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モノクロフィルムがうつしたのは、射していたはずの光だった

きっかけは、ほんの気まぐれだった。

カラーネガフィルムがどんどん手に入りにくくなるなか、たまたま入ったカメラ屋さんにモノクロフィルムだけがポツンと置いてあった。それも、最後の一つだった。

モノクロか。今まで、特に理由もないけど使おうと思ったことがなかった。どうして目を留めなかったんだろう。一回くらい、挑戦してみてもよかったのにと今更ながら気づいて、そのちいさな箱を手に取った。すこしだけ熱を帯びた心臓と一緒に、手のひらの小箱は揺れてコトコト鳴った。

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以前にも書いたことがあるが、私のただひとつの相棒は、トイカメラと分類されることもあるチープなコンパクトフィルムカメラ、LOMO LC-Aである。撮影も設定も簡単だが、そのぶんピントを合わせられる距離も露出も限られてくる。そこらへんは設定に頼ることができず、じぶんのほうが、撮ろうとするイメージを環境とカメラに合わせないといけない。高性能のカメラと同じような鮮明な写真は当然撮れないし、ボケたりぶれたりしたものができあがることの方がずっと多い。白飛びも黒つぶれも、感光だってしょっちゅうだ。

プロの写真家さんからしたら、失敗作のようなものばかり撮っているように見えるのかなあ、と時々思ったりする。私なんて技術はおろか、カメラの知識もたいして持っていない、けれど。

綺麗な作品を撮りたいんじゃない。私が撮っているのは、人に認められるためではない。自分の大切な人や時間を、その感触を、色を、記憶を、空気を、遠い季節の先でもう一度引き出したくて、撮っている。

そのことに気づいてから、ボケもぶれも白飛びも、私にとって失敗作ではなくなった。絵を描くように撮ればいい。自分にしか、その時にしか出せない色で描けばいいのだ。その自由度が楽しい。世界に一つだけの瞬間の切り抜きが、あまりに愛おしい。

そういう成り行きで、どうしてもフィルム写真を諦められない私は、ガラ空きの陳列棚に見つけた一本のモノクロフィルムに希望を託すこととなった。前述の通り簡素な機能のカメラである。ただでさえで仕上がりの想像がしづらいのに、撮ったことないモノクロ写真のうつりかたなど見当もつかない。悩んだ末、最初はとにかく「ピンポイント」に撮ってみることにした。

わからないけど、範囲の広い景色や情報量の多い街並みを、このシンプルなカメラで撮ってしまうと、二色では表現しきれず曖昧になってしまう気がした。撮りたいただ一つのポイントに、きちんと集中してみようと思った。わからないけど。なんにもわからない私が、モノクロに写り得る何かしらの性質を、まずはちょっとでもわかれるように。

顔、手、目、葉っぱ、木漏れ日、空間。気づけば、目の前にあるひとつずつ違った素材のいっこいっこに、しんと研ぎ澄ますように集中している、自分の瞳があった。

そうして、現像の時はやってきた。全く何にも撮れていなくても仕方ないと思って開いたデータには、思った以上に繊細でやわらかな、二色の美しい濃淡が広がっていた。

くうきのつぶに反射したひかり
やわらかいスカート
こもれび
ひざしのねつ

うつっていたのは、光だった。まわりの闇が濃ければ濃いほど、そこにある光の存在をくっきりと浮かび上がらせる。あるいは、空間に満ちていたはずの仄かなあかるみを。あたたかい空気を。光は、あったのだ、気づかなかっただけで。

躍動
伏し目
手の個性

もの、ひと、けしき、全てがまるでポートレイトのようだと思った。ただ一つのものを撮ろうとしたからだろうか?そこにはうつるべきものがしっかりとうつっているように感じた。素のままの、被写体の本質、余計なものを削り取った後の、素朴な魅力とでもいうべき何かが。

私は一枚一枚を見つめ、胸がいっぱいになった。私が愛するものたちの正体が、微かな光をまとって白黒の中に浮いている。それらをぎゅっと抱きしめたい気持ちを、ゆっくりかみしめる。

白線
広がり
あ な

モノクロが写す世界は、白か黒かの二進数というわけじゃなかった。白から黒までの間を泳ぐ無限の濃淡に、闇はおだやかに染まり、そこから静かな発光が広がる。じんわりと、時には力強く、鮮明に。

写真にしか残せないものがあると思う。なかでも、フィルムのざらつきにしか刻まれない記憶があると思う。過ぎていった時間を拾い集めるために撮っている私に、ありのままの輝きをうつしだすモノクロフィルムは、じつはすごく合っているのかもしれない。

あの時、カメラ屋さんに置いてあったただ一つのフィルムがモノクロでよかった。新しい扉を開き、いっぽうでは、私が撮る意味をもう一度思い出させてくれた。そこにある、大切なものと、レンズ越しに目を合わせ続けることができれば。手に触れた質感を、ひとつでも残すことができれば。それさえできれば、私はずっと幸せでいられる気がする。

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フィルム写真への溢れ出る愛は、こちらの記事でも垂れ流しておりますので、よかったらのぞいてみてくださいね。


貴重な時間を使ってここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。