起き上がって、痛くて死にそうと思ったけど痛み止めを飲みながら車いすになんとか移って。
NICUのベビーのところへ会いに行くことができた。

体、本当にしんどくて痛いしどうやって座ったらいいのかもよくわからん感じだったんだけど、でも目の前に我が子を見るともう可愛いが勝ってしまって瞬間的に術後の辛さとかどうでもよく思えた。赤ちゃんってかわいいと思うし、よその子でもそれは変わらないけど、我が子はなんかちゃうかった。

そのあと、先生から現状の病状を色々説明受けて。まず脳に出血かもしれないものがあるということ、出生後自然と閉じていくはずの動脈管が閉じていないことの説明を受けた。

早産児なのでそういうものはあるのは覚悟していたし、まずは無事に産まれているので正直そこで十分ではあるけど、脳の出血かもしれないものは、もし出血で今後広がったりするものであれば、脳性麻痺であるとかなんらかの後遺症を残す可能性が高いので、もしもそうならば子どもに重荷を負わせることになるのでそれは申し訳ないからできれば出血だったとしてもこれ以上悪くならないで、と願うばかりだった。

翌日、さらに肺気胸が見つかってドレーンの挿入がされたりと、産まれてすぐでなかなかいろんなチューブにつながれないといけなくなって、ぱっと見にも邪魔だろうな、しんどいだろうなと思う感じになっていた。
出血かも?の件もあって、あまり泣きすぎたりすると広がる可能性もあるし、まずは生後72時間を乗り切るために、鎮静剤でずっと眠った状態だったので、なかなか目を開けてる姿は入院中に見ることができなかったけど。

でも頑張ってる姿を見ると、なんか私もシャンとせないかんなと思って、痛いながらもちょっとずつは楽になっていく体をしっかり動かさんとと思って翌々日には尿カテも抜去してもらってトイレに自分で行き始め、その翌々日にはシャワーも浴びてとちょっとずつ動ける範囲を増やして。

産後2日目くらいには胸が張り始めて、母乳が出るようになったからだいたい3時間ごとに搾乳しに授乳室まで行って搾乳機やそこにいる看護師(助産師)さんに絞ってもらったりして。まだ口からの栄養摂取はできないから、飲めるようになった時の冷凍ストックを作って。

そんな生活に変わっていった。NICUにいるからっていっても3時間おきに母乳出さないとっていうのは変わらなくて、出産前に相当だらだらして過ごしていたのがウソみたいに忙しくて、3時間まとめて寝られてたら良いほう、みたいなことになって世の中のお母さんたちってすごいなって改めて思った。

数日たったら肺気胸は状態が良くなって、ドレーンが抜けて。
私が退院する日には呼吸器が取れて、鼻に装着するタイプの酸素マスクでよくなって。
1回1ccほどだけど母乳も胃に通してあるチューブからだけど飲めるようになって。
72時間も無事超えて、動脈管も閉じて、相変わらず脳は出血なのか何なのか不明なままだけども状態が悪くなる様子はなくて。
赤ちゃんの生命力ってすごいんだなと思わされた。

退院の日、呼吸器がとれたことで抱っこができるようになった。
病院に入院している間でないとカンガルーケアができないということで、退院で迎えに来てくれてた主人に会う前に、NICUでカンガルーケアさせてもらうことができた。
この時に初めて泣き声をきくこともできて、なんというかもう可愛いとか愛しいとかしか言いようがないんだけども、あぁ私もお母さんになったんだなとか、すごい感慨深かった。

お腹にいる間にめちゃめちゃ話しかけたとかはないから、どのくらい声に覚えがあるのかなとか思うところではあるけど、心臓の音とか匂いとか母乳の匂いとか、そもそも肌が触れ合うだけで安心感があって落ち着くとかそんな話を聞いて不思議なもんだなーとしみじみしてしまった。泣いてるのも私へのアピール(おっぱい頂戴!とか)だとか教えてもらって。
あげられるものなら直母で母乳あげたくなっちゃうよねー。
私が退院してしまったらコロナ対策も込みで、病院では直母の練習をすることができなくなってしまうので、退院して帰ってきてから助産師さんに来てもらうとかして練習かな。その時までちゃんと出てるかな…。
そのあと主人と合流して、15分間の面会をして退院。
それぞれ腕に抱かせてもらって、我が子の重みを堪能して帰宅。

退院の日に抱っこができるようになっててよかった。主人の嬉しそうな顔も見られて私正直しんどい思いをしたんだけども、それでもよかったと思った。
まだまだ不安な要素は多いけど、がんばって大きくなって、早くおうちに帰れるようになったらしっかり甘やかして育てよう。
わがままに育てるって意味じゃなくてね。愛情しっかり注いで、愛されてる実感をもって大きくなれるようにしたいなと。

退院してからは電話で様子を教えてもらうことができて、いつでもかけていいよと言ってもらってはいるけど、割とそういうのが苦手で(遠慮しちゃう)週イチの面会の予約するときに一緒に聞く、みたいな感じになってるけど、聞くたびに飲める母乳の量が増えて、ストックしていた冷凍のものがついには尽きてミルクも併用になって。すごい。あとは脳出血かもしれないはCTをとったらどうも出血ではないっぽいということがわかって。
じゃぁなんなんだ?という謎はのこるものの、それはMRIが撮れるようにならないとはっきりしないから今は何も言えず。でも出血かもしれないという点で懸念をしていたことや、日々のケアにおいて注意しないといけないことが少し減って、安心材料ではある。
あと、すぐには調べられない骨形成不全症の遺伝に関しても、まだできないから実際どうなのはわからないものの、毎日様子を見てる中で骨が特別折れやすいとか骨が柔らかすぎるとか、そういうこともなく。抱っことかも普通にされてて問題ないから、やっぱり遺伝していたとしても相当軽い型か、もしかしたらで遺伝していないのか、という感じ。

この辺も早くわかったらすっきりするんだけど。でもまあ検査するにしても結構な採血が必要になるはずだから今すぐは難しそうだよね。

いやしかし、ほんとに長かった妊娠生活が無事終わって、出産もなんとか終えて、今は自宅の搾乳がしんどくてびっくりしているとこではあるけど、それも助産師さんにみてもらってちょっとは出るようになってるし。
あとは主人の休みがうまく面会できる日と合えばなーというところかな。


出産に関しては、手術には主治医と不妊でお世話になってた先生がいてくれて。
不妊のほうの先生がたぶん一番喜んでくれていて、術後の様子もよく見に来てくれたし、泣いたんですよっていうのも先生から教えてもらって。

不妊治療はもちろんだけど、死産であきらめますとなった経緯もしっててあの時泣いてくれて。そんな先生だったからめちゃくちゃ嬉しそうで、そういうのも含めて産まれてきてくれてよかったなぁと思える出産だった。

帰ってきてからの生活を思うと不安なところも多いし、どうやったら安全に過ごしてもらえるかなとかいろいろ考えないといけないことはあるけど、こんなにいろんな人に楽しみにしてもらえて、可愛い可愛い言ってもらえて、喜んでもらえて、出産てこんなハッピーな空気になるんだなと知ることができてよかった。

次の子を、というのはやめてほしいと主治医に言われてて(体そのものもだけど、病気の関係で多分子宮ももたない可能性があるので)、一人っ子かなという状態でそれってもしかしたらちょっと寂しいのかもしれないけど、その分しっかり向き合って、時間も手間も惜しまず育ててあげたいなと思う。


だらだらになったけど、とりあえず無事産まれて、産後の私の経過もよくて、大きな問題がなく終わって本当に良かった。

あとは頑張って大きくなってくれることと、今まだわかってない病状のものがわかること、悪くならないことを願うばかりで、私ができることってほんと母乳を搾って届けてあげるくらいしかなくて何もできないんだなーというのにちょっとがっかりするけど。
とはいうても、できることをして過ごすしかないしせっかく帰ってくるまでに時間があるのだからしっかり体を元に戻して、帰ってきたときに子どものことだけ考えられるようにしておかないとね。

名前、晃の字をどうしても使いたくて、ちょっと古風だとか昭和だとか言われたりもしたけど、産まれる前に候補として挙げていた最初のほうのものに落ち着いた感じになった。
晃の字には力強く輝く、という意味があるので、産まれた状態を思ってもこの字を使いたいなと思って。大きく、力強く、のびのび大きくなってくれればそれでいい。


ひとまずはベビーも私もお疲れ!これからがスタートだけど、まずはお互い家で一緒に暮らせる状態になれるように頑張ろう!帰ってくるその日を楽しみにして。

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