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過ぎてきた日々を抱きしめること

 3月に、恋人ができた。

 それからひと月と1日後に、私の誕生日があった。歳をとることが、久しぶりに、かなしくなかった。

 5月に、ほぼ日手帳を買った。とつぜん欲しくなって、買った。
2年くらい前までは愛用していたけれど、なんとなく気乗りがしなくなって、使うのをやめていた。白紙ばかりの毎日が嫌いだったから。何も書けない日が、積み重なるほどに、わたしをじくじく焦らせて、結局ペンを持てば、マイナスなことばかり書いてしまうから。

 2020年のほぼ日手帳を見返した。半分くらい白紙だった。おまけに、3回に1回くらい「自己嫌悪」とか書いてあった。そんな日もあったね。よく生きたよね。文字を優しく撫でてあげたい気分になって、そう思えた自分が、とても誇らしかった。

2年前の6月。笑えるくらいネガティブ全開。
丸ごと受け入れてくれる人が欲しかっただけなんだよね、ただただ。

 書いておきたい、と思える日々が訪れて嬉しい。白紙でも焦らずに受け止められるわたしになれて嬉しい。新しく買った手帳に、明るいことばが並んでいるかといったらそうではない。相変わらずの完璧主義とネガティブ発言。楽しい1日の後に、一人反省会をおっぱじめてしまうのも変わらない。数日間、真っ白なページが続くこともあるけれど。

 ダメな自分も、ことばとことばの間の長い余白も。否定しないであげようと、今は思えている。愛するまでは、まだできない。だからそれは別の人に任せることにした。こんな不完全なわたしを、好きだと言ってくれる、愛する人たちのために、わたしはわたしをもう少し大切にしたいのだ。

 気持ちを話すこと。正直な自分を見せること。つらい時はつらいと言うこと。元気なふりをしないこと。嬉しい時はわかるように伝えること。周りの人と感情を共有すること……苦手だったたくさんのことに、向き合おうとしている自分に驚く。胸の奥の奥にある凝り固まった筋肉を、じんわりほぐしてゆかなければ、誰かの心を包み込むことだってできない。傷つきやすくてもいいから、しなやかで温もりある人になりたい。

2022年5月。埋め尽くす材料は文字だけじゃないからね。
余白も落書きもわたしの大事な毎日ってことを忘れずにね、me

 そして、6月。noteを開いた。ものすごく久しぶりに。
幸せな毎日のはずなのに、心も体も割と疲れ切っている。仕事のストレスが多い。毎朝、もう無理もう頑張れない、と思いながら支度をし、気づいたら車に乗り込み、1時間運転して職場につき、結局頑張っているというような。現代人の宿命。

 今日は、久しぶりにゆっくりできる休日で、いくらか心も凪いだので、試しにつらつら書いてみた。やっぱり書くことは良い。自分も掴みきれていなかった自分を、把握できて安心する。かっこつけようと思わないで、もっと気軽にnoteをしたい。書くことはわたしから逃げないけれど、わたしが書くことから逃げてしまうということは、正直、よくある。

 こんなプライベートな文章を公開したことが、よく考えたら今までないので、ちょっとどうなのかしらと不安に思う。……が、それも成長の過程ということにして、ためしにありのままをさらけ出してみる。2年前の日記を読んだ今のわたしが、その頃のわたしを肯定してあげられたように。未来のわたしがこれを読むとき、もっと穏やかな心で労ってあげられるといいな。そんな期待を込めて。

 それから……いつの日か、偶然この記事を見つけた恋人が、こっそり読んで照れ笑いしてくれたらいいなあ。なんて恥ずかしい妄想もちょっと、込めたりしてみる。

数日前の日記
本当に時々、こういうハッピー思考になれる時がある
その気まぐれな時々、をつみかさねていきたい


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