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スキをすること、いただくこと

noteを初めて数週間。誰にも教えていないアカウントで、スキをいただく。

初めての頃、誰だろう?と思って会いにいくと、自信満々のお顔をされたプロフィールの、投資の話や、自己啓発の方からや、botかなぁ?というものもあり、「まぁそんなものよね・・・」とため息が出た。

書きたいことがあって書いているだけの記事なのだ。noteはそれでもいいはず。スキやフォローにこだわってしまうと、書きたいことも捻じ曲げてしまいそう。

自己啓発や儲け話など私は語れないし、読んで有益な情報など発信できそうもない。面白い小説やマンガも、心にくる写真も出せそうにない。そのうえ、顔出しもしない、身バレ要素もない、いちおばちゃんの記事に、たどりついて読んでもらえるなんて奇跡に近い。スキやフォローはもっと奇跡だ。

ある日、スキをしてみようと思った。おすすめで出てくる記事を読んでみて、あがっている写真を見て、でも何故かできなかった。スキをすることは「あんからという者がいますよー」って手をふってるわけで、なんか申し訳なくて、うーん、なんと表現したらいいのか、まだわからないのだけれど、そんな気持ち。

たしかにこれだけの記事数があると、「もう一度読みたい」と思っても埋もれていってしまうのは確かだ。スキはそれを避けるのには良い手段だとは身をもって感じている。

スキをいただいたかた、フォローをしていただいたかた、をスキやフォロー返しをしてみようかとも思った。記事の内容からスキやフォローいただいたとしたら、何かお力になれるかも?と。でも、私の記事は雑多なので、そこのジャンルだけになっていないのに失礼かな、という気持ち。

スキもフォローもしないnote住人は、ワンルームで孤独で暮らしているようなものなのかな?流浪の民かも?

「スキやフォローを増やしたければ、自分語りはなし。誰も読みませんよ。いろいろ書きたければ、書くジャンルでアカウントは分けないと、統一性がないからフォローされませんよ」というのをどこか読んで、まさに私!と思ったが、この指摘には私の気持ちはスルーしていた。

私がおばちゃんで、そこそこの人生経験を積んできたからといって、過去の話は昔話だし、自分以上の大変な思いをされてきたかた、今本当の闇にいるかたには通じないだろう。

ツイッターでは内容がつまらない、と、華やかなインスタに移行していく時代。明るい話題を求めている中で、自分語りは吐き出しにも近いから、暗いし重くて読むことを避ける人も多いだろう。

「読んでもらってこそnote」なのかもしれないが、今はまだ「自分のnote」に書いていよう。いつかは、はくるのかな?

でも、note住人であることに慣れてきたら、スキやフォローをしていこう。私の記事も読んでもらおう。自分語りだとしても、埋もれてしまう前に。

発信できる、読んでもらえる文章が書けるようになるまで、あんからはここでコソッと、ひとりがたりをしています。

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note住人にはいろんな人がいてもいいんですよね?



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