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ザリガニの鳴くところ

ノースカロナイナ州の湿地帯で一人逞しく生き抜いてきた
一人の女性の物語。
時代背景は1950年代
家族で暮らしていたが、兄弟と母親が家を出てしまい
父親と湿地の中の小屋で暮らすことを余儀なくされた少女
食べるものもなくなり、父親の帰りを待つも
いつ帰ってくるのかわからず、飢えと、孤独との中で
成長していく序盤。
湿地の自然情景が生き生きと想像できる描写が
目の前に広がるよう。まだまだ大人の力が必要な幼少期から
過酷な運命を受け入れ、母親が戻ることを信じ
今ある環境に準じて生きている。
カイヤと名前はあるが、大人たちは湿地の少女と
蔑んだ目で関わろうとしない。
靴も履かず、湿地を歩いていたときに大きな釘を踏んでしまい
悶え苦しむ様子に鬼気迫る命の危機を感じた。
対処方法が知っていれば大したこともないことも
そんな手を差し伸べてくれる人もいない。
微かな記憶を頼りに、必死で1日1日を生きてきた。
学校にもいかず、成長期に必要な衣食住もない中
援助は、周りの差別的な視線に耐えられず、受け取ることも
拒み、湿地の中で自然から学び楽しみを見出し
生きてきた。この物語は、ある裕福な地元の若い男チェイスが
湿地の中で死んだことで殺人事件として捜査が始まることと
少女の成長過程が交互に進んでいく。
彼女が生き抜いてこれたのは、
お店を営む黒人のジャンピン
その妻メイベル。そして、兄の友人のテイト。
当時は、黒人差別が当たり前のアメリカで
差別されてきたからこそ、そっとカイヤに手を差し伸べてくれた
ジャンピン。福祉の人の援助は頑なに拒否しているカイヤも
ジャンピンには、普通に接している。
ジャンピンが、カイヤに普通に、敬意を持って接しているからかも
しれない。福祉が必要な環境に置かれている人を
援助するためには、ジャンピンみたいな人が1番いいのかもしれないと
思った。とにかくカイヤのプライドを守ってあげる。
小さなカイヤ、生きるために必死なことを
肯定し、客として丁重に扱い、貝なども買取し
現金を渡してあげる。そこには、目に見えるほどの施しをしない。
ただただ対等に接する姿があるだけ。
だけど、心配もしているし、生きていてほしいと願っている姿が
見えて、本当の優しさを感じられる一場面だと思う。
人への優しさは、知らず知らずに施しをしている自分に
酔いしれてしまうことがある。それは、施しを受ける側は敏感に
感じ取ってしまうのかもしれない。
同じ立ち位置でいること。上も下もない人間関係。一貫している
ジャンピンの姿に、福祉の在り方、援助の仕方など
考えさせられた。
また、文字の読み書きなどを教えてくれたテイトも
助けたいと思う一方で、自分のことも大事で、結局は、カイヤを
裏切ることになる場面。
カイヤは、人との関わりがほとんどない湿地の自然と共に
生活しているのだから、テイトの大学生活など想像もできないだろう。
またテイトに裏切られたと強く感じてしまうのも頷ける。
たった一人、気にかけてくれた人で心を許した相手だったのに。
自然の中でたった一人。孤独の中で生きてきてやっと出会えた人に
裏切られた経験は、相当きついと思う。
でもテイトとの出会いで、文字を読み書きすることと
様々な知識を得るきっかけの本を得たことは大きな転機になったと思う。
物語が進むにつれて、湿地の中でどのように暮らし、
自然の生態系なども熟知し、学び、生態研究などが日常となったカイヤの
生き方は、女性だからこそできたのではないかと思う。
女性こそ、柔軟にどんな環境にも適用できる性なのではないかと思う。
チェイスとの出会いも必然だったのかと思うような自然な流れで
書かれているのだが、カイヤの育った特殊な環境では、
抗えない悲しい出会いだったのかもしれない。
終盤のチェイスは、事故だったか?殺人だったか?裁判での弁護士の言葉も
心に響くものばかり。
ここまでカイヤの生い立ちや成長期の辛い体験や経験を
追ってきての結末は、人間の奥深さを感じ他ので、ぜひ、映画も見てみたいと
思った。

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