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不登校と双極性障害・躁うつ病の振り返り。



何で不登校になったのか、躁鬱になったキッカケは?と3/30の世界双極性障害デーを前に考えていた。

幼少期から同年代の子たちと遊んだり、同じことをするのが苦手で幼稚園から既に集団が苦痛だった。
ピアノもヤ○ハのグループレッスンでみんなで同じ曲弾くの何で??と思ってたなー。

学校に行かない選択をしたのは、小学校ではイジメがキッカケだったけどあくまでもキッカケで、何となく嫌々行ってた学校に行かない理由ができるのを待ってたのかもしれない。

中2の秋からのガッツリ不登校は、学校へ戻したい担任と戦った。
向こうは誰と一緒なら学校に来るのかクラス替えの時に、苦手な子と好きな子を聞かれたり(今なら絶対アウト)
適当に答えたけど3年では一度も教室に入ることなく別室登校と音楽室だけしか行かず。


中3の秋に初めて鬱っぽくなって、ある日突然涙が止まらなくなって食べ物の味がしなくなった。

それが通院のキッカケ、だったけど多分もっと前から躁鬱の気質は持っていたと思う。


病名がついたのは19の時、福岡の進学先の寮で少し多めに前の主治医が書いて持たせてくれた診断書を開けて読んだ時。
診断名を検索したり本を読み漁って、全ての謎が解けた気がして一気に気持ちが楽になったのは今でも鮮明に覚えている。

それまでは、うつなのか他の病気なのか聞くこともなく。


ずーっと長い間、躁鬱の波が激しくて、今よりもスパンも短くて人間関係もうまくいかないことが多かった。

わたしを1人の人として普通に接してくれる人とたくさん出逢えたのも20代前半。
音楽仲間も友人も人生の大先輩たちも。

気づけば嫌で離れた地元大分の街や人が愛おしくてたまらなくなっている37歳の春。

生きてれば苦手な人だっているし、適度に距離を置いてる人もいるけど、それ以上に大好きな人たちが多い。

恋愛のLoveとは違う、、
恋する気持ちは忘れつつあるけれど、今近くに居てくれたり気にかけてくれてる周りの人はみんな大好きだ。

今年こそ躁鬱の波が穏やかだったら良いな、と年始に思って1年がはじまる。

久々に振り返ったら、今の近況?心境?にたどり着いたひとりごとでした。

最後まで読んでくれた方、ありがとう!

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