見出し画像

【らくがき日記】わすれてしまうことたち

2022/1/30

 失うのは一瞬だ。ありふれた日常がひっくり返るのもあっという間で、かくして、わたしが運転する軽自動車はあれよあれよという間に道端に派手にひっくり帰った。……というのが、一週間前の、お話でして。

 人生って、何が起こるか、ほんとうにわからないよね。まさか横転した車の中から親に電話をかけることになるとは思わなかった。90度傾いた格好のまま、それでもわたしは意外と冷静で、あ〜〜こんな電話かけたらお父さん血相変えて飛んで来ちゃうだろうなあ、と変な方向に気を揉んでいた。
「あ、あのね今ちょっとね、事故に遭っちゃって…車が横転しちゃって…出られなくって、今車の中なんだよね〜っ」
てへへ、とでも付け足しそうなノリの状況報告に余計困惑したとか。父親談。

 結局、心優しい通りすがりの方々に助けてもらって車の外に出たわたしには、かすり傷ひとつすらなかった。逆に、気が抜けた。冷たくて乾いた風がびゅうびゅう吹く中で、警察の人に事情を説明したり、凍える指で何度も色々なところへ電話をかけた。そんなこんなで1時間半くらいが経ち、すっかり生気を奪われた頃に、ロードサービスのレッカー車がやって来た。

 ででーんと転がったわたしの車を、業者の兄ちゃんが慣れた手つきで引き上げていくのを、ぼーっと見守った。でっかいフックみたいなものが車に引っ掛けられた。バンパーが、ごつごつしたアスファルトの上で情け容赦なく引きずられ、ガリガリという音をたてた。砕けた部品が弾かれてこちらへ飛んできたので、にげる。片方のサイドミラーが漫画みたいにビヨーンと外れていて不謹慎だが面白かった。車を起こしたと同時に、運転席側の窓ガラスがばらばらばらと崩れ去った。アスファルトにオイルの染みができていた。妙に冷めた、というか、真冬の空気で冷え切った脳内に、「廃車」の二文字が浮かんだ。それと同時に、羽をはやして飛び去っていく札束がくっきりと頭上に、見えた。一番最初にお金の心配かあ。自分の思考に少々失望、である。

 もう、玄関のドアの内側に貼り紙でもしようかと思う。
その一。気を抜くな。当たり前、は存在しない
その二。自分に限ってそれはない、なんてことはありえない

毎朝声に出して読んでから外に出ようかしら。呆れるほどに忘れるんだから。人間というものは。

 それからしばらく、わたしは引っ越したばかりのアパートには戻らず実家でのらりくらりと過ごした。外傷こそなかったが、それなりの衝撃を受けたのでむち打ちまでは免れられなかった。全く、情けないったら。やっと自立したと思ったらこれだ。とにかく最初の数日は安静にしてろと、お布団に縛り付けられていたので、ほんとに何もできなかった。情けないけれど、ありがたかった。頼るところがあるというのは。それが家族だという、普段気にしないようなことでさえ。

 馴染みの自動車屋さんが親身になって保険のアドバイスをしてくれた。大丈夫?のメッセージがいくつか届いた。職場のひとがLINEギフトでドリンクチケットを送ってくれた。わたしは二日連続でケーキを食べた。話を聞きつけた友達が寄ってくれたのだ。遠くへ住む叔父に事故現場の写真を送ったら「よく生きてたね」と返ってきた。冗談とも思えなかった。そうだ、よく生きてた。生きててよかった。

 考えてみたら、打ちどころが悪かったらもっと大怪我をしていただろうし、後続車がいたら後ろから突っ込まれてたかもしれないし。近場に家族がいなければ、一人で耐えるしかなかったわけだし。不幸中の幸いだよね、ってことが後からいくつも見つかった。そもそもさ、「それ」が不幸か幸いかって、わたしが決めることではないんじゃない?あーあ、って出来事の中にもありがたいポイントはたくさんあるし、逆に何も失っていなくても、自分を不憫に思おうとすればいくらでも不幸になれてしまう。そういうものでしょ、聞いてる、わたし?

 貼り紙事項、ひとつ追加だ。
その三。ほんとうにそれは不幸ですか?

 へこんでる場合じゃないよ。それは違うよ。なんだかんだ言いながら、世話を焼いてくれる人たちがいることのありがたさに、目が向かなくなることが一番情けない。

 まだまだ乗れるタフな相棒とはお別れになってしまったけど。失ったと見せかけて、結局は得ていたのかもしれないな。そんなことまで思わせてくれた平凡なわたしの世界に感謝を込めて。また明日から、大事に生きてみますか。

この記事が参加している募集

貴重な時間を使ってここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。