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母になりたかったのかもしれない。

涙が出そうになりながら、今、渋谷でキーボードを叩いている。
特に突出したトリガーがあった訳ではないけれども
ここ数日、孤独さや不妊体質な自分の体について振り返っていた。

30歳になる頃結婚をしようと考えた彼がいた。
しかし、お家柄というのが普通の家庭で育った私と、彼の家では不相応だと、初めて彼のお母様にあった時の視線と言葉尻で全て理解した。

それを、私は彼に伝えたら、彼は
「じゃあ、もう既成事実を作って突破すればいい」と言われた。
そういう手もあるのか、と思い既成事実をいう子作りを始めた。
しかし、半年経ってもできない。
頻繁に行為はあるし、なんなら出来やすい日を狙ってみた。
まだ30歳とはいえ、この頃は仕事も楽しい時期だし、体力的にはハードだった。
婦人科にも行ったが、特に問題はないと言われ、そんな日々が1年続いた。

その頃には私も疲れてしまい。
当たり前に授かるだろうと思っていた、命はやってこず、当たり前が当たり前ではない事にイライラして彼に当たってしまう事が多々あった。

「子供がいなくてもいい。二人だけでもきっと楽しいし、他の選択もある。」
そう言ってくれた。でも、彼の家は命を繋ぐ事をマストとした家系だった。
方や、私は割とフレキシブルな家庭環境で育ったのでその考えは嬉しかった。

難関は彼の母だった。
そんな経緯を知って、憐れむならまだしも、激昂。
漫画みたいにヒステリックに怒る人を目の前で見たのは、後にも先にもあの時が最初で最後だ。
彼の父は、そういう事もあるから。と、間を取り持ってくれたが
彼の母は何がなんでも私を許さない。と言う感じだった。

彼も私も検査したのだから、要因的にはどちらもイーブンだと思うのだけれでも。。。

そこから、なんだか結婚の「け」も私の中で、どうでも良くなってしまい
別れよう。と、話は繋がっていったのだ。
彼もあの母の子、似たのはそこか!と突っ込んでしまう程別れるのに苦戦した。
ただでは引き下がらないし、代替え案を出してくる。

引き下がらないのは、嬉しい。
でも、私にも彼に愛があるから、別れを切り出したのだ。
失望しないうちに綺麗に別れたい。その思いだけだった。

賢い男は意外と別れ下手で、私は
「じゃあ今の仕事も家も全部捨てて海外に移住できる?2人きりで」
と葉っぱをかけたら
「それはできない。。。」と尻すぼみに言われた。

それから、連絡先を変えて彼に会わない様に行動範囲内には一切近づかなかった。

元気だといいな。
やはり、嫌いで手放した手ではないから、幸せになっていて欲しいとそれだけ思うのです。

もうすぎた事だけど、産めなくてよかったと時折思う。
私自身は障害を持ちながらも、自身の事を理解しているが
実は母は理解していない
それにも苦しみがあった
一番理解して欲しい人に理解できるだけの能力がない
その事を本人に理解してもらわなくてはいけない
本当に苦しいがその瞬間はやってこないだろう。
「事前に分かる苦しみ」
これは連鎖しない方がいい

結果、正解。


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