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「荘」日誌

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函館市弁天町「旧野口梅吉商店ーわらじ荘ー」と「旧西浜旅館-みなも荘-」「旧中国茶屋−きらく荘−」に住んでいる荘民が発信する日々の日誌です。 毎日の生活を10年後も笑えるような、そ…
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2021年1月の記事一覧

「働く」と得られる「お金」と、失われる「時間」

子供の時の夢、それは ケーキ屋さんとお花屋さん、ピアノ習い始めてからはピアノの先生でした。(逆に言ったら、ピアノの先生とくらいしか学校の外で出会っていなかったのです。) もう少しで、雪の降る積北見で生れてから21年が経つこの頃``花屋さん‘‘で働くという経験ができました。 それはそれはとても夢のような世界でした。なぜなら心安らぐ大好きな「花」に囲まれて働くという時間を過ごすことができたからです。もちろん、重たい花瓶を運び、洗い、花を長持ちさせるために花の茎やバラのとげの

考えるな動け

あ〜これやってみたいなあ。ここに行ってみたいなあ。これ食べてみたいなあ。 そう思うことは多分誰にだって少なからずあると思う。 ただ、実際にやるとなると話は変わってくるのかもしれない。 どうやってやればいいんだろう。こうなったらこういうリスクがあるし。いつだってできるし。。。 できない理由を並べ立てたらキリがない。 人は基本的に失敗するのを恐れる生き物なように感じる。 やれない理由を探しているんじゃなくて、失敗して周りに嫌われるのを恐れているんだと思う。 どこまでも社会的で集

普段の活動について

実は、荘のホームぺージが少しずつ更新されています。きらく荘も「普段の活動」という項目を付け足しました。今回のnoteでは、きらく荘の「普段の活動」を紹介します。目次はボリューミーですが、ひとつひとつは短めです。 ①散歩 「メインの活動は散歩です!」とホームページに書きました。散歩ってなんやねん。という感じですよね。さすがに分かりにくいな~と反省しています。  しかし、散歩は散歩なのです。私たちの住む家は、谷地頭温泉よりさらに上、電停に行くには商店街を通ってしまう場所に位置

わらじ荘、誰かコロナになったら全員濃厚接触者(⁉︎)問題について

こんにちは。わらじ荘の下沢杏奈です。みなさん、この世界のコロナ問題はとてつもなく大変な状況ですね。私たちが教科書で聞いたリーマンショックとかバブル崩壊とかの状況のように世界が大変なことになっている真っ只中にいることはわかるのです。もちろん命の危機があるというのが少し違うけれど。 私たちがここにすみ始めたのは2019年の10月です。そのころはコロナのコの字の一つもなくて。当時のバイト先のパートの方に「ねえ。コロナって知ってる?」って言われて、「そんなのあるんだーたいへーーん」

家族でも親戚でもない、おじいちゃん・おばあちゃんと交流のすすめ

大学に進学してから、おじいちゃん・おばあちゃんと会うのは年に1回程度になりました。さらに、コロナ禍でなかなか会えず。久しぶりに会った祖父母は、弱々しく、小学生の時にたくさん遊んでもらった姿ではありません。そして、変わっていく姿に怖さや不安を感じるようになりました。「家族」という関係の中では、素直にさみしさを言葉にできず、頻繁に会いに行くこともなかなかありません。 きらくサロンきらく荘では、谷地頭町にある老人福祉センターで月に1回「きらくサロン」という活動を行っています。

「生きる」ことと、「生きながらえる」ということ

この文章は、好きなことだけで生きられる!って行動せずに思っているだけの人、「好きなことして生きていきたい!」と子どもに急に言われた親御さんと、自分のやっていることで生きられない!どうしようと思っている人に、愛を持って捧げます。 私は北海道教育大学に通う大学5年生である。私は石川県から進学を機に函館にきた。しかし、ひょんなことから古民家でシェアハウスを始めた。シェアハウスという名前が嫌で人生の学び舎「荘」に途中で改訂した。あの頃はやりたいことだけで、生きていけると信じていた.

Every day is new day

荘に入居して4ヶ月経過。 4ヶ月前の自分と今の自分で何が変わっているのだろう。 逆に環境が変わっても、自分の中で変わらないものは何だろう。 時々立ち止まってみると、何で今俺は函館にいて、古民家で共同生活をしているのだろうと思う。 てかそもそもなんで生きてんだ? 自分の人生を振り返ってみたいと思う。 と思っていたら、年が明けましたね。 ありがとう2020年。おはよう、よろしく2021年。 ○幼少期母から聞いた話。とにかくTAROくんは好奇心が強く、夢中になったら止まらない子供