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「ワークライフバランス」って「ワーク」と「ライフ」が分断されてるよねって話

皆さんこんにちは、あんかけマンです。

私はHR系の企業を経営しており、クライアント企業様の一次面接の代行や、転職希望の求職者との面談、自社の求人応募に対しての面談など、かれこれ4年で1000件以上は面談を行ってきました。

本当に1000件行っているかは不明ですが、まぁ感覚的にはそれくらいやってます。

その中でよく聞く「ワークライフバランス」って言葉。

この辺の話題は、正直もうすでにnoteにもいろんな記事にも載っているのでしょうが、そんなことは百も承知でここについての持論を書いて行こうと思います。

ワークライフバランスが大事って面接で言う必要なくない?

面接をしていて良く聞くのですが、

「はい!私が重視していることはワークライフバランスでして!」

とか、

「御社はワークライフバランスが整っていると感じまして!」

とか、

みんな、「ワーク」と「ライフ」のバランスを大事にしているみたいです。

「そもそもここを重視してますって、面接で言うのってどうなの?」
って個人的には思ったりするわけです。

だって、会社からしたら、ライフの事なんて考えずに、ワークだけしてくれる人が欲しいに決まってるじゃないですか。

そりゃ誰も言わないだけで、残業しても追加でお金払わなくていいなら払いたくないし、土日だろうが祝日だろうが、仕事が終わってないならとことんやって欲しいわけですよ。

いや、これを実際にやれって話をしているのでなくてですね、
「そういう人の方が欲しいよね」というのが事実なわけです。

イメージ、大盛無料のラーメン屋みたいな感覚です。

最近、麺大盛150円とかするラーメン屋が都内では多くてですね。
「え?麺半玉で150円するのかぁ」とか思ったりするのですが、

大盛が150円するラーメン屋よりも、無料のラーメン屋の方が行きたくなるでしょう?仮に味が全く同じだとしたら。

パスタ屋だと麺大盛200円とかするとこあるよね。200円てあと90円出したら昔は幸楽苑でラーメン食べれた。

いや、大盛で追加取るのは当たり前なので、別にそこを批判したいわけではなく、無料だったら嬉しいよねって話なのです。

んで、面接時にその、嬉しいよねって思ってることをきっぱり言う必要ってあるんだっけ??

みたいな話です。

「サービス残業大歓迎です!土日でも上司の電話は絶対出ます!」

って言えって話では無くですね、そもそも

「ワークライフバランを重視してます」

って発言に何か意味ってあるんだっけ?って話です。

思うのは自由だけど、別に言う必要ないよね?って感想です。

あくまで感想で、うちの会社だったら取らないかなぁ~って話なので、別に批判はしてないです。ココ重要です。

「ライフ・ライフ・ライフ」じゃダメなの?

「ワークライフバランス」ってなんかこう、「ワーク」と「ライフ」が分断されている気がしていて、


ワークライフバランスの図1

要はこんな感じで、どっちの比重がどれだけ重いかみたいな。

ワークライフバランスの図2

でも私の感覚で言うと、「ライフ」の中に「ワーク」がある感じなんですね。

ワークライフバランスの図3

どっちが大きい、どっちが小さいのは無しではなく、
そもそも「ライフ」の中の一部に「ワーク」っていう要素もあるよね。

という話です。

だから、私の感覚で言うと、ワークもライフも区別はなくて、全部ひっくるめて人生。

「ライフ・ライフ・ライフ」

って感じ。

なぜ働く必要があるのか

そもそも何で働かないといけないんだっけ?
みたいな話なのですが、ここに対して明確に答えられる人っていますか?

  • お金をもらわないと生活できないから?

  • ニートにはなりたくないから?

  • 親に働けって言われるから?

  • 日中家に居てもやることが無いから?

改めて考えてみると、「あれ?別に仕事ってしなくても良くない?」
って思いませんか?

別に食べていくには困らないでしょう。
私自身が無職で収入が0っていうのを経験した事が無いので、すっごく無責任な事を言いますが、多分大丈夫です。今の日本なら。

この記事を読んだ彼氏が仕事を辞めて、餓死しました。
どうしてくれるんですか?

みたいな事を言われても困るので一応注意書きしておくと、一切責任はとらないのですが、多分大丈夫です。


あ、働く理由ありました。
国民の三大義務です。

「教育」「勤労」「納税」の三つの義務です。

これを怠ると、多分良くない事が起きます。
なんで多分にしているかというと、何が起こるか正確には知らないから。

収入があるのに納税を怠ると差押えをくらい、強制的に納税をさせられますが、残りの二つって義務ではあるけど強制力はないよねって観点で考えると、

強制労働はさせちゃいけないのに差押えは出来るって、同じ三大義務の割にどっちかがやりすぎで、どっちかが甘すぎな気がしてきました。

義務教育を放棄した場合と、ニートで居続けた場合に何か罰せられることがあるのでしょうか?

少しこの辺りは調べてみようと思います。


と、働く理由は十二分にあったのですが、

「国民の義務だから俺は働いているんだ!」

って人はいないでしょう。(恐らく)
少なくとも大多数はではないはずです。

何が言いたいかっていうと、「ワーク」と「ライフ」を分断して考えている時点で、ワークが人生の一部ではない時間。

=「人生から隔絶された別の空間」=「あの世」にいる時間。

ってことになりませんか!?

って事です。

で、その認識で働く場所を探しているってことは、

「こっちの地獄とあっちの地獄どっちの地獄がいいかな?」

みたいな話で(怪傑ゾロリにそんな話があった気もしますが)本質的にはその認識って間違ってない?

って話です。

そもそも「働く」ってなんだっけ?

そもそも何で人間が働かないといけないのかて話になるのですが、もともとは狩りの文化があったので働いていたのです。

文字通り「食べるために働く」という形です。

働く人々

動物を狩るために男たちは皆で働いた。
男たちが食料を取ってくるから、食事の準備や子の御守りを女たちがした。

こんなイメージです。

この時の人々は真に「生きるため」に働いていたし働かなければ生きてはいけなかった。

「定時だから帰るべ!飯ないけどまぁ時間だしね!」

って言ってたら、その日はご飯抜き。

それで次の日も頑張る必要があったわけですね。

でも、そんなことずっと続けていたら餓死してしまうので、どこかのタイミングで頑張って何とかする必要があったのでしょう。

って考えると、そもそも「ワーク」「ライフ」のバランスってなんだっけ?って所に戻ってしまうのです。

ワークライフバランスの図3

結局この図における、緑の円が大きくなって来るのか、小さくなっていくのか、まぁそういう話な気もしますが、私が言いたい事は、

仕事も含めてあなたの人生であり、生きるってことだよね?

って事です。

仕事とプライベートの両立が大事なのではなく、
プライベートの中にどのように仕事を取り込ませていくのか?

という観点が私は大切だと思っています。

だって切り離せないんだもん。

仕事とプライベートを分けて考えるから辛い

仕事をしている自分。
プライベートを楽しむ自分。

同じ「わたし」のはずなのに、この二人は別人。

こういう状況が現代社会では起きてしまっているのです。

で、こういう2人分の人生を歩まないといけないから、人の倍疲れるんです。

これが、「仕事の時のわたし」「プライベートの時のわたし」「友達といるときのわたし」になれば3人の人生だし、

「家族といるときのわたし」が加われば4人分の人生を歩まなくちゃいけない。

そりゃ疲れますよねって話で、

もっとみんな自然体になっていつでも「わたし」でいられることを大事にしたらよいんじゃないかなぁ~

っていうそんな感じの話でした!

育休を取れることがワークライフバランスなら、育児はワークじゃないって事?

新たな疑問発見です。

「ワークライフバランスが整っている職場」=「育休や子育てに寛容」みたいな風潮あるけど、これって、人生の中に仕事があるよねって話と同様に、

人生の中に育児があって、結局その育児も人生であり仕事だよね?

みたいな話になって来ました。

となるとますます、「仕事ってなんだ?」「働くってなんだ?」って疑問が出てきます。

物事の境界線ってつくづくあやふやで、この辺の考え方は仏教とか量子力学とかと通ずるものがあるなぁ~と思いつつ、本日はこの辺までにしておこうと思います。


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